混迷 Ⅰ

 千坂景親を派遣している間、俺は京で三法師にこの度の顛末を報告し、さらに毛受勝照ら柴田家臣団と協議を行っていた。とはいえ、彼らもこの事態に対して何か権限を持っている訳ではない。

 三法師もまだ七歳。信長譲りの端整な顔立ちと貫禄はあったが、政治的な能力はまだまだ未知数であった。


 元々合議制に移ろうとしていた織田家において、筆頭家老であった滝川一益に細川忠興と羽柴秀吉が味方し、前田・佐久間・佐々の三人はそれぞれ北陸にいるため、織田家の意志決定はぼろぼろであった。

 ちなみに盛政と利家は和睦交渉を行っており、成政は忠興や丹羽長重らとの降伏交渉を行っている。


 滝川一益は自領のあった伊勢に逃亡し、徳川家康と織田信雄は一応京を目指しているが、被害が大きいため立て直しに数日を要していた。とりあえず家康が京に着いてから今後のことを相談するか、と考えていたところに千坂景親からの使者が戻ってくる。


「羽柴秀長殿より、毛利とたもとを分かつので援軍を送っていただきたいとのことです!」

「何だと」

 俺は驚いた。まさか毛利の動きがここまで早いとは思わなかったが、もしかしたら毛利は秀吉に味方したときからこの展開もある程度予想していたのかもしれない。

「また、京にいる羽柴軍も返還して欲しいとのことです」

「なるほど」


 確かに他家から援軍を送る前に羽柴軍を返却するのが道理と言えば道理である。現状羽柴軍は京で大人しくしている。俺も秀長が毛利と手を切り織田家につくというのであれば信頼して兵を返すことに異存はないのだが、二つだけ問題があった。

 その軍勢を指揮しているのが黒田官兵衛であることと、その軍勢に石川数正が混ざっていることである。数正の内心は俺が知る由もないが、徳川からすれば憎んでも憎み切れない相手だろう。勝手に羽柴家に引き渡すことは出来ない。

 本来はその辺の事情を考慮して彼らの処遇を決めるのは然るべき立場の者がやるべきなのだが、事は急を要する。五千でも兵を返せば秀長は毛利軍を多少は食い止めてくれるかもしれない。


「よし、黒田官兵衛を呼べ」

 現状彼らを従えているのは俺である以上、俺が決めなければならない。

 官兵衛は間もなく何かを覚悟した面持ちでやってきた。秀吉が死んだ以上、その野望を後押しした自分も後を追う覚悟があるのだろう。

「秀長殿の意志は聞いているか」

「はい、かくなる上は織田家に従属するゆえ織田家の指示に従うよう承っております」

「とはいえ織田家は今このような状況だ。そこで俺が沙汰を申し付けるが、よろしいか」

「はい、我らの降伏が受け入れられるのであれば構いません」


「まずこの軍勢であるが、徳川軍を裏切った石川数正とその家臣たちは捕虜とする。その措置は追って沙汰する」

「はい」

「それから羽柴軍であるが、黒田官兵衛の切腹を以て赦免し、領国へ帰す。また羽柴家の領地については毛利家との戦いによる功績を考慮して改めて決定する」

「分かりました。それがしの腹と石川数正の身柄で済むのでしたら異存はございませぬ」

 官兵衛はすがすがしい表情で頷いた。


「負けたというのに、妙に達観しているようだな」

「殿が先にいかれたゆえ未練はありませぬ。毛利戦での手柄次第とはいえ、存続するのであればそれをあの世で殿にお伝えします」

「そうか。こちらとしても羽柴殿の死は予想外であった。生きて共に織田家のために力を尽くすことが出来れば良かったのであるが」

 俺の言葉に官兵衛は特に肯定も否定もしなかった。

 その後官兵衛はきちんと数正とその家臣の身柄を差し出し、見事に腹を切った。秀吉がいない世に本当に未練はなさそうであった。


 さて、羽柴軍五千は返却したものの、それはそれとして毛利家と戦うためにそれなりの軍勢を起こさなければならない。徳川軍や信雄軍は合わせれば四万近い数ではあるが、すでに長期の戦いを終えた後である上、美濃では織田信孝と森長可が抗争を続けているなど不安材料もある。多少は出してもらえるだろうが、全軍を毛利攻めに参加するのは難しいだろう。となれば毛利攻めに動員できそうな軍勢は畿内を握る柴田の軍勢しかない。


 そう考えた俺は再び毛受勝照の元に向かった。まず羽柴軍の処置について報告したが、勝照は特にいいとも悪いとも言わなかった。

「続いて毛利の件だが、予断を許さない。早急に軍勢を編成しなければ信長様の中国攻め以前の状態に戻ってしまう。とはいえ、毛利は強国。地の利も敵にあるとなれば厳しい戦いになるだろう。そこで畿内の兵もお借りしたいのだが、いかがだろうか」

 俺の提案に勝照はしばしの間熟考した。毛利攻めに軍勢を動かすのは勝家の遺言には叛かないはずだ。

「分かりました。ですが一つだけ条件があります。毛利討伐軍の大将は勝敏様にしていただきたいのです。もちろん新発田殿や佐々殿、徳川殿が補佐する形をとるのは構いません」


 勝敏は勝家の跡を継いでおり、現在は近江の半分以上を治めており、このたびの戦いにおいては中立ということになっていた。

「なるほど。いいだろう……といっても俺にそれを決める権利はないが、それなら誰も反対は出来まい」

「おそらく。我らとしてはまとまることが優先ですので」

「分かった。ならば至急勝敏様を京へ呼び、軍勢を集めていただこう」

 一難去ってまた一難ではないが、秀吉との戦いが終わっても動乱は一向に収まる気配がなかった。

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