第9話 また死んどる!

 現場が凍りつく、ちゅうのはこういうこっちゃ。


 誰も動かんし、なんも言わん。ビデオの一時停止押したみたいに。


 コホン、とタマちゃんが咳払いをした。古参兵がビクッとして、欽ちゃんみたいにぴょんと跳ねた。


「なるほど、タマちゃんか。貴様ら蔭で、おれのことをそう呼んでたんだな」


 ソバカスの股にまたシミが広がって、床に水たまりができた。


「誰だっ! その仇名を考えたのは!」


 みんないっせいに変態オヤジを指差した。変態オヤジは立ったまま気絶した――リアル西川くんや。


 あー、アホくさ。


 男性陣はオーナーを恐がっとるが、わしはちっとも恐いことあらへん。サンマルチノたちから聞いて、裏の情けない顔を知っとったし、別にこのおっさんに恩があるわけでもない。怒らせたらビンタ食らって追い出されるかもしれんが、せいぜいそんくらいや。命まではとられへん。それよりも、黙って威張らせとくほうがシャクやった。おっさん、まちごうてるでということを、誰かがビシッと言ってやらなアカン。


「なあ、なんでタマちゃんいうの? 教えてえな」


 目玉がこっちを見た。が、不思議なことに、怒った色をしてへん。むしろ面白がるような調子で、


「なかなかいい度胸だな、小娘。よし、気に入ったぞ。おれの名前は、タマキイチローというんだ」


 ――なぬ、タマキ? 


 ひょっとして、あの玉城レイの玉城か?


「あの、オーナーはん。タマキのタマは、玉置宏の玉でっか?」


「えー、一週間のごぶさたでした、っておい! 真似しにくいヤツを選ぶな。でもそれで合ってる」


「ほんで、タマキのキは、城卓矢の城でっか?」


「おれは女は愛しても、ホネまでは愛さん」


「それとも城みちるの城でっか?」


「おれはイルカにも乗らん! でもそれで合ってる」


「やっぱそうなんや。ほんなら、玉城レイってギャル知ってまっか?」


「レイ? 今年高校の?」


「そうそう。わしのクラスメートやねん」


「ほおー、奇遇だな。あれはおれの弟、玉城ジローの娘だ」


「弟さんって、マスターモミゾウと呼ばれとる?」


「うむ。玉城ブラザーズといえば、その道で知らない者はなかった。だが正直言って、弟のほうが優秀だった。おれは拗ねに拗ねた。ひねくれて性格がゆがみ、酒と麻薬に溺れ、気がつけばこっちに来てた。しかし、弟に敗れたおれは、自分でモミスケをやる気はなかった。そこで指導者となって、店の経営に乗り出すことにした。努力の甲斐あって、この四号店を出すまで成功した。ジローは向こうで、そこまで成功してないだろ?」


「オヤジのことはよう知らんけど、とにかくわしとイッチは、レイにモミスケされて、こっちに来てもうたんや。オーナーはん、そのツボ知ってまっか?」


「ツボ?」


「ツボは無限で万能なんやろ。その押し方によって、現実から夢の世界に人を送り込むこともできるっていう……知らん?」


「ああ、知ってる」


「ホンマ?」


「弟が、そういう技の開発にのめり込んでたのは知ってる。おれは弟ほどの技術はもってないが、やり方はだいたいわかる」


「じゃあ、こっちから向こうに戻すことも、ツボでできまっか?」


「理屈上はな。ただしやったことはない」


「やってくれまっか?」


「いや、断わる」


「なんでなん?」


「危険だ。無事に現実に戻れるという保証はない」


「試すだけ、やってくれへん?」


「そもそもおれに、それをやる気、元気、井脇がない。おまえはまだ、おれに一円も儲けさせてない。それどころか、制服とサンダルの借金が丸々残ってる。少なくともそれを完済して、店に百万くらい利益をあげたら、やってやってもいい」


