混迷 Ⅱ

「申し上げます! 毛利軍、伊予より讃岐・阿波に攻め込みました!」


 柴田勝敏を大将として毛利征伐軍の編成を決めた直後にそんな報告がもたらされる。

 秀長が守っている中国筋ではなく手薄な四国から攻め込んだか。長宗我部家・三好家が抗争しているところを羽柴家が四国攻めで占領したという経緯があり、支配が盤石とは言えないし、秀長も高松城にいる以上四国の方が手薄だろう。また、四国をとれば織田軍が中国筋に出陣した際に海から摂津や和泉を狙い、補給路を断つことも出来る。


「ちなみに長宗我部元親の動向は」

「嫡男・信親が討ち取られて岡豊城まで退却しましたが、戦いを続けています。風聞によると嫡男の死を恨み、例え討死することになっても毛利に降伏しないと息巻いているとか」

「なるほど」

 元親には悪いが、毛利と徹底的に戦ってくれればこちらとしては好都合ではある。長宗我部が本気で粘れば四国統一は遠いだろう。


 そこへ次は中国筋に千坂景親からの使者が戻ってくる。

「宇喜多家ですが、織田家にお味方するとのことです!」

「滝川領の播磨・但馬ですが国人衆の動向に不穏な気配が見られます」

 現在一益は旧領の伊勢に戻っているが、徳川軍により主だった城が攻略されているため、城に入ることも出来ずに山中に潜伏しているという。つまり、もし毛利軍が播磨に攻め込めば用意に手に入れることが出来るだろう。何とか羽柴・宇喜多の両家で食い止めなければならない。

「よし、とりあえず宇喜多家にも毛利征伐軍は近々出すので僅かな辛抱と伝えよ」

「かしこまりました」

「また景親には引き続き中国筋で戦況報告を行うよう頼む」


 さらに諸大名への軍勢の募集を行い、今回の戦いの後処理の問い合わせの対応などに追われる。しかもそれらの問い合わせは宛名が三法師だったり毛受勝照だったり勝敏だったり宛名がばらばらなので全体を把握することは困難だった。

 また、それと並行して俺は曽根昌世に命じてとあることを行わせた。役に立つかは分からないが、今後の保険のようなものである。


 そんな慌ただしい日々が過ぎていく中、四月三日になってようやく徳川家康と織田信雄が上洛してきた。思ったより二人の上洛が遅くなったせいで俺が諸々のことを仕切ることになってしまい、どう対応するものか悩んだ。

「信雄様の様子はどのようであったか」

 織田軍に派遣していた忍びに尋ねると、忍びは少し困った顔になった。

「自分が毛利征伐軍の総大将になると息巻いているそうでございます」

「なるほど?」


 幼少の当主三法師に代わって一族の信雄が大将を務めるというのは理屈としては分からなくもない。家康も今回共闘した信雄を後押しするのではないか。そうなれば俺は役目から解放されて領地に戻ることも出来る。兵たちも慣れない上方への長期遠征に少しずつ疲労をためていた。

 とはいえせっかく毛利征伐軍の準備を途中まで整えたのに放り出すようになってしまうのも困る、などと考えていると。

「殿、徳川からお忍びで使者がいらしております」

「きたか」


 俺に緊張が走る。家康としてもいきなりやってきて「信雄を大将にしろ」と言って俺と揉めるのは避けたいだろうから事前の調整をしようとしたのだろう。

 京の俺の屋敷にやってきたのは変装した本多正信であった。彼がわざわざやってきたということは、重要なことなのだろう。とはいえ毛利征伐軍に関することを俺と家康の密談で決めたとなれば差しさわりが出るかもしれないから、忍んできたのかもしれない。


 久しぶりに現れた正信は随分疲れた表情をしていた。前に会ったのは出陣前であったが、まるで別人のようである。

「このたびの用件は何だ」

「今後行われる毛利征伐の件なのですが、徳川軍の主力は外していただきたいのです」

「何だと!?」

 予想とは全く違う用件に驚いてしまう。てっきり家康は信雄とともに毛利征伐で主力を務め、そのまま天下をとろうとするのかと思っていた。

 すると正信は苦り切った表情で続ける。

「もしや我らが信雄様を立てて毛利征伐軍の主力を務めると思っておりましたか」

「その通りだが」


「もちろん我らとて出来るならそうするつもりでした。しかし先だっての戦いで我が軍に思わぬ犠牲が出たうえ、恥ずかしながら石川数正が裏切り、井伊殿と鳥居殿も重傷で三河に帰っております。また、信雄様も美濃における信孝様との戦いに決着がついた訳ではありませぬ。しかもすでに柴田勝敏様を大将にするものとして話が進んでいるとのこと」

 そう言えば元々はそれが発端だった。俺はすっかり忘れていたが確かに信孝がすでに負けたという話は聞いていない。


「そのため、我らは酒井殿率いる七千の軍勢のみを毛利征伐に参加させたいのです。代わりに信雄様が総大将になりたいと主張しているのを取り下げさせます」

「なるほど」

 確かにそのような状態で信雄に大将を任せれば毛利攻めは失敗するかもしれない。そうなれば最悪羽柴・宇喜多の離反を招き滝川領を占領され、中国筋は毛利の手に落ちる可能性がある。

 徳川軍の主力が離脱するのは辛いが、ぼろぼろの状態であるのを無理に参加させても仕方がないので悪くない提案だろう。


「これが一つ目の交渉です」

「分かった。受け入れよう」

「二つ目なのですが、我々は伊勢に戻った滝川殿を説得し、毛利征伐軍に参加させますのでその暁には石川数正の身柄を返していただきたいのです」

「確かにそれはありがたい。我らも滝川殿の行方にまでは手が回っていなかった」

 毛利攻めをするのであれば播磨・但馬・淡路の領主である一益の協力も不可欠である。石川数正の身柄など俺が持っていても何の役にも立たない。人材としては惜しいが、家康の手前、召し抱える訳にもいかない。


「分かった。こちらとしては問題はない。しかし徳川殿は本当にそれで良いのか? 本気を出せばまだ天下を狙うことは出来る気もするが」

「我らも独自に石川数正の行方を探らせていたのですが、その折に新発田殿が確保しているという話を聞きまして」

 実はこの時俺は曽根昌世に命じて数正に徳川軍の兵制について聞き取りをさせていた。数正は裏切ったとはいえ、元主家を売るに忍びないと口が重かったが、それでも家康は自軍の情報が俺に筒抜けだと思ったのだろう、この後徳川家は軍制改革に着手せざるを得なくなる。

 こうして、天下争奪戦からは秀吉に次いで家康までもが自主的に脱落したのである。

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