琵琶湖畔の戦い Ⅱ
「援軍が来たぞ!」
昌世が叫ぶと味方の軍勢は戦意を取り戻した。昌世は意図的に援軍の正体を隠して触れ回った。そうなれば味方の軍勢は本隊が到着したと誤解してくれるかもしれないと考えたからである。
間もなく、本庄秀綱率いる数百の騎兵が到着して曽根隊を包囲する羽柴軍をさらに外側から叩いた。あと一息で勝てると思っていた羽柴軍はそれによりたちまち戦意を失った。羽柴軍の兵士も駆けつけたのは新発田本隊の先鋒だと誤解したというのもある。
「違う、あれは小勢だ! 戦えば勝てるぞ!」
すぐに蜂須賀正勝はそれを見破ったが、そのころには夕暮れが迫っていた。羽柴軍も日中は移動を強行していたため疲労がたまっていた。あと一息で勝てるというならばともかく、一度戦意が下がってしまった以上戦いを続けることは出来ない。やむなく、日没とともに羽柴軍は攻撃を停止した。
引き上げていく羽柴軍を見て昌世はほっと息を吐く。とりあえず明日の朝までは敵が攻めてくることはないだろう。
「本庄殿、このたびは誠に助けられた」
「間に合って良かった。それでは我らは佐和山城の包囲に戻る」
そう言って秀綱は来た時と同じように風のように佐和山城へと戻っていった。
俺の本隊が曽根隊に合流したのはその日の深夜になったころである。俺は曽根隊の無事と羽柴軍が動きを止めているのを見て一安心した。
「殿、お待ちしておりました」
「昌世、このたびは比類なき功績だった」
「はい、ですがこのたびは本庄殿のおかげで助けられました。あれがなければ今頃我らの軍勢は壊滅していたでしょう」
「そうか。ならば褒美を分ける際はそれも考慮にいれよう」
先鋒の被害は大きかったが、本隊が合流すれば立て直すことが出来ない数ではない。俺は布陣を終えると羽柴軍に忍びや物見を大量に送った。秀吉さえ逃がさなければ、戦いに勝つ必要はない。いずれも徳川軍が後ろから迫ってくる以上、負けないことが何よりも重要だ。
「そう言えば関ヶ原の様子はどうだ?」
「それが……」
関ヶ原に向かっていた物見は浮かない顔で語り始める。
数日前、新発田軍の南下を聞いた秀吉と一益は素早く撤退を決意した。領地にさえ戻れば毛利の後押しを受けて抗戦を続けることは出来る。撤退の順番は外様の小早川・宇喜多が先発し、一益が殿軍を務め、秀吉がその間に入ることになった。万一秀吉が帰国に失敗すれば毛利軍が羽柴領に攻め込む恐れがあったからである。
関ヶ原では激戦が続いていたが、石川数正の寝返りと井伊直政・鳥居元忠の負傷により徳川軍もかなりの打撃を受けていた。そのため、羽柴軍が退却を始めると追撃よりも先に胸を撫で下ろす者が続出した。
それを見た信雄は今こそ家康よりも手柄を立てる時、とばかりに勇んで追撃を開始した。しかし一益は開戦前に笹尾山・松尾山付近に築いていた柵と地形を利用して防御に徹し、鉄砲隊を並べては銃撃を浴びせて信雄軍を寄せ付けなかった。
その光景を見た家康はやむなく損害が少ない軍勢を率いて攻撃に移る。滝川軍は戦いの前に高所に築いた柵や土塁に立てこもって抗戦した。先ほどまで徳川軍が有利な地をとって防御に徹していたが、それが一転して入れ替わったため、さすがの徳川軍も攻めるのに苦労した。
そして一益は二日の間、信雄・家康連合軍の攻撃を防ぎ続けた。
が、そこで伊勢から駆け付けた酒井忠次軍が到着する。酒井軍も伊勢で戦った後だったが、関ヶ原での戦いに比べれば多勢で小勢の城を落とすだけの戦いだったため、疲労は少ない。それに勝利したため勢いに乗っていた。
それを聞いてさすがの一益ももはやこれまでとして退却を決意した。攻撃を防ぎ続けた滝川軍も伊勢長島城陥落の報や新発田隊が背後に迫っているという報を受けて動揺し、逃げ出す者が続出していた。しかし退却の際も隘路に鉄砲隊を並べて整然と行軍したため徳川軍は容易に手出しできなかったという。
「……という訳で徳川軍がやってくるのは二、三日後になると思われます」
「まあいい、羽柴軍は元々一万五千。激戦と敗走で数を減らしていることを考えると我らの軍勢一万二千とさほど変わらないだろう。それに、越後の強兵が上方の弱兵に負けるとは思えぬ」
俺は左翼に佐久間安政の三千を置き、先鋒に猿橋刑部・高橋掃部助ら新発田家譜代の家臣、そして右翼に千坂景親ら越後衆を布陣させた。激戦直後の昌世は本陣の護衛に下げた。
翌朝、夜が明けるなり羽柴軍は一斉に動き出した。
新発田軍は到着したのが真夜中で日没とともに動きを止めて休息をとった羽柴軍より休んだ時間が短い。疲労が残っているうちに決着をつけようとしたのだろう。こうしていよいよ俺にとっての天下分け目の決戦が始まるのであった。
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