第6話 死体は踏むもんや

 ベタベタな詐欺や。


 こんなもん、警察に言うたらしまいや。せやけど、こっちの警察はアテにならん。弁護士を呼ぶ金もない。身寄りも知り合いもない。わしらの立場を考えると、どうやら泣き寝入りっちゅうことになりそうや。あー、アホらし。


 おんなじ結論に達したんか、イッチが覚悟を決めたように、潔く土下座した。


「許してください。お金はないです」


「金がなかったら、誠意を見せてもらおう」


「皿洗いでもなんでもします。だから、この子だけは帰してやってください。身体で払えとか、売り飛ばすとか、クスリ漬けにするとかはどうかご勘弁――」


「アホウ! ぼくがヤクザに見えるか。それにうちは料理屋じゃないぞ」


「じゃあどうすれば?」


「住み込みで働け。そしたら給料が出る。その中から、一万円をぼくに返せばいい」


 ん? 住み込みで働く? ちゅーことは、野宿せんでも済む。なんや、向こうから、ラッキーが転がり込んできたで。


「あの、わしも、お世話になってよろし?」


「もちろん。二人まとめて面倒見よう」


「よかったな、イッチ」


「ちょっと待ってよ、ユエナ」


 イッチがわしのブレザーの袖を引いて、耳元でこそこそ、


「やめようよ。ここ絶対、ブラックだよ」


「ならほかにあるか?」


「隣のハンバーガーショップは?」


「住み込みは無理やろ。それに、さっきの駐在も、条件のいいとこなんかない言うてたやろ。せやったら、ここにおったら、マッサージの達人らしいオーナーはんに会う機会もできる。どや?」


「まあ、ユエナが良ければ……」


「決まりや」


 二人とも雇ってもらうことにした。すると古参兵は満足そうにうなずき、


「こっちの世界のいいところは、法律にやかましくない点だ。たくさん稼ぎたければ、一日二十四時間働いてもいいし、何歳から働いてもいい。めんどくさい契約書なんかも交わさなくていい。あと本当は、お客さんにマッサージするには国家資格が要るんだが、そういう細かいことも無視していい。どうだ、とっても楽だろう?」


 イッチは暗い顔して黙っとったから、わしが適当に相槌を打った。


「そうでんな」


「ただし、人様の身体に触ってお金をもらうんだから、最低限の人体の知識と、プロとしての技術がないといかん。ところがそれもなんと、ぼくたちがただで教えてあげる。どうだ、嬉しいだろう?」


「さいでんな」


「その研修を、さっそく今日から受けてもらう。時給が発生するのは、それに合格してからだ。あんまり覚えが悪いと、デビューできないこともあるよ。が、たとえデビューできなくても、住み込みは続けてよろしい。どうだ、慈悲深いだろう?」


「ほうでんな」


「じゃあさっそく白衣に着替えてもらおう。彼氏は男子の休憩室で、彼女は女子の休憩室で着替えてから、ここに戻ってきて。永作、彼氏を案内して」


 それから古参兵は、サンマルチノを呼んで、いろいろ指示した。サンマルチノはわしの手をとると、スキップで休憩室に連行した。


 その部屋に入ったとたん、テレビがあんのを発見して、わっと声が出た。


「テレビある! もしかして、お笑いもやっとる?」


「お笑い? たくさんあるわよ」


「わー、やった! 番組は、向こうとおんなじ?」


「たぶんね。今流行ってるのは、面白ポンかな」


「面白ポン? 芸人はん、誰出てまっか?」


「力道川とか、ふんころがしとか、半ば達郎とか」


「ふんころがし……おもろいでっか、それ」


「とってもね。こんどビデオに撮っといたげる。休憩時間にいつでも観ていいよ」


「おおきに。ちなみにやけど、スマホで動画観たりとかはできん?」


「残念。こっちの世界には、スマホどころか、ガラケーもパソコンもゲームもないの。固定電話はあるけどね」


「なんで?」


「ああいうのを開発できる技術者たちは、言ってみればエリートでしょ。そんな人たちは落ちてこないのよ。だからこっちには、それを作る人がいないってわけ。ま、ないならないで、わたしはすぐに慣れちゃったけどね」


