新体制

三月三十日 春日山城

 翌日、織田勝長は春日山城本丸に入った。ここまで織田家と熾烈な戦いを繰り広げた上杉家の家臣たちはそれを複雑な表情で出迎える。しかし景勝が腹を切った以上もはや彼についていくしか選択肢はなかった。


 勝長が本丸に入ると、上条政繁・直江兼続・甘粕景持・斎藤朝信・吉江景資ら残った上杉家臣団、そして織田家から勝長についてきた斎藤利治・毛利秀頼・丹羽氏次ら信忠の家臣団らが広間に待機していた。上杉の旧臣は勝長については受け入れるしかないという思いもあったが、織田家臣団に対しては警戒の色を隠さず、自然と彼らは左右に別れて座っていた。特に斎藤利治は一度越中で上杉軍と戦ったこともある。


 それに上杉家臣団の中には織田家への徹底抗戦を主張した者も数多くいた。というか、景勝と兼続以外はほぼ降伏を良しとしていなかった。


「本日、わしは織田勝長改め上杉景長と名乗る。皆の忠節に期待している」

 皆は勝長改め景長に頭を下げる。

 その後景長はあわただしく、景勝の妹桂姫との祝言を挙げた。お互い好意のかけらもない結婚ではあった。誰もが戦国の習いと理解はしていたものの、景勝と菊姫の仲が睦まじかったこともあり、式はかなり冷えたものとなった。


 式の後、形式的な酒宴が催された。酒宴には一応上杉・織田の両家が参加していた。多くの武将たちが黙々と酒を飲む中、兼続は弟の大国実頼とともに織田家の諸将の接待に追われていた。他の武将たちが織田家に敵対心を持っていたため、もはや兼続しか織田家と上杉家の間を取り持てる者がいなかったからである。


 そんな中、一人の武士が立ち上がり、兼続と話していた景長の元へ向かう。まだ若いその武士は登坂清忠。

 景勝の出身である上田長尾家の出身で、父安忠は御館の乱で北条家と戦って討ち死にした。上田長尾家の者たちは景勝が跡を継いでからは重用されていたが、景勝の切腹により主を失った。景長が上杉家の当主とともに上田長尾家の当主を継ぐのかとか、そもそも上田長尾家は存続するのかといった問題はまだ話し合われていない。上田長尾家の家臣団は当然景勝の切腹による降伏に反対していたおり、この結果に納得していなかった。


「景長様。このたびは上杉家の家督継承おめでとうございまする」

「うむ、よろしく頼むぞ」

 その辺の深い事情どころか彼の名前すら知らない景長はとりあえず型通りの挨拶をする。そんな景長に兼続は彼の名前を耳打ちする。不穏な気配を感じたが、どうすることも出来ない。


「時に上杉家は謙信公以来武門の家でございます。景勝様も武に優れ、幾度も戦場では先頭に立って味方を勇気づけました」

 単に苦戦が多かったということでもあるのだが、清忠はそんなことは気にしなかった。

「そのため、景長様も上杉の家督を継ぐのであれば是非武勇のほどを皆に示していただきたい」


 そう言って清忠は木刀を一本持ってくると景長に差し出す。ようやく状況を理解した景長の表情がさっと強張る。思わず傍らで大国実頼と情報交換をしていた斎藤利治らを見る。

 利治らも不穏な空気を察したが、ここで彼らが間に入るのは景長の頼りなさを晒すことになる。そのため、少しだけ介入を躊躇した。利治らとしても、出来れば景長の威厳か機転でその場を切り抜け、新当主としての力を見せて欲しかった。

 が、景長よりも早く口を開いた者がいた。


「控えろ! 酒宴の席であれば何をしてもいいと勘違いしているのか!」

 その間に最初に清忠を一喝したのは兼続だった。兼続にしてみればせっかく降伏して上杉家が存続を許されたのに、つまらない挑発で取り潰しの危険に瀕することは我慢ならなかった。

 が、清忠はそれで収まらなかった。そもそも降伏を主導したのは兼続である。兼続が降伏をそそのかさなければ今頃はまだ景勝も生きていて籠城が続いたのかもしれない。

 とはいえさすがの清忠も景長や織田家臣の前でそのことを指摘する勇気はなかった。そのため、必然的に兼続個人に対する悪口が口から飛び出す。


「そもそも直江殿は主に腹を切らせてなぜ生きているのか! わしはただ上杉家の次期当主がそれにふさわしいかを確かめようとしただけだ!」

「お主のような愚か者を収めるためだ!」

 口論になっている隙に利治はこっそり景長をその場から遠ざける。

「誰が愚か者だ!」

 そこで清忠は脇差を抜くと兼続に斬りかかった。


「ぐわっ」


 まさかこの席で真剣を抜くと思ってはいなかった兼続はあっさり胸を斬り裂かれ、その場に倒れる。さすがにその状況を見かねた斎藤朝信は駆け寄って清忠の刀を叩き落すと、羽交い絞めにする。

「愚か者だ! そもそもおぬしらは直江殿と組んで上杉家を牛耳ろうとしていたではないか! それがうまくいかなくなった時だけ泣き言をいうのは見苦しい!」


 そもそも御館の乱後は上田長尾家と直江兼続が手を組んで自分たちの力を強化しようとしていた節があったし、実際上田衆は恩恵を得てきた。朝信らはそれも御家存続のためにやむなしと思っていたが、その上田長尾家の者たちが兼続に斬りつけるのは筋が通っていないというのがどちらでもない朝信の意見だった。


「ふむ、少し飲み過ぎたようだな。直江殿も疲労が祟って倒れられたのだろう。皆今日は早く帰って休むのじゃ」

 上条政繁がその場を収めようとするが、すでにそれで誤魔化せる状況でもなくなっていた。とりあえず政繁が兼続の体を引きずってその場を離れると、残った者たちも蒼白な表情でその場を解散した。



 翌日、事件を受けて怒り狂った景長はただちに処分を発表した。犯行に及んだのは清忠だが、斎藤利治らが見る限り、武将たちが途中まで清忠を止めなかったのはやはり織田家に対して思うところがあったからだろうと判断した。


 すでに所領を失っていた斎藤朝信・甘粕景持・吉江景資らに猫の額ほどの領地を与えると即座に領地に赴くように伝えた。事実上の追放である。

 また、登坂清忠は切腹、深沢利重・栗林政頼ら残った上田長尾家旧臣も信越国境という元の領地から離れたところに替え地を与えて追い出した。そして坂戸城には毛利秀頼を入れ、春日山城周辺は景長自身の領地とする旨を発表した。

 元々景長にそこまで思い入れがなかった武将たちは無言で与えられた地に向かい、上田衆は同胞である清忠の不始末の責任をとる意味で指示に従うしかなかった。


 さらに数日後、直江兼続が春日山城内で息を引き取った。最後をみとった父の樋口兼豊と弟の大国実頼には、上杉家の存続のためにひたすら織田家に媚びるようにとの言葉を遺した。

 景長は弟の大国実頼に兼続の跡を継がせ、文官として側に置くことにした。他にも織田家に取り入ろうとしている上条政繁や財政などを担当していた泉沢久秀も残している。

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