人取橋の戦い(後)

 猛然と攻めかかる新発田軍に対し伊達軍からは猛烈な銃火が飛んでくる。


「ひるむな、竹束を用意してじりじりと進め!」


 兵士たちは冷静になって隙間なく竹束を構えて銃弾を防ぐ。確かに奥州の割に鉄砲は多いが、数で勝っている以上大したことはない。

 が、そこで伊達軍が動いた。伊達勢の先鋒の鉄砲隊が二つに割れて奥から騎馬隊が出現したのである。慌ててこちらも鉄砲隊を押し出そうとするが、騎馬隊は馬上から鉄砲を撃ちかけた。そのため先鋒の竹束を構えた兵士たちを動かすことは出来ない。鉄砲を撃ち終えると騎馬隊は一気に距離を縮めてきた。こちらが近づいていたこともあり、騎馬隊はすぐにこちらに肉薄する。

 これが噂に聞く伊達家の騎馬鉄砲隊か、と思ったが感心してばかりもいられない。今から鉄砲を構えても間に合うか微妙である。


「槍をとって迎え撃て!」


 雪がうっすらと積もる中を速度を巧みな馬術で疾駆してくる騎馬隊は脅威だが、こちらも上杉家と戦い抜いた歴戦の兵がいる。


「突撃!」

「迎え撃て!」


 先鋒で騎馬隊と槍隊がぶつかる。伊達の騎馬隊はまるで鋭利な刃物で肌を切り裂くようにこちらに陣中奥深くに侵入してくる。そしてその後に足軽が傷口を広げるように攻め込んでくる。


 が、その程度で崩れる新発田軍ではない。槍を構えた兵士が密集して本陣前で騎馬隊の突撃を防ぐ。そして騎馬隊に続く伊達家の足軽に襲い掛かり、斬り伏せた。初撃でこちらを壊滅させて追い払おうとしていた政宗の思惑は崩れ、乱戦となった。最初の勢いさえ挫いてしまえば数が多いこちらが負けることはない。


 そこへ左翼の色部軍が目の前の敵を追い散らし、中央に突撃してきた政宗本隊を側面から攻撃した。数で劣る伊達軍はこうなると戦い続けることは出来ない。ここまでよく戦っていたが、急に崩れだす。


「今だ、追え!」


 するとこれまで防戦に徹していた新発田軍が猛然と反撃に転じる。

 こちらの陣奥深くまで入り込んでしまった騎馬隊は撤退しようとするが、すでに孤立してしまっていたため包囲されて次々に討たれていった。

 一方、俺は本隊を率いて退いていく伊達軍の追撃に向かっていた。伊達軍は算を乱して逃げていくのかと思っていたが、本隊はまだ踏みとどまっていた。


「殿、まだ政宗本陣は抗戦を続けております!」

「本当か!?」


 この兵力差で撤退時を誤れば包囲されて最悪討死するだろう。輝宗を殺されたことから感情的になっているのだろうか。それとも小手森城で撫で斬りを行ったように元から狂気をはらんでいたのだろうか。


「殿、お引きくださいませ!」

「ここで引けば奥州は佐竹のものになるというのが分からんのか!」

 ふと遠くの方から戦場の喧噪を抜けて言い争う声が聞こえてくる。片方は眼帯をした隻眼の若者でもう片方は家臣のようだ。あれが政宗だろうか。


「蘆名亀王丸はまだ幼少でございます! ここで退いても敵軍はまとまりを欠いて追撃はしてこないでしょう! その間に立て直すことは出来ます!」

 そう言って政宗と言い争っていた男が政宗の馬の尻を叩く。

「小十郎やめろ! 主命に叛くか!」

 政宗はなおも抵抗したが、馬は狂奔して後方へと走っていく。それを見て傍らの男は息を吐いた。あれが政宗の片腕、片倉小十郎か。


「退け! とりあえず岩角城に入るのだ!」

 小十郎の指示で伊達軍は一斉に逃走に移る。伊達軍は退却が遅れたため、追撃した新発田軍は多数の敵兵を討ち取った。が、岩角城に籠った伊達軍は猛烈に鉄砲を撃ちかけてきたため、城の攻略から城外に残っていた伊達軍を追い散らすことに目標を変更した。