 えーとサイズはと言いながら、サンマルチノがロッカーから服を出してきた。ガチャピン色のカエル服。壁のほうを向いてそれに着替え、仕上げにカエル帽もかぶったとき、なんや知らんが妙に気分が高まってきた。


 まるで、芸人デビューするみたいや。


 コスチュームを着て仕事するっちゅうことに、こんな状況で不思議やが、晴れがましさみたいなもんを感じてもうた。


 普通やったら、このかっこは羞ずかしゅうてたまらん。が、ここではそもそも、羞ずかしさを感じる相手がおらん。アホばっかや。どうせ脳たりんのほとんどビョーキ連中しかおらんのやから、堂々とやったらええ。やったるで、わし。世の中に出たるねん。今日がその第一歩や!


「すごい似合ってる。パチパチパチ。あなたお名前は?」


「奥川ユエナ。姉さんは?」


「花畑イチゴ。イチゴちゃんって呼んでね」


 おまえはサンマルチノじゃ、この嘘つき女。わざわざ袖をまくってリストカットの痕をさらしてからに、と思いながら、腕の横線をイチ、ニと数えとると、


「トールチャンッ!」


 突拍子もない声が聴こえてきて、思わず部屋をぐるっと見た。


「なんや、ちっちゃいばあさんでもおるんか?」


「ちがうわよ。とおるちゃん、どこー」


 サンマルチノが大声出して呼ぶと、ピピッという音がし、ロッカーに下がった制服の中から、小鳥がひょこっと顔を出した。


「わ、インコや」


「トールチャンッ!」


「へえー、かわいい。あんた、とおるちゃんいうんか」


 よう見ようと顔を近づけると、その子は服から飛び出して、わしの肩にぴょこんと止まった。全身青色で、くちばしがほんのり桜色をした、体長十五センチくらいの、くるよ姉さんくらいかわいいインコや。


