亜神抄・如意変(笑顔)

 左掌から刀を抜き放ち、礫を両断しつつ対峙する女を睨みつける。

 焼け野の臭い。逆巻く炎。嗅ぎ慣れた死。踊り手は二人。他に生きているものはいない。

「いいねぇ、久しぶりに見たよあんたのその表情!」

 何を笑っていやがる。

「昔から思ってたんだぁ、あんた、いっつも澄まし顔でさぁ。それを崩してやりたいって、ずぅっと思ってたんだよ! なぁ、わかるだろう!?」

「お前、仲間が死んだってのに、なんとも思わないんだな」

 一度入った修羅道は、なかなか逃してはくれない。もしかしたら、永遠に。

「仲間、ねぇ。お荷物みたいなもんさあ、仕事をとって来ちゃくれたけど、使いもんになると思ったことはないよ」

 だからさぁ、とそいつは続ける。蜘蛛の如く伸びた手足。関節が普通の人間よりも一つずつ多い。爛々と光る巨大な目が二つ。化け物め、というのは簡単だ。

 だが、それ以上に化け物染みているのは。

「だからさぁ、九号。もう一回だけ言うよぅ。あたしと組もうよぉ、お前とならもっと簡単に上手くやれる。色々できる。お互い抜け忍だ。行く先なんてないだろぉ?」

「断る」

「なぁんでだよぅ……なんでわかってくれないん……だっ!」

 突っ込んでくるそいつに、溜息と刀一本で応じる。



「おや、薬師様。峠越えで御座いますか」

 緑苔生す石に腰掛ける老婆に声をかけられ、そちらを向く。会釈一つを返し、

「えぇ、そのつもりです。峠向こうの村までどれほどありましょうか」

 山菜籠に鈴のついた杖。この辺りは歩き慣れていると見て尋ねてみる。

「あら、女子の薬師様でしたか。これはこれは」

 女の独り旅はとても珍しい。それもそうだ。未だ戦乱治まらぬ世。例え髪を短くしても、一声喋れば喉で解ろう。

「歩き巫女ではありませんよ。正真正銘、薬師です」

「それなら尚更、この先今日進むのは止めておきなさりませ」

 細い目を更に絞り、彼女は言う。

「何事か理由が?」

「それがですね、最近このあたりに落ち武者崩れの破落戸が現れるようになりまして」

 それは。

「困ったな」

「もし、よろしければうちにお泊りください」

「宜しいのですか?」

 勿論、と笑顔。その破顔に甘えることにした。

 来た道を振り返る。緑。峠の根本に畦道。里と言い得るほど人の手は入っておらず、さりとて野山とも違う。山と人との境が曖昧なまま、長閑さがそよぐ。

 老婆の鈴の音に連れ立って、オレは草履を踏みしめた。


「そういえば聞いておりませなんだ、薬師様」

 沈みかけの太陽は朱く、たなびく雲を朱に染める。植った柿の木はまだまだ青く、とても食べられそうには無い。晩夏の晴れ空は澄み渡っている。

 背中に薬師棚を、胸元に老婆の背負っていた籠を抱えて歩く己に、老婆が訥々語りかけてくる。

「何を、でしょう」

「薬師様、なんとお呼びすれば」

 嗚呼、と呆けた声が出てしまう。

「薬師で結構で御座いますよ。名乗るほど大層な者ではありません」

 名前。そうだな。普通は聞くだろう。世間一般に溶け込むのは大層苦手だ。

「では薬師様。夕餉は何に致しましょう」

 にこにこと。何か嬉しいのだろうか。

「頂き物に注文をつけるわけには……余り物で……いえ、屋根を貸してくださるだけで結構なのですが」

「左様ですか……」

 そう萎まれると、こちらも恐縮してしまう。

「その、お婆様」

「はい」

 再びの笑顔。

「あ、いえ。その。何故斯様に親切にしていただけるのでしょう」

「……今夜の宿に着きましたよ、薬師様」

 曇った笑顔は一瞬で、何処かに隠れてしまった。

 人と関わるのは、難しい。


 己が荷物を降ろし、手足を浄る間に老婆は早速と煮炊きを始めていた。

「ありがとうございました。川以外での身を洗うは久しぶりでして」

「それはそれは。ようございました」

 言いながら、採ってきた山野の菜をほとんど鍋に入れてしまっている。くつくつと沸始めた鍋からは、穀物のいい匂い。一度炊いたものを入れたのだろうか。人の食べ物はいつぶりだろうか。

