織田家の風雲Ⅳ

五月十五日

 尾張時代から織田家に仕えた丹羽長秀が病没した。秀吉、勝家、光秀らに比べると派手な功績はなかったかもしれないが、「米五郎左」と呼ばれ織田家に欠かせない存在として重用され、本能寺の変後も信孝とともに山崎の戦いに加わった。

 その後は秀吉に味方したためやや微妙な立場に置かれていたが、勝家も最後まで一目置いていた。また、家臣には長束正家、溝口秀勝、村上頼勝ら後に大名に抜擢される者も多い。

 喪主を務めた嫡子長重はこの時弱冠十五歳。長秀の葬儀を終えると、織田家中の勢力争いからは外れて領地に帰った。


 五月下旬、勝家の体調が一向に回復に向かわないとみた一益は佐々成政・佐久間盛政・前田利家・羽柴秀吉・細川忠興を集めて会議を開いた。

「ところで皆に見せたいものがある」

 細々とした話し合いが行われた後、おもむろに一益は何通かの書状を取り出した。それらは佐竹義重・宇都宮国綱ら東国の諸将から送られてきた北条攻めの要請である。

 勝家の病中にそのような重大事の話し合いは行われないものと思っていた諸将は困惑する。


「佐竹・宇都宮ら北関東の諸将から織田家への臣従と北条攻めの要請が来ている。現在北条家は徳川殿と同盟を結んでいるためなあなあになっているが、そもそも本能寺の変後に上野と甲信を攻めた所業を許すことは出来ない」

 一益の話を聞いた者たちは納得した。一益は秀吉との戦いで少数の兵力で健闘したため家老に返り咲いていたため上野逃亡の件は語られずにいたが、一益本人にとっては許されない出来事だったのだろう。

 勝家にとって北条家は直接関係ない問題だった上に徳川家との関係を悪化させることも出来ず、織田家に明確に敵対したと言われればその通りである。そしてその勝家も倒れたため、一益もいよいよ宿願を果たす時が来たとばかりに北条攻めを主張したのであろう。


「確かに、それは一理ありますな」

 真っ先に頷いたのは秀吉だった。秀吉にとって頭が痛い毛利家と九州の問題も北条攻めが先に行われれば先送りに出来る。また、織田家が関東を制圧すれば毛利家も従わざるを得ず、九州攻めも速やかにいくだろうという打算もあった。

「それはその通りだが、勝家様が倒れている間に出来ることではないだろう」

 成政が困惑しながら答える。


「しかし我らとていつまでも重要ごとを先送りし続ける訳にもいかないだろう」

「とはいえ具体的にはどうするというのか」

「まずは北条家と領地を接している徳川殿に、北条氏政か氏直に上洛するよう要請させる」

 一益が口にしたのは無難な案だった。最初なのでまずは皆が同意しやすいような案を述べたのだろう。

「上洛要請だけは行っておいて構わないのでは?」

 忠興もそれに同調する。


 成政ら三人は顔を見合わせた。秀吉と忠興には事前に一益から手が回っていたのだろうし、何か一益の思惑通りに事が進んでしまっているような気もするが、かといって北条家を放っておいて良いとも思えない。

「しかし勝家様は北条よりも毛利の従属を優先していたが」

 疑問の声を上げたのは盛政であった。

「だが毛利は上洛こそしないものの四国攻めに協力しているし、九州についても手出しは控えている。しかし北条は我らに明確に敵対している」

 そう言い返されては盛政もこれ以上反論することは出来なかった。


「とりあえずこの件を徳川殿に打診するということだけで良ければ」

「もちろん、北条家の出方を見なければそれ以上の方針を決めることは出来ないだろう」

 こうしてとりあえず徳川家に打診を行うことで話し合いは決着した。最初に皆が同意しやすい提案をして、そこから少しずつ議論の風向きを誘導していくという点では一益が一枚上手であった。


 会議の内容は一益からすぐに家康に伝えられた。家康にしてみれば北条攻めは同盟相手を失うことに繋がるし、関東も織田家の支配下になれば織田家に臣従せざるを得なくなってしまいかねない。


 数日後、徳川家から俺の元に本多正信が使いにやってきた。

「新発田殿はすでに北条家の件は聞いていますか」

「聞いてはいるが」

 よほど一益は北条家を恨みに思っていたのか、合議の結果を盛んに触れ回っていたので俺もすぐにその話は知った。一応成政に確認したところ、おおむね事実だということを聞いた俺は家康の出方を窺っていたところにちょうど正信がやってきた訳である。


「我らとしては勝家様の病状がはっきりするまで返答を引き延ばすつもりですが、もし勝家様に万一のことがあれば滝川様は我らに決断を迫るでしょう。そこで新発田殿には北条攻めをどう思うのか早めに存念を聞いておきたいのです」

「北条攻めがまずいというよりは、滝川殿の裏に羽柴殿がいるのが気になっている」


 また、これは単なる予感だが北条攻めが成功すると関東か奥州のどこかに移封されるのではないかという懸念もある。そのため、俺としては今のところ徳川家に味方する気持ちの方が大きかった。問題はどのような形で徳川家に味方するかである。

 史実で言えば加賀前田家や伊達政宗のような立場に収まることが出来れば理想的ではあるが。逆に、肥後加藤家や福島正則のように使い捨てに終わるのは困る。


 現在のところ一益と秀吉は北条攻めで利害が一致しているし、他の織田家臣も特に被害を受ける訳ではない。俺も勝てるのであれば北条家を攻めてそこまで困ることはないが、家康だけは北条家と同盟を結んでいるため、割を食うことになる。


「やはり新発田殿もそう思われるか。いや、佐和山の戦いの折に羽柴殿と敵対している以上我らよりもその懸念は大きいのかもしれませんな」

「その通りだ。それに我らは滝川殿とはあまり親交はない」

「なるほど。それを聞いて安心いたしました」


 徳川家にとって、国境を接する新発田家が敵に回れば重大な脅威となるので不安だったのだろう。


「徳川殿はどうされるつもりなのか」

「勝家様に万一のことがあり、時間稼ぎが通用しなくなったとなればこちらとしてもそれ相応の対応をしなければなりません」


 そう言って正信は不敵に笑う。やはり勝家没後に一波乱起こることは避けられぬようだった。現状、一益・秀吉と家康・信雄という構図になりつつある。しかもそれぞれの背後に毛利と北条がついている。

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