第11話 真夜中の惨劇や

「そ、そろそろ先輩たちの、あいだをまわって、昼食はどうしますかと、訊いて、準備す、るんだ」


 変態オヤジが胸を押さえながら、あえぎあえぎ言った。ボディスラムは、打った背中よりも胸に効くと聞いとったが、ホンマのようやった。


 そこへちょうどソバカスが通りかかったんで、昼はどうしまっかと訊くと、


「適当に買って食べるからいいよ。それよりも、おれっちの部屋をきれいにしといてよ。もう埃を食うのはたくさん」


 ソバカスとアホの部屋を掃除しとったら、古参兵がぬっと覗き、


「急いで骨の名前を憶えてくれよ。まちがえた数だけぼくが殴られるんだから。もう手がかすっただけで鼻血が出るようになっちまった。ブッチャーの額と一緒」


 ぶつくさ言いながら帰った。ほんなら勉強するかと事務室に行きかけると、


「ユエ、マッサージの練習してみる?」


 マッカーサーに呼び止められた。マッカーサーはフフッと笑い、


「ユエなんていうと、ベトナムの戦場を思い出すわね。あの戦争で受けた心の傷は、今もあたしをさいなんでいる」


「姉さん、サバイバルゲームやろ?」


「まあね。でもね、ユエ。本物の戦争のない場所は、夢の中しかないのよ」


 あいているマッサージルームで、マッカーサーが横になった。


「顔やってみて。小顔になりたくて、フェイスマッサージを希望する女性は多いの。それからお尻。ヒップアップさせるようにやって。あと背中。背中の血流を良くすると、ダイエット効果があるのよ。最後にお腹の横。ここの脂肪をうんと絞って」


 自分のためにやらせとるな、と思いつつ揉んでやった。


 ノックの音がしてドアがあいた。振り返るとソバカスが、


「クミさん、指名入りました」


 やれやれとため息をついてマッカッサーが出て行くと、入れ替わりにソバカスがベッドに寝て、


「今度はおれっちが教えてあげる。足から尻にあがって腰と背中全部やって首。そうそう。しっぽの先から指先までね。うんうん。首と背中はもう一回やって」


 アホと同じでこいつもイビキかいて寝よった。部屋を出て、向かいのマッサージルームのガラス窓を覗くと、中でイッチがせっせと古参兵の坊主頭を揉んどった。


 やがて、イッチが部屋から出てきた。


「主任、寝ちゃった」


「みんなそうや。こいつら教える言うて、自分が気持ち良うなりたいだけや」


「疲れてるんたよ、きっと。でも、ああやって気持ち良さそうに寝てくれると、なんだか嬉しくなるね。この仕事が好きになってきたよ」


「ホンマにええやっちゃな、イッチは」


 二人で二階に上がりながら、わしはイッチに言った。


「あのな、イッチ」


「なに?」


「わし、家庭に問題あんねん」


「言わなくてもいいよ、別に」


「まだ小っちゃいときに親が離婚してな。母親が再婚したんやけど、わしその男になつかなかってん。したら暴力振るわれてな、母親もそっちの味方しよった。わしよりも、男のほうを選んだんや。ほんだらそいつは図に乗りよって、身体に触ってくるようになった。母親は見て見ぬフリじゃ。だからな、わし、男に触られるの考えると、吐き気がすんねん。死にとうなんねん。堪忍してな」