「コザクラインコのとおるちゃんよ。この店のマスコット」


「店で飼ってるんでっか?」


「オーナーが動物好きでね。一号店ではヒューマンジーのオリバー、二号店ではワニのカイマン、三号店ではイグアナのタモリを飼ってるの」


「タモリを飼うなんて、赤塚先生みたいでんな。オーナーはんて、優しい人なんや」


「タマちゃん? そうね……根は優しいのかも」


 するととおるちゃんが、わしの唇をチョンチョンついばんできた。


「ひゃは、痛くすぐったい」


「急に咬むから気をつけてね。みんな一度は、唇を血だらけにされてるから」


「ココデワラワナイト、モウワラウトコナイヨ」


「わ、おしゃべりも上手」


「天才なの。迷い鳥だったんだけど、オーナーが捕まえてこの部屋で飼うようにしたら、どんどん言葉を覚えちゃって」


「ワスレテチョウダイ、ワスレテチョウダイ~」


「この子欲しいわー」


「さ、着替えたら行くよ。あと、胸にオタマジャクシのバッジをつけて。ただ今研修中のマークだから」


 マッサージルームに戻ると、古参兵はおらず、イッチとソバカスと、さっきすだれ髪のおっさんをモミスケしてたメスガエルが、ベッドや椅子に坐っとった。


 制服に着替えたイッチのまわりは、どんよりと暗かった。まるでラブアタックで、かぐや姫に奈落の底に落とされた、みじめアタッカーみたいやった。


「そんでさ、おれっち、殺人以外の悪いことは、全部やったんだ」


「ふーん」


 ソバカスが神妙な顔つきで、女としゃべっとる。女は気だるそうに、脚を組んで煙草をくゆらせとった。


「クミさんは、なんか悪いこと、した?」


 女はカエル帽をとると、髪を掻きあげながら、


「戦争」


 言うた。やっぱりこいつもアホや。おまえは元帥かいいうことで、仇名はマッカーサーにした。


「戦争か。大変だったね」


「そうよ。仲間が目の前でバタバタ死ぬしね。わたしは捕虜の虐殺にも加わった」


「そんなことして、お母さんに怒られなかった?」


「別に」


「おれっちは親に怒られてばっかりで……で、最後は見捨てられて、刑務所に面会にも来てくれなかった」


「帰る家がなかったのね」


 マッカーサーが、紫の煙をぷーっと吐いた。


「クミさんの親って、どうだったの?」


「自由にさせてくれたわ。わたしが戦争なしじゃ生きられないことを、よく知ってたのね。言われたことはただ一つ、生きていてくれさえすりゃいいって」


 イッチの身体が、ビクンと跳ねた。


 わしは、イッチの坐っとる横に立った。


「どうしたイッチ。なんでそないな暗い顔してんねん」


 イッチは、たこ八郎くらいゆっくりしたモーションで顔を向けると、


「秋山さんが、この服、一着四万円だって」


「ほー、高」


「そんで、毎日クリーニングに出せって。クリーニング代は全部こっち持ちで。このシステムだと、ぼくたち一生ここから抜けられないよ」


「しゃーないやん。十五でなんもできんわしらを、雇ってくれるだけでもありがたい思わんと。まずは仕事を覚えるこっちゃ」


「……ユエナって、前向きだね」


「目が前についとんのはそのためや。よう見てみい。まわりはクズだらけや。わしらこん中じゃエリートやで。絶対出世する」


「そうかなあ」


「わしを信じんしゃい」


 ドン、と胸を叩いたときやった。制服の腹のところについたポケットから、


「トールチャンッ!」


 コザクラインコが、ひょっこり顔を出した。


「なんやあんた、わしのポケットに隠れとったんか」


「とおるちゃん?」


 ふと見ると、イッチがなぜか、怯えたような顔つきでとおるちゃんを見とった。


「……どうしてこの子、ぼくの名前を?」


「ああ」


 それで思い出した。イッチの下の名前はトオルやった。どの漢字だったかは、まだ思い出せんけど。


 すると、突然ドアが開いた。


「お待たせお二人さん。きみたちに支給するサンダルを持ってきた。特別におまけして、一足二万円にしてあげよう」


 古参兵が両手にサンダルを提げて立ってると、とおるちゃんがバサバサッと飛んだ。


「あれ? なんでここにいるんだ」


 目を丸くした古参兵の脇を抜けて、とおるちゃんが廊下に出た。


「わっ、まずい! 誰か捕まえろ。いなくなったら、きっとオーナーに三百万円は請求されるぞ!」


 みんな部屋から飛び出した。とおるちゃんとおるちゃん言いながら追いかける。


 しかしとおるちゃんは、一直線に受付に飛んで行き、間悪く、客が来て自動ドアが開いた隙に、夜の街へと消えていった。


「ダメだ、おしまいだ。ぼくはこれで一生ただ働きだ」


「あきらめなさんな、主任はん。鳥には帰巣本能がある。きっと帰ってくるで」


「なに呑気なことを。悪いのはきみだぞ。責任取れ!」


 と、星空の彼方を茫然と見あげていたイッチが、


「もしかして……もしかして」


 うわ言みたいにつぶやくと、突然走って道路を渡った。


「待て、イッチ。どこ行くんや」


 追っかけた。イッチはぐんぐんスピードを上げていく。カエルのかっこをした二人が追いかけっこしとるのを、道行く人が不思議そうに眺めた。


 しまいに道から、人がいなくなった。


「コラコラ。寂しい場所行くな。さっき危ない言うたばかりやろ」


 イッチは走るのをやめない。なんだ坂こんな坂とのぼっていく。もう限界や、ついて行かれへんと思うたとき、イッチがどこに向かっとるかに気づいた。


 空海の松や。


 昼でも暗い林の中に飛び込んでいった。わしには怖くて無理や。巨人が身を寄せ合って聳えとるような松の木を眺めながら、わしはなすすべもなく立ちつくした。


 と、しばらくすると林の中から、


「お父さーん、お父さーん、どこー」


 半べその声が響いてきよった。


「ねえー、すっかり忘れてたけど、ピヨちゃんが帰ってきたよー。こっちの世界に逃げてきたみたーい。お父さんもいるんでしょー、出てきてー」


 その声は、完全に小学生の男の子になっていた。


「ねえーってばー、生きていてくれさえすりゃいいんだよー、生きていてくれさえ……くそおっ! 勝手に死にやがってえ! ぼくも死ぬぞお。ぼくは決めた。お父さんと同じ三十歳になったら、ここに来て、首をつって死んでやる!」


