第8話 大魔王ってか

 夢やった。


 つまり正解は、夢のままやったということや。


「六時だよ」


 ドアをノックする音と、イッチの遠慮がちな声が聞こえてきた。自分でも意外やったが、すぐに起きれた。慣れない環境で、眠りが浅かったんやろう。


 でも夢は見んかった。夢の中では夢は見んのかもしれん。せやなくとも、一日のスケジュールを考えたら夢見る暇もない感じや。


「おはよう。ついさっきイチゴ先輩が出勤して、これをユエナちゃんにって」


 もう制服に着替えた変態オヤジが、福袋みたいなでかい紙袋を差し出した。中を見ると、洗面セットや洋服なんぞが入っとった。


「おおきに。涙出るほど嬉しいな。でも兄さん、中触ってないやろな」


「しないしない」


「もし触ってたら捨てるで。兄さんの手、ベトベトやからな」


 変態がまたシュンとした。気持ち悪いくせに、傷つきやすいらしい。


「着替えたら食堂に集合。その中にメモ帳とペンがあれば持ってくるように」


 またカエルのかっこに着替えて、食堂に行って歯を磨いた。朝シャンする時間はなかった。イッチはメモを片手に、変態オヤジの後ろに直立不動で立っとった。


「今日はワタシが手本を見せるから、明日からはきみたちが全部やるように。いいね、一度しか言わないよ。まずは男性陣の朝食。主任のコーヒーはブラック。トーストにはバター。阿部先輩は濃いめのコーヒーに砂糖一さじ。パンはカリカリに焼いてイチゴジャムとブルーベリージャムをブレンド。永作先輩は牛乳たっぷり砂糖たっぷりのカフェオレ。パンは焼かないでピーナッツバターを山盛り。ワタシは紅茶に蜂蜜。トーストにはシュガー・アンド・マーガリン。メモした?」


「はい、山岸先輩」


「よし。今言った準備は、先輩が入ってきたらすぐに始める。ちなみに女性陣二人は通いだから、ここで朝食は食べない。ただし、早く来ておしゃべりすることもあるから、そういうときは紅茶かコーヒーを勧めるんだ。先輩が自分でやるからいいよと言っても、やらせてくださいと言ってやるように。そうしないと、なんで先輩にやらせるんだといって、あとで別の先輩に殴られるからな」


「はい、山岸先輩」


「おはよう、ユエナちゃん、一ノ瀬くん」


 休憩室で着替えてきたらしいサンマルチノが、朝からでかい声出して入ってきた。


「おおきに、姉さん。えらい助かったで」


 礼を言うと、またあの怪力でハグされた。


「姉さんのはただのハグやない。ベアハッグや」


「今日一日、頑張りましょ」


 不思議と、化粧の匂いも気にならんようになった。どうやらわし、サンマルチノのことを好きになったようや。


「あの、イチゴ先輩。紅茶かコーヒーを飲みますか?」


「ちがう! お召し上がりになられますかと言うんだ。これもメモ!」


「いいわよ、自分で淹れるから」


「いえ、ぼくにやらせてください」


「よし、いいぞお。もっといいのは、どうかワタクシめにさせてください、これも修行ですからと、頭をこう下げて――」


「山岸さんやめて、気持ち悪いから」


 ピシャッと言った。あのサンマルチノをイラつかせるとは、変態オヤジの嫌われぶりも大したもんや。


「おはようございまーす。あ、イチゴさんが自分でコーヒー淹れてる! 山岸さん、どうして後輩がやらないんですか」


 ソバカスが入ってくるなり、鬼の首をとったようにはしゃいだ。


「お願いです。どうかワタクシめにさせてください」


「やめて! 触らないで」


「山岸さん。おれっち今、自分でパンにピーナッツバター塗ってるよ。どうして先輩にやらせるの?」


「一ノ瀬やれ!」


「はい、山岸先輩」


「おはよう諸君。やあユエナちゃん。昨日は六十点なんて言ってゴメンね。よく見たら六十五点だった。ところできみがシャワー室に入ったら覗こうと思って待ってたのに、入らなかったね。今夜こそ覗くよ」