「ひどい親だな。それでも向こうに帰りたい?」


「わからん。しかしな、帰らんいうのは、逃げのような気がするんよ」


「逃げたっていいじゃん」


「なんでわしが逃げなアカンねん。それが腹立つ。あいつらの思うツボじゃ」


「帰って対決する?」


「対決か……一対二やからな」


「ぼくを入れたら二対二だよ」


「一緒に闘ってくれるか?」


「もちろん。ずっとユエナと一緒にいるよ」


「ありがと。嬉しいわ」


 頼りないと思うとったイッチやのに、今はイッチがおらんと、なんもできんような気になってきた。


 結婚したい。


「あ、ごめん」


「なにを謝ってる?」


「泣いてるから」


「これは嬉し涙や。それか悲し涙や」


「どっち?」


「わからん。わしみたいな女でええかと思うと、嬉しいけど、悲しくもなんねん」


「泣かないで」


 イッチの身体が近づいた。反射的に鳥肌が立つ。こんなに好きでもダメか、と思うたとき、ふと視線を感じた。


 サンマルチノやった。食堂のドアの隙間から、明子姉さんよろしく覗いとった。


 わしはコホンと咳払いした。


「あのな、イッチ。わしに触らんほうがええで」


「わかってるよ」


「マシンガンキックがとんでくるからな。今は明子姉さんしとるけど、そのうちクルーゾー警部を狙うカトーみたいに襲ってくるで」


「全然わかんないよ。クルーゾー警部って誰? 井上順?」


「井上順って誰や。アンパンマンの旦那か?」


「それは井上純一。井上順は通販の司会だよ。あー、またインディジューンズやってくんないかなー」


「もうええわ。さ、事務室行こ。テストあんのやろ」


 サンマルチノに気づかんフリして、食堂の横を通った。襲うチャンスを逃したせいか、チッと舌打ちする音が聴こえた。


 事務室に入ると、イッチが言った。


「ぼく今夜、山岸先輩と出掛けるんだ」


「変態とかい。どこ行くねん」


「ぼくの生活必需品を、買ってくれるんだって」


「あいつまだオタマジャクシで、金ないんやろ?」


「ここに来る前に別のところで働いてて、少し貯金があるんだって。誰にも言ってないから内緒だぞって、こっそり教えてくれた」


「ほんでイッチに買うてくれんの? ええとこあるやん」


「ツケだけどね。でもホント、すごくいい人だよ」


「わからんもんやな。仇名をジョージ・マイケルに変えたるか」


「それでね、昨日の夜、サイレントのことも話したんだ。そしたら、買い物のついでに若い女の子がいそうなところも見て、訊き込みしてくれるって」


「ほう、睡眠時間を削ってかい。ますます男前やのう。ウキウキ、ウェイクミーアップ!」


「でね、普通訊き込みするには写真がいるけど、持ってないから、似顔絵描いてみたんだ。ちょっと見てくれる?」


 イッチが事務室を出て、紙切れを持って戻ってきた。


「どうかな」


 鉛筆で、丸にチョンチョンと点をつけたような絵が描いてあった。


「絵心が……ずうとるびの江藤以来の衝撃やな。わしに任せい。三波伸介ばりに減点パパの要領で描いたるから。えーと、顔は丸顔、目は小さくて、鼻は低い」


 イッチのメモ帳にできあがった絵を見ると、イッチの絵と大差なかった。


「あら、おかしいな。川島なお美かエバかっちゅうくらい、絵は得意なんやけど」


「だから、こんな顔なんだよ、サイレントは」


「そっか。あらためてセリイの顔思い出すと、平凡すぎて、どこにでもいそうな、そのくせ逆にどこにもいなさそうな感じが……」


「でしょ? 山岸先輩にこの絵を見せたら、この顔はどこかで見た気がするけど、いくら考えても、それがどこかは思い出せないって言ってた」


「不親切なギャルやで。もっと見つけやすい顔せいっちゅうんじゃ」


 するとそのとき、ノックもなくドアがあいて、


「二人とも昼メシは食ったのか? まだならこれを食え」


 古参兵が、ハンバーガーショップの包みを突き出した。


「遠慮させてもらうわ。どうせ一万円やろ」


「いやいや、これはぼくのおごり。本当だよ。そんな疑いのまなこでぼくを見ないで」


 包みを置いて出ていった。あいつもええとこあるやんかと、見直す気になった。


「まずはメシ食お。食って体力つけんと、夜の訊き込みにも行けんからな」


 午後もなにかと忙しかった。オスガエルどもの私物の洗濯やら、マッサージの練習やら、テスト勉強やら、夕食の買い出しやらで時間が過ぎた。


 営業時間が終わり、マッサージルームの掃除とタオルケットの洗濯をして、食堂で食器を洗っとると、


「ラーメンでも食いに行くか?」


 アホが誘ってくれた。そんとき食堂にいたのは、アホとソバカスと変態オヤジとイッチとわしの五人。古参兵は一人で外食に出かけ、サンマルチノとマッカーサーは、それぞれ自分のアパートに帰っとった。


