佐和山会談 Ⅱ

三月二十八日 佐和山城近辺

 佐和山城近辺、城から包囲する柴田軍からも弓鉄砲が届かないぐらいの距離に集まったのは羽柴秀吉、丹羽長秀、柴田勝家、佐々成政、そして俺の五人であった。


 なぜ柴田家の譜代でない俺が選ばれたかと言えば、長秀を羽柴方とするとこちら側の人数を多くするための気遣いだったらしい。そして秀吉と仲がいい利家と、主戦派の盛政を外した結果この人選になったのだろう。

 本来なら滝川一益も出席資格がある人物だったが、伊勢での戦いが続いているためまたも会議に参加出来ないこととなる。


 ちなみにやはりと言うべきか、秀吉と長秀の間には気まずそうな雰囲気が漂っている。お互い言い分はあるが、今は和睦を成立させることが利害の一致に繋がるため、やむをえず同席しているというところだろう。


 口火を切ったのは勝家だった。

「まずはこのたびの戦いだが、お互い言い分はあるだろうがそれについて是非を論ずるのは意味がない。和睦の条件のみを話したいと思う」

「それには同意する」

 秀吉は憔悴した様子で頷く。伊勢に向かい、途中でとんぼ返りした上に間に合わなかった秀吉の心中はいかばかりだろうか。


「清州会議で得た領地は全て手放す。その後は今まで通り毛利の抑えを受けたまわろう。また、もし四国攻めを行うのであれば当然それも参戦する」

 秀吉は言葉少なに言った。要するに西丹波・山城・河内を手放すということである。

 だが、逆に言えば淡路・播磨・但馬・因幡・美作・備前・東備中・東伯耆が残ると言う訳である。半国が二つあり、淡路の生産力は低いが一応八か国に跨る領地ということになる。


 勝家が異論を唱える。

「申し訳ないが、それでは我が家臣を抑えることは出来ない」

「それではどこまで譲ればいいか」

「播磨・但馬・淡路の三国も割譲していただきたい」

 勝家の言葉に秀吉の表情が青くなる。播磨は秀吉領の中でも特に石高が高く、さらに居城である姫路城もある。


「播磨を割譲することは出来ぬ」

「しかし羽柴殿」

 長秀も思わず口を挟む。だが、秀吉は険しい顔で腕を組んでいる。本当に悩んでいるのか、交渉のための駆け引きなのか、判断は微妙なところだった。


 俺個人としては秀吉が播磨を保持するのはどちらでも良かったが、勝家としては出来る限り秀吉の権力を削いでおきたいと思うところだろう。それに賤ケ岳で敗北した勝家が全てを失っていることを考えるとそこまで重いとも思えない。

 勝家は秀吉が答えるまで何も言わないようだった。




 秀吉は唇を噛みしめながら、つい先ほど官兵衛と交わしていた会話を思い出していた。

「殿、こたびの和議ですが殿の切腹や改易でなければ基本的には条件を呑むべきです。もっとも、備中や伯耆を我らから取り上げることはないと思いますが」

「そうか? だが、山城・河内・丹波までではないか、譲れるのは」

「それはその通りです。その先、特に播磨を失うことになれば翼をもがれた鳥のようなもの。しかし翼をもがれようが生きていれば再起は可能でございます」

「そうだろうか。播磨を失うぐらいなら姫路に籠ってもう一戦しても良いのではないか。一敗したものの、まだ戦えないという訳ではない」

 珍しく秀吉は弱気になっていた。姫路城は中国攻めの指揮官に任ぜられてから長らく居城としていた城で、思い入れは深い。

 が、秀吉の言葉に珍しく官兵衛は興奮した面持ちで反論する。


「いけませぬ、殿! 確かに姫路に籠城すれば容易には落とされぬでしょう。もしかしたら毛利も援軍を出してくれるかもしれませぬ。しかしそれでは敵方と相討ちになるだけでございます。ここは耐え忍ぶしかありません。柴田勝家はもはや六十。そう長くはありません。幸いにも此度の戦いで世継ぎ候補の勝政を討ち取り、勝豊は病に倒れています。勝家さえ病に倒れれば、織田家はまた元のごたごたに戻るに違いありません。そうなれば国などいくらでも取り返せます!」

「……分かった」




「いいだろう、播磨・淡路も割譲しよう。だが、但馬はまだ情勢が不安なため領主を変えることは難しいと思われる」

「では、但馬の代わりに羽柴殿から人質を出していただくというのはどうでしょう」

 事前に決めていたことではあるが、俺は勝家に進言する。

「羽柴殿の弟、秀長殿を人質に出してもらえるならば但馬は安堵しよう」

「そうか。ならば但馬も持っていくとよい」

 秀吉がすぐにそう答えたので一同息をのんだ。いくら優秀な人物でも一国には替えられないと思ったのだが、秀吉にとっては逆だったらしい。

 もっともこの時秀吉が官兵衛の「国などいくらでも取り返せます」という言葉を思い返していたとはその時は知る由もなかったが。


「ではわしは備中・伯耆・因幡・美作・備前をこれまで通り治める。これ以上は譲らぬ」

「分かった」

 勝家も秀吉の思わぬ返答のせいか、かすかに動揺が見えた。

「こほん、では次に丹羽殿。清州会議以前の領地である若狭と近江佐和山付近を安堵し、丹波を召し上げる。異存はないか」

「ない」


 こちらはすんなりと妥結した。長秀は長らく勝家と睨み合っており、今回の戦いでも主戦場を早期に離れたため、ほぼ交戦はなかった。柴田勝政隊との戦いはあったものの、どちらかというと丹羽隊は佐和山城の確保を重視していたため、そこまで激しくは戦っていない。

 また、美濃については織田勝長らの改易、羽柴方についた美濃衆については信孝が処置を下すということで異論はなかった。

 摂津についても処置は勝家に委ねるということで誰も異論を挟まなかった。前回の滝川一益同様、不参加者の権利は尊重されないものである。そもそも敗北した以上、摂津衆が今後も秀吉につくか不明な以上、かばう余力はない。


 そして議題は次の織田家の体制について、に移っていく。

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