 わしは林の中に入っていった。足が勝手に前に進む。


 イッチはすぐに見つかった。巨木の幹に頭突きして、ぼこぼこ殴り、わーわー声をあげて泣いとった。


 かわいそうに。


 きっとイッチは、六歳のころから、ずっと泣くのを我慢してたんや。泣き虫のおかんに遠慮して。それが、こんな形で爆発した。


「よしよし、イッチ。気が済んだか。あんまりパチキはあかんで。アホの坂田みたいになるよってな」


「あのね、ピヨちゃんは、ぼくんちで飼ってた鳥なんだ。自分の名前を憶えなくて、ぼくの名前を憶えてさ。それで、お父さんが死んで、お母さんがなんにも世話しなくなったら、あるとき飛んでっちゃったんだよ。ぼく思い出した」


「えらい、よう思い出したな。さ、帰ろ」


「だからこっちには、向こうで見つからなかった迷い鳥が、きっとたくさんいる。それから、死んだと思ってた人間も」


「あんたのおとんは、ちゃんと葬式も出したんやろ」


「でもね、生きていてくれさえすりゃいいよって、言ってあげればよかったんだ。そうしたら死ななかったよ。だからぼく、それを言いに来たんだ」


「六歳には無理や。済んだことはもうええ。あんたがその分生きろ」


「ううん、ぼく死ぬよ」


「なんでや」


「お父さんの子だもん。いつかきっと自殺する」


「コラア、なに甘ったれたことぬかしとんのじゃあ!」


 わしは思わずカッとなり、イッチの胸ぐらをつかんだ。


「おとんが三十で死んだら、わしは三百まで生きたるわいって、男ならなんで思わんのじゃ。親の屍踏んづけて進むんが、子の務めやないけ!」


 イッチの後頭部を、ガンガン木の幹に打ちつけた。するとイッチは目をまわし、


「あ、よいとせのこらせ、あ、よいとせのこらせ」


 ホンマのアホになった。わしはそれを引きずって、マッサージ館に帰ろうとした。


 そんときやった。


 暗い中で、なんかを踏みつけた。


 その感触にぎょっとした。本能的に、人のような気がした。


 ぞくりとしながら見おろす。ズボン――シャツ――顔――すだれ髪。


「おわあ!」


 死体やった。わし、屍踏んづけてもうた。


「自殺しとる、おっさんが! だからここ来るの嫌やったんや」


「ま、待ってよユエナ。どうして自殺なの? 首にロープとかないよ」


「知らんがな。毒でも食らったんやろ」


「警察呼ぶ?」


「アホンダラ! あんなん呼ぶなら落語家呼んだほうがマシや。それにどっちみち、スマホは使えんしの」


「まだ生きてるかもしれない。急いで病院に行って知らせよう」


「絶対死んどるって。触って温度確かめてみい」


 こんなとき、イッチは意外と度胸あった。おっさんの顔にまともに触れ、


「うん、氷みたい」


「ほれ見い。とにかく自殺や。こんな場所で自然死なんて、どう考えても不自然やろ」


「ここに来て死ぬんだったら、首つりを選ぶと思うけどなあ。ぼくはこれ、よそで殺されて、犯人に棄てられたんだと思う」


「……なんやて?」


「殺人だよ。ヒトゴロシ。ゴロゴロあるって言ってたじゃん」


「ほ、方法は?」


「さあ。案外穏やかな顔してて、血も見えないけど、服を脱がしたらピストルの痕とかあったりして」


「なんでこないに無害そうなおっさん殺すねん。動機はなんや」


「ぼくに訊かないでよ。ユエナ、ホームズの生まれ変わりなんでしょ」


「賃貸のホームズ言うたんじゃ! こんなん推理できるかい。早よ帰るで」


「そうだね。犯人がまだ近くに潜んでるかもしれないしね……サイコパスが」


 サイコ聞いたとたん、アンソニー・パーキンスの顔が浮かんで、一目散に逃げた。


 逃げながら、あのおっさん、マッカーサーの客によう似とったけど、同一人物かな、それともただ単に、あの髪型がこっちで流行っとるだけかなと考えた。


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