「ほんなら、今すぐモミスケを教えてくれ。アホくさいコーヒー係なんかさせんと」


「うむ、いいだろう。おまえには特別に、おれが指導してやる。筋が良ければすぐにデビューさせてやってもいい。ただし、おれは厳しいぞ」


「ビシビシやっとくんなはれ」


「よし。そっちの小僧と阿部。今からこの小娘にレッスンするから、おまえらも一緒に来い。ほかのヤツらは解散!」


 古参兵とソバカスが、その場にヘナヘナと崩れた。よっぽど緊張しとったんやろう。変態オヤジは、まだ西川くんをやっとった。


 一階のマッサージルームに、タマちゃん、わし、イッチ、アホの四人で入った。


「阿部、ベッドに伏せろ。おまえには正直という病気がある。今からこの小娘にマッサージさせるから、悪いところは全部正直に指摘しろ。まずはおれが見本を見せる」


 太い親指をアホの背中に突き立てて、ぐりぐりねじ込んだ。


「どうだ? 達人と呼ばれた男の指は」


「まあまあですね」


「む……二十年ぶりだから少々錆びついたかな。おい、小僧。おれのやり方をよく見ておけよ。トッププロとド素人のどこがちがうか、あとでこの小娘に教えてやるんだ。さあ、小娘、自由にやってみろ」


 わしは玉城レイの手つきを思い出しながら、肩を揉んでみた。


「どうだ、阿部」


「むちゃくちゃ上手です。五十年に一人の天才です」


「本当か?」


「はい。オーナーより全然上です。ダンチです」


「マジかよ……また負けちゃった」


 タマちゃんが拗ねた顔をして、指をくわえた。


「ぐすん。もう教えることないや。ユー、やっちゃいなよ。カエルになって、デビューしちゃいなよ!」


 そう言うと、わしの胸からオタマジャクシのバッジをむしり取った。


「ついでに小僧も見てやる。やってみな」


 イッチがへっぴり腰で、アホの腰をさすった。


「どうだ?」


「まるでダメです。こいつはクソです」


「おれの手つきを見てなかったのか? 指の第一関節、ここで押すんだ」


 タマちゃんがイッチの手をつかみ、アホの背中をぐいぐい押させた。


「こんな感じだ。さあ、やれ」


「できません」


「なんでだ」


「今ので指が折れました」


「ふん、まったくカスだな。貴様は最低でも、十年は修行しろ。そうでなきゃとても一人前にはなれん。向こうに帰りたいなんてほざくのは、それからにしろ」


「折れた指は、どうしたらいいですか?」


「そんなかすり傷、唾つけて治せ!」


「はい!」


 イッチは素直に、指をチューチュー吸った。


「阿部、おまえはちょっと、休憩室でおれの肩を揉んでくれ。小僧は山岸について雑用。小娘、おまえはこの部屋で待機してろ。ちょろそうな客が来たらまわすように秋山に言っとくから、適当にやってみろ。全身コースは一時間、部分コースなら二十分、時計をよく見てそこだけ注意しとけよ」


 タマちゃんはアホとイッチを連れて出ていった。しばらくすると古参兵がやってきて、


「話はオーナーから聞いた。もうすぐ九時だが、今待合室に、開店前から待ってる客が五人もいる。なんにもやることのないジジイとババアだ。どうせボケてるに決まってるから、デビュー戦にはちょうどいい相手だ。ただし、骨は枯木みたいにスカスカだろうから、むちゃして折らないように気をつけてな」


 古参兵はそう言って出ていった。すると今度はサンマルチノが来て、


「おじいちゃんが入るわ。全身コース。ユエナちゃんなら絶対大丈夫よ。ガンバ!」


 サンマルチノが開けたドアから、タコ社長みたいな感じのじいさんが入ってきた。


「お嬢ちゃん、よろしくねー」


 竹中直人の笑いながら怒る人みたいに首を振りながら、いそいそとベッドに乗った。


 さてどうするんやろ。とりあえず、カメの絵がプリントされたタオルケットをかけた。


「お父さん、どないしよ。どこ揉んだらええ?」


「こないださあ、とおーっても面白いことがあったんだよ」


「なんでっか?」


「ところでボク、何歳に見える?」


「八十九」


「ボクはねえ、シベリヤで生まれたの。あそこはすんごく寒いよー」


 まったく会話にならん。ムカつくジジイやけど、なんにもせんと時間が経ってくれるのはありがたい。これで最後までいったら超ラッキーや。


「ねえ、早く揉んでよ。揉み始めてから時間を計るよ」


 トサカに来た。わしがオール巨人なら、まちがいなくパンパンや。


 でも、止めてくれる国分くんもおらんので、


「どこにいたしましょう」


 優しく言うたった。するとタコ社長は調子に乗って、


「足、足。それから手首の親指のこのあたり。あとお尻。それから手首の小指のほうも。あと首、ここよ、ネック、ネック!」


 生き急ぐみたいに注文した。わしは次々揉みながら、ひょうきんプロレスでやったろうかと思った。せやけど、たしか竜介はあれで大ケガした。わし申し訳ないけど、竜介になる気はない。どうせなるなら、でっかく島田紳助や。


