織田家の風雲Ⅴ

六月十日

 その後もそれぞれの勢力がそれぞれの思惑を胸に水面下で多数派工作が繰り広げられていた。徳川家康は申し訳程度に北条家に上洛を促したものの、北条家からは板部岡江雪斎が弁明に訪れたのみだった。しかも北条氏政・氏直揃って体調が悪く上洛出来ないというほぼ拒絶のような解答であった。予想通りだったため、一益は怒ることすらしなかった。

 江雪斎も本気で織田家との戦いを避けにきたというよりは織田家がどの程度本気なのかを探りに来たという雰囲気であった。


 一方、悠々と京都に滞在していた小早川隆景はもし北条攻めをするのであれば毛利家から援軍を出すと表明した。おそらく主導権をめぐって揉めている間に国元の輝元の裁可を得たのだろう。

 織田家から九州攻めの許可が降りなさそうだとみた毛利家は大友攻めの方針を転換したらしく、島津家との交渉を中止したようだった。大友家が島津家に滅ぼされたところで織田家による島津攻めが行われて毛利家が参戦すれば、それはそれで北九州は毛利家のものになると考えているようである。


 当然北条家は九州攻めに対して援軍を出す気配はなく、織田家臣の間では少しずつ九州攻めよりも北条攻めを優先した方がいいのではないかという機運が高まっていた。


 そんな中、佐々成政が佐久間盛政、前田利家や俺、柴田勝敏ら勝家縁の者を集めた。俺も彼らの意向が知りたかったのでちょうど良かった。


「このところ滝川殿が羽柴殿と組んで勢力拡大をもくろんでいる。その一方で徳川殿も信雄様と結んでそれに対抗しようとしている。このままでは織田家はどちらかに乗っ取られてしまうのではないか」

 冒頭、成政が懸念を表明した。織田家臣であることを考えると一益に同意すべきなのだろうが、勝家の意志は九州攻めであった。おそらく九州攻めを通じて毛利を完全に従属させようという意図だったのだろう。そんな訳でこの集団は微妙な立場であった。


「正直わしは北条攻めでも九州攻めでも構わぬ。ただ、どちらにせよ我らが主導権をとらねばならぬ」

 そう言ったのは盛政だった。

「新発田殿は徳川殿と親しいようだが、徳川殿は信用出来ると思うか」

 成政が俺に尋ねる。さすがにここで家康に野心がないと答えるのも白々しい。

「分からぬ。だが、それは滝川殿や羽柴殿も同じはずだ」

「なるほど。しかし信雄様を立てるのは勝家様の意図に反することになる」

「もし我らが徳川殿を味方に引き入れるなら徳川殿も信雄様に固執することはないと思うが」

 柴田家が総出で家康に味方する代わりに信雄や信孝を担ぎ出さない、という交渉は十分成り立つと思う。


「しかし徳川家は同盟相手とはいえ他家であることに変わりはないのではないか」

 そう言ったのは前田利家だった。この中では成政と盛政が中立、利家が滝川・羽柴派で俺が徳川派という位置づけになっている。

「そうではあるが、信長様死去直前はほぼ臣下のような扱いになっていたと聞く。どの道織田家が天下統一を成し遂げるのであれば徳川家も家中に組み入れる必要があるのではないか」

「言われてみればその通りかもしれぬ」


「だが、勝家様は我らの合議を認めた。である以上合議の結果を優先すべきではないか?」

 利家はなおも食い下がる。それを言われると誰も反論できない。勝家の意志は九州攻めであったが、もし合議の結果がそれと相反したときどちらを取るべきなのかは難しい問題であった。

「分かった。それについては一度勝家様に訊いてみよう。それでよかろう」

 成政がそう言って、

「ではそれまでは我らはどちらにも味方することなく、早急な結論が出ぬようにしよう」

 と盛政が同調する。さすがに「このまま勝家が死んだらどうするのか」ということを言い出せる雰囲気でもなく、この場はこれで収まった。


 俺の予想では勝家はもし回復の見込みがないのであれば九州攻めよりも合議を優先するよう遺言を残す気がする。

 しかしもし勝家が死ねば、一益や秀吉はより野心を露わにするのではないかと俺は思っていた。そうなれば成政らもより警戒するだろう。

 その時に柴田派でまとまって三勢力分立のような形になるか。それともどちらかに味方して地位を固めるか。最善の選択肢をとれるようにしておこうと思うのだった。

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