「随分と多く……倅様がいらっしゃるのですか?」

「いえね、娘とその許婚は戦で亡くしてしまいまして。爾来、婆一人暮らしでございます」

 言葉に詰まる。弁が立つとは決して言えないが、今は殊更に窮する。

「それは……申し訳ないことを……」

 己が謝ってどうなるものでもなかろうに。

「いえいえ、謝ることなんてなんもありはしませんよ。それにね、ちょうど薬師様と同じくらいだったのですよ。うちの娘は」

 だからなんだか、あの子が帰ってきたみたいで嬉しくなっちまってね、と。その小さな背中は語る。

 なら、随分と若い身空で亡くなったのだろう。

「薬師様、旅の疲れがある中すいませんねぇ、こんなしわくちゃ婆の世間話に付き合っていただいて」

「いえ、お婆様。……何か、お手伝いすることは御座いませんか?」

 だから、罪滅ぼしにもならないままごとを。

「それじゃあ、お椀とお箸を二膳お願いねぇ」

「はい」

 己がこんなことをしても、娘夫婦は還って来ない。そんなことは解りきっている。それでも。


「薬師様はどうしてまたこんな辺鄙な田舎に?」

 鍋を囲み、菜をつつき、歓談と団欒に耽る。

「都から逃れて来たのです。戦だのなんだのというのが嫌になりまして」

「それはそれは。傷付くのも、傷付けるのも、お嫌でございますか」

 好き好む者もいるのだ。己はどちらか、そう問われても、すぐに答えが出るものではない。だが、今だけは、今だけでも。

「勿論です」

「まぁ、すいません。当たり前の事を聞いてしまって。歳は取りたくありませんね」

 ふふ、と笑う老婆の皺に塗れた貌は、まるで大樹のよう。

「私も、お婆様のように歳を重ねられればいいのですけれど」

「大した婆じゃありませんよ、ただの田舎者です」

 さて、もう一杯いかがですか、と空になった椀を指していう。

 あなたのような者こそ真に尊いと、解らぬ者もたくさんいるのです。その言葉を呑み込んで、照れ臭さを無言で包んで、使い古された椀を差し出す。



 日の出る前に、礼の薬を数袋と一筆を置いて仮宿を抜け出す。

 薬師棚は当然の如く触れられていない。それどころか、葉で包んだお握りが三つ置かれている。ここにずっと居たかったと後ろ髪惹かれる思いを振り解くため、朝霞を大きく吸い込む。

(都とは大違いだな)

 あちらであれば、背嚢丸ごと盗まれていてもおかしくはないだろう。なんなら毒を盛られていないほうが不思議だ。

 峠道をとぼとぼと歩けば、緑は露に濡れ、朝霧晴れず峠の頂は見えない。例え視界が無かろうとも困ることはほとんどないのだし、折角だからと芽吹く香りをいっぱいに堪能する。


 昼より前には頂に立っていた。道中の地蔵はよく手入れされていたものが首を切られており、成程夜盗の類に腕自慢がいるらしい。

(まぁ、関係なかろう)

 真昼間に堂々と襲い掛かってくるようではたかが知れている。

 来た道を見下ろす。遠目に二、三、ぽつりぽつりと家々。

 行く道を見下ろす。港町が広がり、貿易の要所というのは変わっていないのだな、と感慨に浸る。

 もそりもそりと頂いたお握りを口に流し込み、これほど美味い食事は当面無かろうと苦笑。

 さぁ、歩こうか。


 港町に着く頃には、日も傾いていた。緑豊かな峠の侘しさは欠片も無く、人々がごった返している。

(紛れるには良いか)