「ユエナちゃん、お風呂はうちのを使っていいわよ」


「おおきに」


「ギシさん、ぼくもう椅子に坐ってますよ。どうしてコーヒーが出てないんだろう? しっかしテメーは気持ち悪いな!」


 アホが椅子にふんぞり返って鼻をほじっとると、古参兵が入ってきて、


「みんな今日は急げ。朝の支度が終わったら、少し長めのミーティングをするぞ」


 ソバカスが眉毛を八の字にして、


「えー、どうしてですかあー」


「新入りが二人もいるからだ。それをオーナーにご報告申し上げたら、今朝八時に来館されることになった」


 そのとたん、ソバカスもアホもあわててパンをコーヒーで呑みくだして、下にすっとんでった。変態オヤジは紅茶も飲まんと、


「きみたちは、ここの後片付けをしたら、パンをかじってすぐ下に来い。ワタシは先に行って掃除してる」


 そう言って消えた。サンマルチノだけがゆっくりコーヒーを飲んで、


「みんな恐がっちゃってバカみたい。タマちゃんなんて、赤ちゃんみたいなもんなのに」


「おはよう。どうしたのかしら、うちの男ども。召集令状でも来たの?」


 マッカーサーがだるそうに入ってきて、椅子に坐って煙草を喫った。


「コーヒーか紅茶をお召し上がりになられますか?」


「いいのよ、坊や。あたしにはこれがある」


 スキットルを出して、なんかをクピクピ飲んだ。ふーっと吐く息が酒臭い。


「立ってないで坐ったら。朝食まだなんでしょ」


 マッカーサーに言われても、イッチはモジモジしとった。遠慮しとるんやろう。わしはさっさと袋からパンを抜いて、サンマルチノの向かいに坐った。


「イッチも食わんと、あとで腹減って倒れるで」


「わ、イッチだって」


「いいわねー、付き合ってるの?」


「そんなんちゃうけど、コラ、赤くなんなや。だから誤解されるねん」


「あの……男性陣のみなさんは、下でなにをされてるんですか?」


「掃除よ。オーナーが来たときはチェックされるの。よくドラマで、姑が障子の桟を指でなぞるでしょ。あれを本当にやるの」


「じゃあぼくも行きます。ユエナ、後片付け頼む」


 結局なんも食わんと出ていった。


「いい子ね。早くつかまえなさい」


「別に、友だちでええんちゃう?」


「ダメよ。こっちにはさ、みんな一人で来るでしょ。誰も身寄りがなくて孤独。だから寄り添う人が必要なのよ。あなたには、最初からそれがいるじゃない」


「せやけど、あいつの胸ん中には、別のおなごがおんねん。わしとちごうて無口な女が」


「あなたはどうなの? 好きなんでしょ、彼のこと」


「ちーと頼りないかな」


「あら、見る目ないのね。彼は大きい子よ。ここの誰よりも」


「そうでっか?」


「結婚しなさい。わたしたち二人が、仲人やったげる」


「気の早い姉さんたちやな……でもわし、幸せになる気ないねん」


「はあ? どういうこと?」


「けがれとるから。男つくる資格なんてないんや」


 キッチンに立って、ポットからお湯をついでコーヒーを淹れた。突然、母親の男に触られた場所に、この熱湯をぶちまけたくなった。


 振り向くと、姉さんたちがじっと見とった。わしはサンマルチノに、


「オーナーはんて、どんな人でっか」


 訊いてみると、マッカーサーのほうが答えた。


「昨日の夜、うちに来たわ。叩いてほしいって言うから、平手打ちしたり、頭踏んだりしてあげたけど」


「叩く? なんでっか、それ?」


「そしたらお小遣いをくれるの。アパート代も払ってくれる」


「叩くだけで?」


「そうよ。それがストレス解消になるらしいの。わたしにはよくわからないけど」


「おとといはうちに来たわ。ミルク飲みたいって言うから、哺乳瓶で粉ミルクを飲ませてあげた。そしたらバブバブ言って喜んでた」


「そんで姉さんにも小遣いを?」


「給料よりたくさんね。今度、ユエナちゃんにもやらせてあげる」


「わし無理や。おじさんには触られへんねん」


「大丈夫よ。いい子でちゅねー、ゲップしまちょうねーって言ってりゃいいんだから」


「それか、この醜い豚、なんで生まれてきたんだって唾吐いて、踏んづければいいから」


 変態オヤジを上まわるド変態や。どんなストレスがあるかは知らんが、こっちに落ちてきた理由はわかる気がした。


「これは男性陣には内緒よ。しゃべったらクビ切られて、援助もなくなっちゃうから……あ、タマちゃんのベンツの音がした。まだ七時じゃない。掃除がちゃんとできてるか、抜き打ちチェックするつもりね」


 姉さんたちが出て行った。わしも、急いでカップと皿を洗って下に降りた。


 受付で、全員直立していた。まるでヤクザが親分迎えるような雰囲気や。わしはイッチの後ろにそっと立って、自動ドアのほうを見た。


 ぎょっとした。


 ウィンと開いたドアのところに立っとるのは、レイバンのサングラスに、サンローランのジャケット、ビギのパンツ……ありゃ親分やない。まんま兄貴や!


「おはようございます!」


 古参兵の号令で、みんな腰を九十度に折った。するとタマちゃんは、ロックスターみたいに両手を広げ、


「よう、みんな。ハッピーかい?」


 わしは前にこけてイッチにぶつかった。セリフが兄貴とちゃうやんけ!


