織田家の覇権

火蓋

天正十四年(1586年) 正月七日

 勝家の死後色々あった織田家だったが、天正十三年は大きな戦いもなく外面上は静かに暮れていった。が、そんな天正十三年が終わるのを待っていたかのように事件は起こった。


 美濃西部にて稲葉良通、氏家行広の両名が旧臣を集めて蜂起し、大垣城を襲った。美濃の主織田信孝は反乱を鎮圧するためただちに岐阜城に兵を集めた。しかし東美濃の森長可は遠山氏らの動きに不安ありとして居城を動かなかった。そのため、元々長可と仲が悪い遠山家らも動くことが出来ず、東美濃からの兵は集まらなかった。


「おのれ長可め、秀吉に味方した時に許したこと忘れたか! かくなる上は奴から先に討ち果たしてくれる!」

 知らせを聞いた信孝は岐阜城で激昂した。

「殿、早まってはなりませぬ。森殿は今敵対している訳ではありませんし、反乱軍が大垣城を落とすと面倒なことになります。稲葉、氏家の反乱さえ鎮圧すれば容易に討ち果たすことが出来るでしょう」

 家老の幸田孝之が懸命に諫め、信孝は落ち着きを取り戻す。

「分かった。よし、一揆などすぐに平定してくれる!」

 信孝はとりあえず集まった五千の兵を率いて大垣城の救援に向かった。


正月十四日

 信孝の軍勢が大垣城へ向かうと、稲葉・氏家連合軍は途中の街道に陣を敷き、待ち構えていた。簡単ではあるが柵を作り、ずらりと鉄砲隊を並べている。急な反乱にしてみればえらくしっかりした軍勢だ。


「申し上げます、反乱軍は総勢およそ二千ほど。ですが鉄砲を多数保有し、士気も高いです」

「何だと? 急場の反乱とは思えぬが、さては信雄の差し金か!」

 信孝は激怒して近くにあった脇息を蹴り飛ばす。そもそもこれまで姿を消していた両名がこの時期に突如として戻って来て、一瞬にして二千の軍勢を組織することが不可解であった。

「大垣城にわずかな抑えの兵士を残し、我らを迎え撃つ構えです」

「ふん、所詮二千の軍勢であれば半分以下。踏みつぶしてくれる。突撃!」


 信孝の命令に合わせて織田軍は前進する。柵の向こうに陣取った反乱軍からは熾烈な銃撃が飛んできて兵士はばたばたと倒れるが、数の差は歴然。すぐに先鋒が柵にとりつき、押し倒そうとする。

 織田軍が柵にとりつくと反乱軍も鉄砲を捨てて長槍を押し出す。こうして戦いは白兵戦にもつれこんだ。街道の周囲には田が広がっているため左右に広がった織田軍は足をとられて数の優位を生かしきれず、優勢ながらも膠着状態に陥る。


 が、その時だった。突然織田軍の右手から喚声が上がり、数百の軍勢が襲い掛かってくる。

「伏兵か!? 物見は何をしていた?」

「それが、地元住民が敵軍の味方をしていたようで、近隣の村に身を隠していたと思われます」

「おのれ……すぐに兵を向かわせろ」


 信孝は兵を動かそうとするが、周囲の田に分け入って柵を突破しようとしていた織田軍は足をとられてうまく動けない。

 一方の敵軍は小勢なのを生かして分散してあぜ道を渡って攻めてくる。不意を突かれたという動揺もあいまって織田軍は徐々に押され始めた。


 そこへ間道から織田軍の物見をかいくぐって進んできたのか、さらに別の敵軍が信孝の本陣付近に現れる。こちらも突然の襲撃で正確な数は掴めない。

「くそ、敵はすでに迫っているのか!」

「殿、ここは一度退却なさいませ」

「だが、数では勝っている。ここでこらえれば……」

 信孝は言い返すが、後方に現れた敵軍は多数の旗指物を掲げており、味方の兵士は背後から大軍が迫っていると誤解して動揺している。


「このような手は一度しか使えません。陣を立て直せば次は勝てるでしょう」

「分かった……撤退だ!」

 孝之の言葉で信孝は兵を下げる。さすがに数で勝っているせいか、敵はあえては追撃してこなかった。そのため織田軍はそこまで大きな損害もなく、兵を退くことが出来た。そして奇襲の進路を調べさせ、物見を配置する。

「明日こそは奴らの首を刎ねてくれる」

 信孝は気勢を上げた。


 しかし翌日。血相を変えた兵が本陣に飛び込んでくる。

「尾張より、信雄様の軍勢七千がこちらに進んできているよしにございます!」

「何だと……国境を越えれば応戦するぞ!」

 報告を聞いた信孝は声を上げた。いくら信雄と仲が悪いとはいえ、一方的に兵を出すということをするのだろうか。そこへ続いて使者が現れる。今度は信孝軍の者ではなく信雄軍の者であった。


「何だ」

「信雄様からの書状でございます」

 渡された書状を信孝は広げる。そこに書かれていたのは『美濃で起こった一揆の者が尾張に侵入し、略奪狼藉を行ったため討伐の兵を出す』というものだった。


「おのれ……最初からそれが狙いだったか」

 確かにこの周辺は尾張との国境にも近い。そういう理由をこじつけるか、もしくは一揆に信雄の兵を紛れ込ませて尾張に乱入させることも可能だ。元々隙あらば信孝を攻めようと思っていた信雄は、信孝と対立していた美濃衆を手なずけ、虎視眈々と策を練っていたのだろう。


「殿、このままでは反乱軍と信雄様の軍勢に挟撃を受けます。一度岐阜に戻りましょう」

 それを聞いた孝之は信孝に撤退を勧めた。信雄の意図は不明だが、七千の軍勢は脅威である。

「だが……」

「しかし、城に戻って信雄様の非道を訴えれば滝川殿を始めとする織田家の軍勢は我らを助けてくださるでしょう」

「確かに」

 信孝は頷いた。岐阜城に籠れば容易に落ちることはない。秀吉に囲まれた時も何とか持ちこたえたほどだ。信雄ごときに後れをとるのは癪だが、昨日敗戦した上に兵力でも負けている。


「いったん退くぞ!」

 信孝の軍勢が引きあげるとさすがに信雄が追撃をかけてくることはなかった。信孝はただちに滝川一益ら主だった織田家臣に信雄の非道を訴えている。

 だが、これは始まりに過ぎなかった。翌日、信孝の撤退を知った森長可は遠山友忠・斎藤利堯らに攻めかかった。

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