「こないださあ、とおーっても面白いことがあったんだよ」


 タコ社長の話が戻ってきた。なんでっかと適当に相槌を打つと、


「相撲に行ったんだよねえ、大相撲。お嬢ちゃん、興味ある?」


「ありまっせ。ドルジとか好きや」


「そうかい。だったら今度、チケットあげるよ。ボク、手に入るから」


「おおきに」


「それでさあ、ゆるふん横綱っているじゃない。いつもまわしのゆるい」


「ゆるふん……あ、そっか。こっちの世界の力士はちがうんやな」


「まわしが落ちそうで落ちないスリルとサスペンス。あれが新しいってんで、新人類横綱とも呼ばれてるでしょ」


「知りまへんなあ」


「でもボク、せっかく高い金払って観に行ってるんだから、一度くらい外れてくれないと詐欺だなあと思ってね。落ちそで落ちない詐欺。ね? だからぼく、桟敷席で立ってさあ、落ちろって叫んだのよ。そしたらどうなったと思う?」


「落ちたんでっか?」


「もうお客さんみんながね、落ちろ落ちろの大合唱。そりゃそうだよね。誰だってハプニングが見たいもの。落ちろ、チャッチャッチャ、落ちろ、チャッチャチャ。北天佑のグルーピーみたいにでっかい声出してさ。そしたら横綱、がっぷり四つに組んだまま、きょろきょろし始めてね、巧みにまわしを外した」


「ホンマでっか?」


「うん、たしかにボクは見た。腰をきゅっと捻ってハラリと落とす。モロ出しで負け。八百長にはちがいないけど、あれは見事な神技だったなあー」


「偶然ちゃいまっか?」


「もちろん八百長だよ、八百長。テリーファンクの流血と一緒。そんでもって、天井仰いでぐっと唇を引き結び、涙を一筋流した。露出した悲しみと、しかしながら堂々としてなきゃならん綱の重みとが、あの涙と背中によーく出とった。あれぞ横綱。綱に求められる品格とは、まさしくあれだ」


「ようわかりまへんが」


「よっ、泣き虫横綱って、わしまた立ち上がって賛辞を贈った。綱がちらっとこっちを見て、ボクと一瞬目が合った。はにかんだようなそのロングフェースは、どこか誇らしげでもあった。客の期待に応えた満足感だな。横綱は万雷の拍手の中、まわしを肩に担いで、威風堂々花道を下がっていった」


 こいつはどうしようもない嘘つきや。きっと誰にも相手にされんようになって、こっちに落ちてきたんやろう。


「おや、もう時間か。時の経つのは早い。ありがとう、お嬢さん、また来るね。ところでボクは八十九じゃなくて、まだ八十六だからね。失礼しちゃうわー」


 ふざけんじゃねえバカヤローと、笑いながら怒って帰っていった。


 デビュー戦は終わった。果たしてあんなもんでよかったかいなと考えとると、


「おめでとう、ユエナちゃん。タマちゃんに報告しに行こ」


 サンマルチノに連れられて、男子の休憩室に行った。


「失礼します。オーナー、ユエナちゃんが――」


「わ、やめろ!」


「トールチャンッ!」


 わしとサンマルチノのあいだを、とおるちゃんが矢のように飛んでいった。


 タマちゃんとアホが、唇から血を流しながら、


「早く追いかけて!」


「いなくなったら五百万だぞ!」


 全員受付に走った。また自動ドアがあいとる。急いでドアから外に出ると、


「わっ、誰か死んでる」


 アホが叫んだ。わしは息を呑んだ。マッサージ館とハンバーガーショップのあいだの歩道にうつ伏せに倒れとるのは、まぎれもなくさっきのタコ社長やった。


「む、老人の行き倒れか」


 タマちゃんはタコ社長の身体を抱きあげると、指でまぶたを開いて眼球を覗き、ボールペンの先で黒目をちょんちょんつついた。


「ポックリ逝ったな。おい、阿部。面倒だから、ハンバーガーショップのほうに死体を寄せとけ。そしたら、あっちの店員が通報してくれるだろう」


 そう言って立ち上がったタマちゃんの頭に、とおるちゃんがどこからか飛んできて、サッと止まった。


「ピピー」


 この子が店から飛び出すと、必ず死体が見つかる。とおるちゃんの鳴く夜は恐ろしい、ピピー……って、まだ昼か。

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