「レディース・アンド・ジェントルメン。アンドお父っつあんおっ母さん」


 もうむちゃくちゃや。いくらなんでもベタすぎる。


 せやけど誰も笑ってない。それが逆に怖かった。


「おこんばんはー、おジャマします、パッ、早乙女主水之介」


 わしの横で、ソバカスがプルプル震えとった。たぶん極度の恐怖のせいや。


 タマちゃんは、ソバカスに目をとめた。ゆったりとした足どりでソバカスの前に行くと、耳元で一発、


「ホーホゲギョ!」


「ひいっ!」


「どうも、黒鯛チヌ夫です。明日きみは休みをもらいなさい。そしてわたしとチヌ釣りに行くんだ。朝四時に迎えに来るように」


「ありがとうございます!」


 ソバカスが頭を下げすぎて膝に頭をぶつけ、気を失った。見ると、制服の股のところが濡れて黒いシミになっとった。


 タマちゃんがグラサンをとった。目のまわりにラメがあるかと思ったが、それはなかった。ただし目力はすごくて、全盛期の青空球児か、鈴々舎馬風を思い出した。あ、それでカエルか!


「そのションベンたれを二階に運べ。今から貴様らの部屋をチェックする」


 誰かの息を呑む音がした。みんな一階の掃除はしたが、二階は手付かずやった。


「まずはここから。これは誰の部屋だ」


「自分であります!」


 古参兵が答えた。その顔はもう血の気を失っとる。


「なんだなんだ……脱いだ服がそのまんまで、スナック菓子もこぼれて」


 言いながら、散らかったものを次から次へと手で払って床に落とすと、


「このアニマルッ!」


 古参兵の頬をビーンと張った。古参兵はふっとんで、ベッドに鼻血を撒いた。


「殴られなきゃできないヤツは動物だっ! おれは貴様らの飼育係りじゃない。早く人間になってくれ!」


 続いて、目をぎらつかせながら例の姑をやり、


「秋山くん、この埃はなにかね?」


 指先を古参兵の顔に突きつけると、


「食え。自分できれいにしろ」


「いただきます!」


 パクッと指をくわえた。もはや狂気の域や。


 息を吹き返したソバカスが、アホと先を争って部屋に飛び込み、あちこち拭っては埃をパクパク食った。


「掃除はもういい。全員集合しろ」


 食堂に集まった。仕事前なのに、もうみんな疲れた顔をしとる。


「よく聞け。貴様らはクソひりマシンだ」


 一人一人を粘っこくにらむ様子は、ちょうど大喜利メンバーを威圧する、ハリセン大魔王そっくりやった。


「メシを食って、クソを生むことしかできない。メシを食えるのは誰のおかげだ、阿部」


「オーナーであります!」


「感謝したいと思わないのか?」


「思います!」


「ならどうして本気で働かない。本気出せって言ったよね? ぼくをバカにしてる?」


 この威圧感は完全に馬風を超えとる。佐山サトルのシューティング教室や。


「貴様はアホすぎて、向こうではどこにも就職できなかった。そうだな?」


「そうです!」


「それを雇ってもらえるだけで、涙が出るほど嬉しいはずだ。そうだろ?」


「そうです!」


「ならもっと働け。今月は先月の二倍稼ぐんだ。それから秋山」


「はい!」


「おまえは向こうでマッサージの仕事をやって、セクハラで逮捕された。もうこの業界では働けない身だった。それを雇ってやったのは誰だ?」


「オーナーです!」


「それを感謝してるんだったら、もっと部下を教育しろ。あと永作……やっぱおめえはいいや」


 やり口が、佐山サトルから猪木会長に格上げされた。


「山岸は幼女誘拐の常習犯、ペンネーム花畑イチゴは自作の詩集が売れずに放浪、菊池クミはサバイバルゲームにハマって借金まみれ。どいつもこいつも極めつけのカスだ。それをまとめて面倒見ようなんて慈善家が、おれのほかにいると思うか。よく聞け新人」


 目玉がギョロッと、わしとイッチを見た。


「まだイロハのイの字も知らんうちから、メシを食わせてやろうというんだ。おい小僧、肋骨は何本だ」


 突然のクイズに、イッチは口をあふあふさせ、


「ろ、六本!」


「ギーロッポン、っておい! JBじゃないんだ。菊池、教えてやれ」


「……百億?」


「ビフィズス菌か! 貴様らホントにポンコツだな。おれが次来るときまでに、骨の名前を全部憶えておけよ。まちがえた数だけ秋山を張り飛ばすからな。それから小娘」


 わしの番が来た。


「女は憶える仕事が多いぞ。マッサージのほかに、受付や経理もやってもらう。せんよんひゃくはちじゅうわるよんかけるじゅうにはなんだ」


「わかりま千円」


「ゼッコーモン、ってコラ! 五十過ぎの男に茶魔語を言わせるな。今の数式は、一日十二時間びっちりマッサージをやったときの貴様らの取り分だ。それがどんだけ恵まれてるかよく考えろ。おれが若いときなんかは、月二、三千円でこき使われたもんだ。仕事を教えてやる授業料だといって、給料のほとんどをピンハネされてな。あー、おれはなんて優しいんだろう。神様みたいに見えてこないか、なあ小娘」


「知らんがな」


 わしは言った。真正面から目玉をじっと見て、


「昔どんだけ苦労したか知らんが、あんたちょっと威張りすぎやで。多摩川行ってちっと頭を冷やしてきたらどや、タマちゃん」

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