第10話 京を出る前に
伊達軍の出発の日程が決まった。
重綱がそれを阿梅に伝えると、阿梅は険しい顔をしながらも頷いた。
潜伏先はつかんだものの、残党狩りの目を盗んでこの屋敷に入るには、時間が足りなさ過ぎる。
「それでも、私は信じております」
そう言う阿梅に重綱は同意した。
「殿が何の策も用意していないはずがない。悪知恵に関しては、無駄に頭が回る方だからな」
主君に対してそれは不敬だろうに、真顔で言う重綱に阿梅はほんの少し目を細めた。
重綱が阿梅を気遣って、わざとそんな物言いをしたと思ったのだ。しかし、阿梅のそれを察した重綱が重ねるように言う。
「いや、事実だからな?」
「そうなのですか?」
「ああ。殿の悪知恵とハッタリは日本一だぞ」
何故か誇らしげに胸を張る重綱に阿梅はくすくすと笑い出してしまった。
重綱はそんな阿梅に柔らかな声で聞く。
「どうだ、大八とおかねは。片倉の皆と上手くやれそうか?」
二人は今、阿梅に与えられた部屋で寝起きをし、阿梅と同じように片倉隊に混じって食事をしている。
「はい。皆様が二人にとてもよくしてくれて、すっかり懐いております」
大八は屈託がないし、おかねも本来ならば、はつらつとした女子だ。
真田衆に囲まれて育ったので、屈強な片倉隊の者達にも物怖じしない。阿梅がいることもあり、馴染むのは早かった。
「そうか。ならば安心だな」
「はい」
重綱はそこで、肝心なことを切り出した。
「では、少しの間、そなたが二人の傍を離れても平気だな?」
「今だって、二人は別の所におりますが?」
阿梅は重綱に呼ばれ、片倉隊のいる広間から離れた部屋にいた。
「ああ、いや、そうでなくてだな。つまり、外に出かけても問題はないか、と、そういうことだ」
阿梅は驚いた。
「外出ですか? 私が?」
屋敷の外に出れば、それだけ危険も高まる。
「なに、すぐ近くの店までだ。それに、近辺に潜んでいる者はいないと報告はうけている」
「…………しかし、どうして」
首を傾げる阿梅に、重綱は頬を掻きながら言った。
「綾に櫛でも買っていこうと思ってな。だが私では
「奥方様に櫛を?」
「なかなか会いにゆけぬのでな」
阿梅は眩しいものを見るような目をして重綱に微笑んだ。
「仲がよろしいのですね」
「…………ああ。綾は私が守らねばならない人だからな」
どこかもの悲しげな声の響きに、阿梅は失言をしてしまったかと重綱をうかがった。重綱は少し苦い口調で告げた。
「綾は身体が弱くてな」
「そう、なのですか」
会いにゆけない、とは、そうした事情があるからなのかもしれない。
「では、うんと素敵なものを贈らねばなりませんね」
そう言った阿梅に重綱はほっとした表情を浮かべた。
「一緒に選んでくれるか」
「はい。もちろん」
阿梅の返事に重綱は腰を上げた。
「さっそくいくか」
二人は「少し出かける」と片倉の兵に言付けると、屋敷の外に出た。
重綱に案内されるまま阿梅は店にむかった。そこは伊達屋敷からほど近い小間物屋。
「何かお入り用で?」
愛想よく店の主が重綱と阿梅を迎えた。
「櫛を幾つか見せてもらおう」
「へい」
次々と並べられていく櫛は、蒔絵が施された物から細かな彫りが入った物まで様々だ。
阿梅は真剣な顔をして重綱に聞いた。
「奥方様はどんな方ですか?」
「そうだな…………儚げに見えて芯がある。品があって奥として申し分ない。私にはもったいないくらいの美人で」
そこで重綱は言葉を止めた。
阿梅が口に手をあて、笑いを堪えていたからだ。
「何故、笑うんだ?」
「あ、いえ、本当にお好きなのだなぁ、と」
重綱は顔を赤くした。
「聞くから答えたまでだ」
「ええ。奥方様が好きで好きで仕方がないのですね。よろしいことです」
「お前までからかうのか」
「藤次郎様にはからかわれているのですか?」
「………櫛を選ぶか」
「そうしましょう」
並べられた櫛をじっくりと吟味していく。
