夜襲
毛利征伐軍が高松城周辺に陣城の構築を始めて明確に持久戦の構えを見せると、当初は士気軒昂だった毛利軍も徐々に士気が落ち込み始めた。当初は城を包囲し、攻めてきた敵軍を蹴散らしたものの、包囲しているのかされているのか分からなくなり、また頼みの四国戦線でも小早川隆景が奮戦しているものの、吉川元長の負傷により徐々に押されつつあったことが毛利軍の将兵を重苦しい雰囲気にさせていた。
「殿、また兵士の脱走が出ております」
「恥ずかしながら我が部隊でも軍紀が弛緩しております」
一方、こちらも本庄秀綱や曽根昌世といった歴戦の武将も士気の低下を憂いていた。特に新発田軍は越後から遠出しているため残っている兵も体調を崩したり仲間内で博打に興じたり近くの町に女を買いに行くなど軍紀も緩んでいた。そもそも俺は毛利征伐に出向く気はなく、兵たちにも秀吉を破って上洛し、すぐに帰国すると告げていたので一方的に処罰することも出来ない。
「仕方ない、帰国後にそれぞれに給金をはずむので目に余る行為は慎むよう伝えよ」
「よろしいのでしょうか。一万二千の軍勢全員に給金を出せば膨大な出費になりますが」
俺の言葉に家臣たちは首をかしげる。
「我が家にはまだ財力の余力はある。それに毛利征伐についてはきちんと恩賞は要求するつもりだ」
元々秀吉を打ち破ってそれで終わりの予定だったが、徳川軍に思いの他大きな傷が入ってしまったため、家康に任せようと思っていた役目を俺が引き受ける羽目になってしまった。
秀吉に引導を渡したのが俺である以上責任はとらなければならないという気持ちと、勝家への恩義から勝敏を最低限は補佐したいという気持ちがあり、俺はこの遠征を成功させなければと思っていた。
「分かりました。兵士たちも金をはずめばしばらくは大人しくなるでしょう」
織田軍も同様で、むしろ領国が近いせいか逃亡に移る兵は多かった。俺は財政に余力がある分金で解決することが出来るが、そうもいかない家も多い。
六月十日 深夜
「申し上げます、毛利軍、間道を伝って我らに奇襲をかけてきたようで、織田軍は大混乱しております!」
血相を変えた兵士によりそのような報告がもたらされる。物見がやってきたころはすでに喚声や干戈を交える音はこちらまで聞こえてきていた。
「織田軍の様子は」
「それが、兵士の一部が近隣の町に飲みに行っていたようで、大混乱しております」
「よし、ならば我らも出撃準備せよ!」
味方も夜で連携もとれていない中、味方を救援すれば同士討ちに発展する可能性もある。そこで俺は味方の救援ではなく山頂の毛利軍を攻めるため軍勢を進めることにした。
幸い新発田軍は給金をはずむと伝えた直後だったこともあり比較的士気はましだった。
「突撃!」
夜闇の中を新発田軍は目の前の山を攻め登る。まさか逆襲を受けると思わなかった毛利軍は驚いたものの、慌てて応戦に移る。暗い中での行軍は困難だったが、敵軍の矢弾も空を切ったため、味方は容易に柵に辿り着き、乱戦になった。
「よし、これならいけるかもしれない……全軍進め!」
乱戦になれば数で勝っているこちらが有利に違いない。
俺が優勢を確信したときだった、一人の物見が血相を変えて走ってくる。
「大変です、織田軍の一部で同士討ちが始まり、織田軍を破った毛利軍の一部がこちらに向かっております」
「何だと」
あと一押しと思った俺は本陣の兵もほぼ前に出してしまっていた。まさか倍以上の兵力を擁する織田軍を毛利軍がこうもあっさり突破するとは思っていなかった。これが窮鼠猫を噛むということなのかもしれない。
「ここは我らにお任せを。五百の兵を与えてくだされば見事敵軍を追い払って御覧に入れます」
そう言ったのは筒井家から帰順した松倉重信で、隣には無言で島清興も控えている。本陣周りには他に軍勢を任せられる将はいない。
「分かった。ならばおぬしらの力を見せてもらおうか」
「はい」
二人に五百の兵を与えると、ちょうど敵軍の喚声が近づいて来る。兵士たちは二人の武将に最初は懐疑的だったが、二人は陣頭に立って兵士たちを鼓舞し、迫りくる毛利軍に立ち向かっていった。初めて指揮する兵士だったこともあり、多少指揮がもたつくところもあったが、ここまで一方的に蹂躙される織田軍ばかりと戦ってきた毛利軍は手ごわい反撃に遭って崩れた。
重信と清興の二人は毛利軍を追い返すと深追いすることもなく、兵を率いて帰陣する。追い散らした後は心なしか兵士たちの統率度も上がっており、見事な指揮だったと言える。
「よくやった。おかげで我らは窮地を脱することが出来た」
新発田軍の思わぬ猛攻に毛利軍は夜襲に回していた兵を引き上げざるを得なくなり、織田軍も佐久間盛政ら歴戦の将を中心に陣を立て直した。
こうしてその日の戦いはどちらからともなく終了した。
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