 この日他の戦線でも連合軍は勝利し、伊達軍はそれぞれの城に籠るのが精いっぱいだった。

 だが、好事魔多しとも言う。勝利の宴に酔う連合軍であったが、佐竹義重の叔父でもある小野崎義昌が陣中で殺された。陣中の諍いが原因であると言われているが、伊達家の忍びの仕業であるという風聞も立った。


 さらに翌朝、義重は国元より安房勢の侵攻を告げる書状が届き、慌てて常陸へと帰国した。実際には里見家は動いておらず、政宗の窮余の策であったとも言われている。それを見て連合軍は一気に不安に包まれる。


 そこで俺は昨日落城した高倉城にて諸将を集め、軍議を開いた。佐竹軍がいなくても相変わらず兵力では勝っているし、伊達軍は昨日の敗北でとても反撃に出る余力はない。率いている兵力の都合で俺は部外者でありながら大将のような地位に収まっていた。

 逆に言えば南陸奥の諸将は部外者を大将にしてでも伊達軍に対抗しなければならないほど政宗に危機感を抱いていたとも言える。


「本宮城、玉井城、岩角城を落とさなければ我らの脅威は衰えませぬ」

 軍議が始まると二本松城主畠山国王丸が哀願するように言う。政宗からすれば仇の息子であるが、国王丸から見ても政宗は厳しい条件を突き付けて降伏を迫ってきた上に、輝宗もろとも父を殺した仇ではある。


「よし、今日は我らが岩角城の伊達本隊を囲む。その間に皆が二手に分かれて本宮城・玉井城を攻撃するように。その後両城を落とした軍勢を集めて改めて岩角城の政宗に総攻撃をかける」

「分かりました!」

 諸将が頷く。が、そこへ物見が駆け込んでくる。

「申し上げます、本宮城の伊達軍、旗指物のみを残して退却しております」

「何だと? しかしそれならある意味手間が省けたか」

「玉井城、岩角城の伊達軍も同様に退却しております!」


 次々と使者が駆け込んでくる。しまった、と思ったが佐竹勢の撤退で慌ただしくなった隙を突かれてしまったらしい。しかし元々政宗は討ち取れれば儲けものというぐらいだ。むしろ伊達勢の脅威があった方が蘆名家は新発田家を頼るのではないか。

 諸将も肩透かしをくらったようであるが、どこか安堵が見える。とりあえず岩角城まで奪うことが出来れば二本松城と会津の連絡はとることが出来、戦略目標は達成したとは言える。


「政宗はどこに逃げた?」

「伊達軍は小浜城に集結しているようでございます」

 物見が答える。

「分かった。とりあえず岩角、本宮、玉井の諸城を回収する」


 その後連合軍が城に攻め寄せると城には本当に旗指物しか残っておらず、容易に占領することが出来た。

 政宗は岩角城よりさらに北の小浜城にて守りを固めているとのことである。小浜城は大内定綱の居城であり、館に毛が生えた程度の岩角城等よりも守りは固い。折しも雪が深く積もり始める時期であるということもあって長期戦は難しい。

 定綱は継戦を主張したものの、陸奥の諸将は戦勝と政宗の撤退による安堵で士気が緩んでおり、乗り気ではなかった。


 そこで俺は蘆名家に援軍として五十公野信宗に三千の兵を与えて残し、越後に帰国することにした。蘆名家の一部には内政への介入ではないかと反発する声もあったが、結局伊達勢への脅威が勝り、受け入れられた。


 この後佐竹家は北条家との戦いが激化して陸奥への影響力を弱め、代わりに俺が蘆名家への影響を強めていくことになるのである。

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