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 真夜中、ふと目が冴えた。

 仰向けのまま、細腕を豆電球のオレンジにかざす。親に首を絞められたふゆのこと、ハグをすり抜けたふゆのことを思い出したら気持ちが覚醒して、途端に細腕をいじめたくなった。ベッドを出て、腕立て伏せをはじめる。一回ごとに埃くさい床に鼻を近づけながら、プルプルと震える両腕の情けなさに、怒り狂っていた。もっと、もっと細腕を傷つけてやりたい。

 続けることが苦手だ。気まぐれに筋トレはしても、明日、明後日とどうしても続かない。今回もそうだろう。ドアのそば、今ではストッパーがわりに転がるダンベルを見て物哀しさに包まれた。確か、以前父がくれたものだ。

 父の瞳が脳裏に浮かぶ。昔の優しい瞳と、今の余裕のない瞳。どちらも色素の薄い茶色なのは、変わっていない。


 おぼろげな記憶の中で、父はいつも笑っている。サッカーボールを蹴り合うぼくらの頭上、空にドロリと溶けていく夕陽は、父と遊び尽くした公園で覚えた。母の「そろそろ帰ろー」が聞こえるまで、ぼくらは球遊びをやめたことはなかった。

 父はいつも本気で戦う。サッカーなら、一対一のドリブルもシュートも手を抜かない人だった。

「とれんやろうな、かいとには」

 負けるぼくをからかっては笑った。負けず嫌いな性格は遺伝していて、ぼくも本気で立ち向かい、軽くあしらわれ、泣きべそをかく。

「泣くな!」

 よく父は言っていた。

 特に勝てないのは腕相撲で、毎回体重を目一杯乗せたり、時には両手を使って挑んでいたが、小学生のうちは、ついにどんな手段を使っても敵わなかった。

「ハタチになったら勝負しよ!」

「はっ、それでも負けんわ!」

 という約束は、今でも覚えているし、父も記憶にあるらしい。

 空に星が灯ったら、家の天文台スペースに集合して、斜めに傾いた竹のような望遠鏡から星を眺める父を見ていた。父も、星をまじめに見ていなかったと思う。スポーツの話、ゲームの話、くだらない何でもない話を共有していた。男の子たちの夜。

 星の下へ出ようぜと、夜の散歩に行くのも好きだった。無論、星などおまけに過ぎず、ただひたすらに別の趣味を語っていた。暗闇を歩く父の背中が、ぼくにとっての懐中電灯であった。


 いつのまにか朝。陽光が机上の写真立てに差し込んでいる。中では、ぼくと父が色素の薄い瞳を細めて、優しく笑っている。ぼくらは瞳だけよく似ていた。


 リビングに行くと、母がおはようのかわりにため息をついた。

「どーしたん?」

「パパがもう朝からむかつくんよ!」

 いつも父は朝四時くらいに起きて、それだけでよせばいいのに、母を起こすらしい。理由は暇だったり、何か用事があったり、様々だ。起こさない日でも、早朝のニュース番組を大音量で流すので、結局母は寝られない羽目になるのだそう。

 今日は前者だった。薬がない、と母を起こしたという。

「ほんっと自己中!」

 でもぼくが父を自己中と言うと母は怒る。「お前が言うな」って。息子の、という言葉が文頭から消えているのだろう。だから母がこんな風に愚痴を切り出してきたら、「ふーん」と「うん」を繰り返す。

 母の愚痴を聞くのは存外嫌いじゃない。母はまあ大抵正当な理由で怒っているし、なにより最終的に、

「お前〜、パパをどうにかしろ! 前のパパに戻せ!」

 と言って笑いはじめる。母が僅かでもすっとした表情になるのが嬉しい。だからぼくも笑い返す。悩みを吐き出してくれるのは、信頼の証だと思う。

でも今どうにかしないといけないのは、ふゆのお父さんの方だ。

 ふゆのお父さんは酒乱で、アルコールが入ると人格が変わるのだと聞いたことがある。今回の首絞め事件も、きっとお酒が絡んでいるだろう。

 対してうちの父は酒乱ではないけれどギャンブラーで、頻繁にスロットに通い、負ければ不機嫌になる。でも多分、子供の首を絞めたりはしない……。

 ただ、母の顔にくっきり刻まれたクマとシワを見つめていたら、変な悪寒が駆け抜けて、何も悟られないうちに急いで部屋に戻った。「朝ごはんは?」と尋ねた母を無視して。

 部屋のドアを雑に開け閉めして、ベッドに頭から入水。深海に沈むように、二度寝したかった。うちのパパは、家族に手をあげたりしない。机上の写真を見つめながら、縋るように何度も思った。それくらいに最近のぼくは不安定で、また同様に父も不安定だった。

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