 どうしたものかと道の端で立ち竦む。ぐぅ、と鳴る腹を抱えて、飯屋を探そうと歩を進める。


「へい、お待ち」

 配膳人に頭を下げ、なるたけ喋らぬよう気を付ける。入り口近くの席を取ったは良いが、混み入っていて相席だ。

「お、兄さんも蕎麦かい」

 向かいの席には気の良さそうな男。

「えぇ、まぁ」

 気さくに話かけてくれるのはありがたいが、女だと知れると面倒が増えやすい。こういう時に我が身を呪ってしまう。

「なんだい若いの、澄まし顔で女にもてるのは三十前までだぞう。折角佳い面してるんだから、もっと笑え笑え」

 あはは、と愛想笑い。奥手故にこの手合いは苦手だ。

「おう知ってるかそういやぁ」

 身を寄せて、憚るように手を当てて小声。

「な、なんです」

「峠向こうで賊が出たってぇ話よ」

「あぁ、昨夜も聞きました」

 あの老婆は無事だろうか。まぁ、盗まれるようなものは何もなかったし、大丈夫だろう。

「それがなんと今日の昼間。野菜だのなんだの仕入れるために行ったら、近くの里が燃えててよう」

「それは……惨いことを……」

 絶句する。盗る物など何も無かろうに。

「世も末だよなぁ、まだ偉いのは将軍様か天子様かと揉めてるんだろう? そんなことより下々を賊から守るのが上のお役目ってぇやつだろうに」

「その、賊は何故あんな何もないところを?」

 さぁなぁ、と両手を頭の後ろで組んだ男。

「誰か探してるみてぇだったけど」

 それは、もしや。

「九号? だっけな。いやな、俺も見つかるのが怖くて、荷物捨てて飛んで帰って来たんだよ」

 オレだ。なら、それはただの賊ではない。


 久しい夜駆けは楽しくもなんともない。一歩踏み出す毎に、ただ焦燥感と罪悪感だけが積み上がっていく。行きと帰りとでは大違いで、昼間通った淡緑の山野も今は夜に包まれ深い常盤色。風景を楽しむ余裕などなく、ただ身一つで疾駆する。

 峠の頂から見えた風景は、己を修羅道へと還すに充分な炎だった。



 男が数人。その中に一人だけ、異様を放つ女が一人。男たちよりも上背は頭ひとつ以上高く、しかしその身は枯れ木のように細い。長い髪に隠れた貌には、巨大な目がぎょろりと光っている。

 女、抜け忍の如意変は苛立っていた。

 自分よりも先に抜けた九号を追い、如意変はお役目を放棄して、九号を追い掛けた。しかし、彼女の行先は杳として知れず終い。結局、盗んだ路銀も尽き果てて、食いあぐねた如意変は人を襲って生計を立てることにしたのだ。

「お頭ぁ、こんだけ燃やして囃し立てても、だぁれも九号なんてやつ見たことも聞いたこともないって言ってますぜ」

 焚き火代わりに燃やした家の主人の死体を転がして、懐から金目のものを漁る。

「ちっ、しけてやがる。金になりそうなもんなんかありゃしねぇ」

「お頭ぁ、さっさと帰りましょうぜ。こんなとこ、なんの得にもなりゃぁぐびぇ」

「うるっさいよぅ、金魚の糞が。嫌なら先に一人であの世に行きな」

 びゅるりと伸びた腕と指が、文句を言った男の首を掴んで砕く。如意変は殺ししか知らぬ。元来潜入用として製作された亜神にも拘らず、この女は気性の荒さ、粗さからその任を解かれた。

「九号がぁ、近くにいるってんだよ! あの子が! わかるか!?」

 気圧される男たちを無視して、

「あたしはあの子の顔を見るために抜けたんだ。わかったらさっさと探して来な。できねぇってんならケツまくってさっさと帰んな。それがいやなら殺してやる……あぁいや、待てよ。お前ら、死ね。そしたら噂も広がるだろ。よし、それがいい。殺すか」

