上田合戦

 本多正信が帰った直後、真田側もいよいよ徳川家との戦いは避けられぬと考えたのか、上田城の築城を急がせた。とはいえ、史実での上田合戦はこの二年後であり、おそらくその時に築かれていた規模よりは小さいものであった。


 また、上野では沼田城の藤田信吉らとの連携をとるだけでなく、厩橋城主の北条高広を独立させている。

 北条高広は元々厩橋城主であったが、滝川一益の上野入領とともに開城、その後どさくさに紛れて厩橋城に復帰した後、厩橋城の安堵を条件に北条家に降伏していた。高広は大胡城などを確保すると敵方の那波顕宗を攻めるなど攻勢に出ている。

 北条家も徳川家と歩調を合わせて真田家及び上野国内の不安要素を一掃するべく、数万の大軍を準備しているという知らせが入った。


 八月、ついに徳川家は「真田家は周辺諸家に使者を送るなど背信の動きを見せている」として、鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉率いる先鋒とする七千余りの兵を真田領に向けて上田城を包囲した。

 それに合わせて本庄秀綱・春日信達率いる六千の兵が真田信幸が籠る砥石城を囲んだ。砥石城の峻険な地形と城方の旺盛な戦意を見た秀綱は損害を減らすため、兵糧攻めを指示して徳川方の上田攻めを見守ることとした。


 そしてほぼ同時に北条氏直率いる三万の軍勢が上野厩橋城を包囲した。背後の安全が確保された真田昌幸は兵力の多くを信濃に回し、代わりに長尾家の軍勢が沼田と厩橋の間にある惣社城を攻撃して間接的に厩橋城を援護した。


八月二日 徳川軍

「結局北条家は足止めを食って参戦出来ずか」

 大久保忠世は不満をもらした。結局真田軍の大部分は信濃に集中しており、共同出兵の意味は徳川方にとってはあまりなかった。

「いいではないか。北条家が上野を平定すればいつ信濃になだれ込んでくるか分からぬ」

 平岩親吉の言葉に鳥居元忠も頷く。


 現在、徳川軍の眼前にそびえたつ上田城は石垣と天守こそ完成していなかったが、城の縄張りと城壁はほぼ完成されていた。城の前には千曲川が流れ、背後の山々には砥石城・矢沢城・真田城などの支城が建っており、平城とはいえ攻めづらい城であった。上田城に籠るのは真田昌幸ら千五百。さらに支城にはそれぞれ約五百ずつの兵が籠っていた。


「わしが山間の城を見張っておくので、お二方で上田城を攻めるというのでいかがか」

 鳥居元忠の提案に、二人は頷く。

 元忠は二千ほどの兵を率いて山麓に布陣し、大久保忠世が城の北側から、平岩親吉が城の南側から川を渡って一斉に攻撃をかける。


「撃て!」

 城からは雨あられのように矢弾が降り注ぐが、徳川軍も盾や竹束を構えて前進していく。多少の犠牲は出たものの、兵士たちはすぐに城までたどり着くと、石垣のない城壁下の斜面を登り始める。

「この程度の斜面であれば登るのは容易なこと」

「我こそが一番槍を入れてみせる!」

 兵士たちは口々に叫びながら城壁にとりつく。

 が、そこで城壁上から大きめの岩がごろごろと転がり落ちてくる。


「うわーっ!」「避けろ!」


 たちまち城壁を登ろうとしてた兵士たちの間に悲鳴がこだまする。先頭の兵士が避けることが出来たとしても、後続の兵士は避けきれずに岩にぶつかり、岩もろとも斜面を転がり落ちていく。兵士たちが功を急いで密集していたため、被害が広がる形となった。

 実はこの石は石垣に使うために集められた石なのだが、徳川軍がそれを知る由もない。


「今だ、城から討って出よ!」

 徳川軍が混乱した隙に城内から数十騎の騎兵が出陣して、寄せての兵士を次々と討ち倒して颯爽と城内へ引き上げていく。こうして大久保隊は退却を余儀なくされた。川を渡って攻め寄せていた平岩隊も渡河中に城内から猛烈な狙撃を受けて退却。力攻めは失敗した。

 それを見て大久保忠世は力なく宣言する。

「仕方あるまい、後続が着くまで城を囲んで兵糧を断つ」


 数日後、徳川軍は後続として井伊直政率いる五千の兵が到着。再び上田城の力攻めが行われたものの、川により攻め口が限られていることもあって徳川軍は多数の兵力を生かすことが出来なかった。また、支城を牽制していた鳥居隊に頻繁に夜襲に悩まされるようになった。


 八月下旬、家康はさらに五千の兵を率いて上田攻めの後詰に訪れた。武将たちは城攻めに失敗したことを詫びるものの、家康は特に怒ることもなく彼らをなだめる。

「良い良い、あまり戦いが早く終わりすぎても困るのでな。雪が降るまではゆっくり包囲を続けようではないか」

 元々信雄からの要請を断るための口実で始めた出兵なので、有利な状況であれば攻防が長引くのは家康にとって歓迎ですらあった。

 北条家も参戦すると聞いたときは一瞬で片がつくのではないかと思って冷やりとした家康であったが、北条家が足止めを受けている結果だけ見れば北条・新発田の両軍と共に攻めたのは正しい選択だったと言える。

 

 家康は着陣したものの、特に力攻めはしなかったため両軍の間の空気は少しだけ弛緩した。さすがの真田勢も家康の本隊までも到着すると気軽に夜襲をかけることも出来なくなっていく。


 その中で家康は新発田軍の将、本庄秀綱を陣中に招いた。秀綱の軍勢には周辺地理に詳しい信濃衆が多く、奇襲や夜襲の恐れがないか厳重に見張らせており、動きはなかった。

 普段他国の者と会わない秀綱はいきなり五か国の主である家康と面会して緊張に包まれる。


「そのように緊張することはない。はるばる越後から援軍に来ていただいたのでお礼を言いにきただけじゃ」

「いえ、我らとしても砥石城は村上殿の旧領なのでありがたきことでございます」

「そうであったな。戦いは膠着しているがもうすぐ稲刈りの時期。このままでは我らが周辺の収穫を全て刈り取ることも出来る。その時真田がどう動くか見物だな」

「もし城を出るようであれば返り討ちにする準備は整っております」

「それは頼もしい。時に本庄殿。わしが一番敵対したくないと思っている者がどのような者か、分かるか?」

「強き者でしょうか」


 秀綱は唐突な家康の質問の意図が分からずに正直に答える。すると家康は首を横に振った。

「人の心を得ている者だ。北条家は敵対する国衆こそ多いが、領民の心はしっかりと掴んでいる。新発田家も、勝家殿との関係は良好で、領民のために骨折りしていると聞く。逆に真田は権謀術数に長けているが、真の意味で心を掴んでいる訳ではない」

 これは単に今後とも友好関係を保ちたいという意志表示だろうか。秀綱は首をかしげたものの、

「ありがたきお言葉。是非我が殿に伝えておきます」

 と言って頭を下げた。

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