「ありがとうございます。でも今夜は、山岸先輩と約束がありまして」


 イッチが丁寧に断わった。するとソバカスが気に入らん顔して、


「なによ、自分たちだけで遊びに行くの? おれっちは朝四時にオーナーを迎えに行くから、もう寝なきゃなんないのに」


 ブーたれた。変態オヤジは黙って下を向いた。


「ギシさん、こいつらにおごるの? そんな金あるんですか? わ、気持ち悪い顔。オエーッ」


「……金ないんで、ここでカップラーメンでも食べて出かけようかと」


「きみたちはカップじゃないラーメンのほうがいいでしょ? おれと行こうよ」


 イッチが困ったような顔をして変態オヤジを見た。わしは助け舟のつもりで、


「あいにくやけど、先にした約束のほうが大事や。兄さんには、この次遠慮なくおごってもらうさかい」


 すると突然ソバカスが、


「じゃあこうしよう。おれっちが山岸さんに特製コーヒーをおごるよ」


 キッチンに立って、コーヒーを淹れ始めた。


「ウフフ」


 妙な含み笑いをしながら、ズボンのポケットから紙包みを出し、そこに包んであった白い粉をコーヒーに入れた。


「はい、どうぞ」


 変態オヤジが、コーヒーを見つめて固まった。


「どうしたの? 先輩の淹れたコーヒーが飲めないんですか?」


「……なに入れたんですか?」


「は? 砂糖ですけど」


 文句あんのかという顔で言うと、アホがクツクツ笑い、


「それは、睡眠薬の錠剤を砕いたのだよ。こいつ、いつでもそれを持ち歩いて、街で女の子に悪いことしてんの」


「阿部さん、すぐ言う~」


 変態オヤジが青い顔してうつむいとると、ソバカスはヒートアップし、


「なんでシカトしてんの。飲んで!」


「でもワタシ、睡眠不足で疲れてるから、これ飲んじゃうとちょっと……」


「おれっちはもう寝なきゃいけないって言ってんのに、後輩たちがなんで遊びに行く気でいんの。さあ飲め!」


「飲まんでええで」


 また助け舟のつもりで言ったんが、かえってきっかけになって、


「いや、いいよ。ありがとう、ユエナちゃん。いただきます」


 一気にガブガブ飲んでもうた。


「ごちそうさま。一ノ瀬ごめんな、今日はもうカップラーメン食べて寝よう。約束はまた今度」


 そう言って立ち上がると、ふらふらと出口のほうへ向かった。


「兄さん、どこ行くん?」


「ちょっとコンビニまで。あそこにオバサンがいると、ただで商品をくれるんだ。ただし、いるのがオーナーか店長だと、刃物持って追いまわされるけど」


 わしらのために、命懸けでカップラーメンを調達するつもりらしい。ほんなら一緒に行くかと、イッチに目配せして食堂を出たとき、


 ドン! ガンデンダン!


 でかい音が響いた。急いで廊下を走ると、階段の下で変態オヤジが倒れとった。


「睡眠薬が効いたんだよ。足元おかしかったもん」


 イッチが言って駆け降りた。わしも降りて、二人で変態オヤジの身体を起こすと、


「イテテテ。いやー、失敗失敗。上から下まで落ちちまった」


「令和の平田満やな。病院行くか?」


「大丈夫。でも出かけるのはやめてもう寝るよ。一ノ瀬悪い。打ったところを、部屋でちょっとさすってくれ。すねと腹の真ん中とケツと背骨と横っ腹だ」


 イッチがおんぶして部屋まで行った。わしは食堂に寄って、アホとソバカスをにらんだ。


「兄さんたち、仲間をケガさせても平気か」


 返事はなかった。これ以上ここにおっても胸クソ悪いから、自分の部屋に入った。


 なかなか眠れんかった。腹が減ってたし、ムカついてたし、なによりスマホで動画を観れんのが寂しかった。


 スタ誕が観たい。新幹線コンビの幻の十週目を探したい。痩せてたころのコロッケを観たい。こんなことになるんなら、もう一度九十九一の一週目を観とけばよかった。あれは歴史に残る名作やった……


 にじむ涙をそっと拭いた。そのとき小さなノックの音がした。


「ごめん、ユエナ。開けてくれる?」


 ドアを開けると、イッチが深刻な顔して立っとった。


「山岸先輩が、トイレに行くって部屋を出たきり、戻ってこないんだ」


 わしは、ふーっとため息をついた。


「夜逃げやな。イジメは罪やで、ホンマ」


「でも、財布は置いてってるし……とりあえず、この建物の中を一緒に捜してくれない? なんだか嫌な予感がするんだ」


 部屋を出るとき、サンマルチノがくれた壁掛け時計を見た。もうとっくに十二時をまわって、そろそろ一時になるとこやった。


 イッチが二階のトイレを覗いた。個室のドアはあいていて、中には誰もいなかった。


 シャワー室も見た。誰もおらん。もちろん、人が隠れられるようなスペースもない。


「事務室も空やったな。となると、アホたちの部屋か、古参兵の部屋や。どっちかに呼ばれて、腰でも揉まされとんのとちゃうか」


「待って、まだ洗濯室を見てない」


 洗濯機の動く音は聴こえんから、私物をこそこそ手洗いしてるのかもしれん。その可能性はあるなと思いつつ、電気の消えた暗い洗濯室のドアをあけると、


「あっ!」


 イッチが声をあげた。わしは息を呑んだ。


 洗濯機から、逆さになった人間の両脚が突き出ていた。そう、あのにしおかすみこの渾身のギャグ、犬神家そのままに……

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