琵琶湖畔の戦い Ⅰ
「羽柴軍ですが、小早川・宇喜多隊を先行させて逃がし、滝川隊が殿軍を務めている模様です!」
「なるほど、外様ほど先に逃げていったという訳か」
確かに宇喜多家や毛利家にとって殿軍に付き合うほどの義理は秀吉に対しては持っていないだろう。一益が殿軍を務めているということは、秀吉はすでに撤退に向かっているということになる。
今から美濃に向かっても間に合わなさそうなため、中山道の道中で陣を敷いて待ち受けることにした。また、陣を敷くのは一応丹羽長重領の端を選んだ。中立である柴田勝敏の領内で戦うのは一応避けておこうという配慮である。
「申し上げます、すでに小早川・宇喜多隊は通過済み、羽柴軍の先鋒、蜂須賀正勝隊が予定地点へ迫っています!」
羽柴軍は俺が来る前に撤退を済まそうとしていただけあって動きが速い。こちらも急いではいるが、このままでは間に合わない。羽柴軍を追いかける形での戦いになってしまえば秀吉を討ち取ることは難しいだろう。出来れば待ち受ける形で戦いたかった。
「誰か騎兵を率いて先行する者はいないか!」
「お任せください!」
そう言ったのは曽根昌世である。
「騎兵による行軍には自信があります。甲信の山道に比べれば平地を駆けるなど造作もないこと」
確かに昌世ならある程度の軍勢の指揮も任せられる。
俺は頷いた。
「よし、全軍の騎兵は昌世とともに先を急げ! 昌世は本隊が到着するまで可能な限り羽柴軍を足止めせよ!」
「かしこまりました!」
言うが早いか昌世は数百の騎兵を率いて先行した。羽柴軍は全軍が退却しないといけない都合上、徒歩の移動速度になるだろう。問題は、撤退中とはいえ羽柴軍は全体で一万五千ほど。その全軍を一時とはいえ足止め出来るかであった。
騎兵数百を率いた昌世は全力で馬を走らせて先を急いだ。その後からはさらに数百の騎兵が続き、合わせると一千を超える。ただし速さを優先しているため陣形は乱れている。
一方、羽柴軍の先鋒を務めていた蜂須賀隊は二千ほど。数は多いが撤退中であり、こちらも陣形は乱れている。そして三月二十五日、蜂須賀隊が山の中を抜け、湖畔の平原に降りてきたところで曽根隊と遭遇した。蜂須賀隊も後続が山の中を行軍中のため、平地にいる兵力は数百しかいない。
先ほどまで関ヶ原で合計七万ほどの兵力が戦っていたというのに、最後の決戦はお互い兵力数百ずつの遭遇戦で幕を開けた。場所は奇しくも戦場は勝家と秀吉がしのぎを削った天野川周辺である。
「突撃! 敵の本隊が山を降りてくる前に蹴散らせ!」
すでに老齢の曽根昌世であったが、ここで勝つことが出来れば大手柄である。新発田家中では比較的新参ということもあって、燃えていた。
「長槍隊前へ! 後続が来るまで持ちこたえるのだ!」
対する蜂須賀正勝も、ここで曽根隊を追い返さなければ新発田本隊と羽柴本隊の戦いが始まってしまうため焦っていた。新発田本隊が到着してしまえば間違えなく激戦になる。その間に背後から徳川軍がやってこれば万事休してしまう。
そんな二人の必死の思いがぶつかったからか、戦いは激戦になった。曽根隊は弾丸をかいくぐって長柄隊に肉薄し、打ち合いを始める。数では蜂須賀隊がやや勝っていたが、士気では曽根隊が勝っている。
「前へ出ろ! 一歩も退くな!」
先鋒が白兵戦を始めると、昌世自身も槍を持って前へ出た。まさかこの年になって自ら槍をとるとは、と苦笑する昌世だったが、敵軍では正勝も自ら刀を抜いて前進していた。しかし両軍とも退かぬ激戦になってしまったということは羽柴軍にとって不利になっていくことを意味する。
そこへ戦いが始まったことを聞いた両軍の後続がばらばらと到着し、戦いの規模は徐々に大きくなっていった。それを見た正勝は嘆息する。敵が少数のうちに蹴散らすことが出来なければ退却は困難になっていく。
結局、決着が着かぬまま初日は日がくれていき、両軍はどちらからともなく退いていった。正勝は無念そうに天を仰ぐ。
「かくなる上は殿が新発田本隊よりも早くこの地に到着することを祈るしかないか」
翌朝、先に後続が到着したのは羽柴軍の秀吉本隊であった。とはいえ、羽柴軍はその後ろに弟の秀長や宮部継潤らを殿軍に立てているので本隊の兵力は五千ほどで、しかも逃亡中に少しずつ数を減らしていた。
曽根隊も騎兵一千の他に先行してきた歩兵が夜のうちに追いつき、二千ほどにはなっていたが、羽柴軍の半分もいない。夜が明けた時昌世は敵軍の兵力が急に増えているのを見て討死すら覚悟した。
「だが、ここで羽柴軍を食い止めればすぐに後詰は来る! 者共、本隊が来るまで絶対に耐えるのだ!」
「おおおおおおおお!」
昌世の檄に兵士たちは震い立つ。
こうして二日目の戦いは攻守を入れ替える形で始まった。
「敵軍は小勢! 押しつぶしてどうにか故郷へ帰るぞ!」
昨日は押されていた羽柴軍も軍勢が増えたため、最後の本気とばかりに士気を奮い立たせて攻めかかる。
「鉄砲構え! 撃て!」
昌世も懸命に応戦するが、騎兵中心の部隊で先行したため、鉄砲や弓の数が少なく、あっという間に羽柴軍の接近を許してしまう。
「踏ん張れ! 所詮敵は敗兵! 恐れるに足らず!」
たちまちのうちに乱戦になるが昌世の言葉通り、羽柴軍は数が多いとはうえ関ヶ原での数日にわたる激戦からの撤退戦で疲弊していた。対する新発田軍は長旅をしてきたものの、羽柴軍ほどは疲弊していない。そのため、倍以上の兵力を擁しながらも羽柴軍は一気に決着をつけることが出来なかった。
それでも野戦では数の差がそのまま戦力の差に繋がってしまう。徐々に曽根隊は包囲され、一人、また一人と数を減らしていく。
「もはやこれまでか……」
いくら秀吉を討ち取るためとはいえ、さすがの昌世も家臣を全滅させてまで戦うことは出来ない。その日の昼を過ぎるころにはさすがの昌世も撤退を覚悟した。
が、そこへ一人の使者が羽柴軍の包囲を抜けて走ってくる。
「曽根殿、佐和山城に向かった本庄殿が一部の兵を率いてこちらに向かっております!」
「よし! ならばあと少し頑張ろうぞ!」
それを聞いた昌世の目に光が戻った。
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