 如意変は指をぱちんとならし、これは妙案と近場の男を一人へし折る。

「ひっ、お頭、勘弁してください! 俺たちお頭に見捨てられたら、」

 男の開いた口の中に、女の髪の毛が入り込み、そのまま臓物を突き破る。

「誰もあんたらなんか拾っちゃいねぇよぅ。勝手について来たんだろ。だったら、勝手に殺していいよなぁ」

 ようやく自分たちが何をと奉っていたのか、正しく認識した頃には、女を除いて誰一人生き残っていなかった。




「お前か、如意変」

 聞き覚えのある声だ。綺麗な声。澄ました声。澄まし顔がそこにいた。今は久しぶりに見る貌だ。あたしには向けたことのない貌。

「九ぅ号ぉ、探したよぅ」

 思いの外、声色の喜色を隠せない。まぁいい。どうせ二人きり。

「抜け忍狩りか」

「なぁに言ってんだよ、あんたを追っかけて来たのさ。当たり前だろ? 一緒につるんだ仲だろ? 戦場で一緒にたくさん殺したろ? あの頃に戻ろう?」

 手を差し伸べる。さぁ、取ってくれよ。

「……如意変」

「なんだい、九号」

「なんで殺した?」

 あ?

「そりゃ、戦がありゃああんたが来るだろうと思ってさ。方々行ってたくさん殺したよぅ。でも食うに困ってさ。仕方ないから、この辺でうろついてるやつ食ってたんだよ。そしたら金魚の糞コロがたっくさんくっついてきてさ。そいつらもうるさいから」

「もういい。喋るな」

 風切音。あっという間に距離を詰められる。貫手。首の骨を外して避け、背中で這って距離を取る。

「なんだい。あんたもあたしのこと気に入らないってのかい」

 それなら、いいさ。みたいもんは見れた。あとは、それを記憶の中に閉じ込める。そのために、

「じゃあ、あんたも殺そう。そしたらあんたはその貌、ほかの誰にも向けてらんないだろう!?」

 増やした関節でもって、しならせた腕から礫を放つ。



 二度目の礫。厭だ嫌だと曰っても、結局屍を積み上げるしか能のない化け物だ。諦めて、礫を見据える。

 世界が止まる。

 否、己に世界がついてこないだけだ。

 直接の殺し合いを得意としないはずの如意変ですら、里と賊を一つを容易に壊滅させうる。それが亜神。造られたモノ。

 だから、殺し合いだけに特化した亜神ならば。

 如意変の言う通りだ。組めば、もっと上手くやれる。薬なんて売らなくていい。歩き回って薬草探しをしなくてもいい。木の根や虫を擦り潰し、重い背負い棚なぞ持ち歩かなくていい。殺して奪えばそれでいい。

 でも、それは嫌だと、己が決めた。

 なのに、また亜神の力を解いた。何の為に? 生き残る為に。殺す為に。

 同じだ。

 ごちゃごちゃと考え込む間にもゆっくりと、ゆっくりと礫が近付いて来る。恐らく二の矢と共に髪の毛、腕の四方向からの同時攻撃。

 あぁ、嫌だ。

 にやりと笑いながらこちらに襲いかかる女の背後を、たった一歩で取る。相手はまだ気付きもしない。できない。

 一刀で、同じ穴の狢を割断する。

 きっと、笑顔のまま死んだろう。

 あぁ、厭だ。



 結局、里は焼かれたままに捨て置いた。そうするしか無かった。あの場に残れば、きっといずれかの兵が来る。何が起きたかと捜索する。

 抜け忍の身で見付かれば、厄介この上ない。だから、せめてもの償いに。

「よっ……と」

 斬り伏せられたままの地蔵の首を、元の形に置き直す。そのままではずれて落ちてしまう。だからと言ってこの心張り棒は自分でもどうかと思う出来だが。

 己にできるのはこの程度。しようがしまいが、世の中をなんら変えることのない自己陶酔。

 それでも、亡くなった人々に手を合わせずにはいられなかった。

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