「どれも同じに見えるな」
「まったく違いますよ? ほら、この蒔絵は桜で、こちらは牡丹」
「……………櫛は櫛にしか見えんのだが」
「私を連れてきたのは、賢明なご判断です」
阿梅は櫛を一つずつ眺めた。
(儚げで、けれど強い。気品がある………)
考えながら眺めていた阿梅の目に、一つの櫛が飛び込んだ。
漆塗りに蒔絵で藤の花が見事に描かれた櫛。風に揺れる藤の花は優美で儚いが、その蔓は強さを秘めている。
「小十郎様、こちらの櫛など、いかがでしょう」
阿梅が指差す櫛を見て、重綱は「ほう」と頷いた。
「品があるな。蒔絵も素晴らしい」
小間物屋の主がにこやかに近づいてきた。
「こちらをお求めで?」
「ああ…………そうだな」
阿梅が勧める物をすんなり購入しようとする重綱に、阿梅は苦笑いしながらも言った。
「貴方様がお選びになるからこそ、奥方様はお喜びになるのでは? もう少し考えてみては」
「むう、難しいものだな。こうしたことは、なかなか上手くできん。殿は得意なのだがなぁ」
頭を掻く重綱に阿梅は笑った。
「心を込めて選ぶ。それが一番かと」
「…………いつもそうしているのだが、微妙な顔をするのでな」
いったいどんな物を選んでいるのだか、気にはなったが、そういう理由ならば人に選んでもらうというのも悪くはないだろう。
これほどまでに、喜んでもらいたいという気持ちがあらわれているのだから。
「ふむ。やはり先ほどの蒔絵の櫛が一番良い気がする」
「では、こちらで」
店の者が櫛を箱に入れている間に勘定をすませる。
「良い品が選べた。助かったぞ」
「いえ、お役に立ててよかったです」
二人は小間物屋を出て歩き出したのだが。
「せっかくだ、団子でも食っていくか」
妙に重綱が道草をくいたがる。
「あの、小十郎様? 早くもどった方が」
戸惑う阿梅を、しかし重綱は連れ回した。仕舞いには「川辺で涼んでいこう」と鴨川まで連れてこられてしまった。
まだ日は高く、川辺は
「気持ちが良いなぁ」
「そうですね」
頷いて阿梅はちらりと重綱を見た。
(息抜きしたかったのでしょうか?)
その可能性はある。何しろ、重綱は伊達の屋敷に入ってからも働きっぱなしだ。
と、ぱちりと重綱と目が合った。その目は真剣な光を宿していた。
「――――阿梅」
ふいに名を呼ばれ、阿梅の心臓がトクンと鳴った。
重綱は真っ直ぐに阿梅の顔を見ながら言った。
「悪いことは言わぬ。ここで泣いておけ」
「……………え?」
急な重綱の言葉に阿梅は動揺した。
「今は私とそなた以外、ここには誰もおらん。片倉の者も、真田の者も。妹も弟も」
「あ、あの、小十郎様」
「泣いてよいのだ。いや、ここで泣いておくべきだ」
重綱は目に哀しみを浮かべた。
「京を出てしまえば長い旅だ。甘えさせてやることはできない。だから」
そっと阿梅の頭に手を伸ばし重綱は囁いた。
「今、泣いておけ」
「でも」
俯いた阿梅に重綱は重ねた。
「今までよく耐えた。辛かったろう、苦しかったろう――――悲しかったろう。泣いてよいのだ。私しか知らぬのだから」
阿梅の肩が小さく震えた。重綱はそんな阿梅に寄り添った。
「もうよい。泣いてよいのだ、阿梅」
優しく頭を撫でられ、堪え切れずに阿梅の目から涙がこぼれ落ちた。
堰を切った感情は激流のように溢れ出て。
「ッ―――んっ、く、」
阿梅はしゃくり上げた。歳相応の、子供にもどって。
「ち、ちうえ、あに、うえ………」
阿梅は重綱に縋って泣いた。
「うぁ、あぁぁぁぁん! っ、あぁぁぁぁっ!!」
重綱は幼子にするように、ただ阿梅の背中をさすってやった。
「よく頑張ったな。そなたは立派だ」
泣きじゃくる阿梅を受けとめて。彼女の涙が止まるまで。その苦しみが流れるまで。
重綱はただずっと、そうしてやっていた。
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