上杉家の命運

三月二十二日 春日山城周辺

「諏訪からの使者が勝家様の元にやってきたとのことです」

 俺の元へ柴田勝家からの使者が現れる。

 上杉家の降伏を織田家に伝えてから数日。織田軍は無駄な戦死を減らすために攻撃をやめた。しかし油断して出歩いていて兵士が数名、上杉方の奇襲に遭って討ち死にしていることから依然として臨戦体制は続いていた。


 一方、本隊を率いて出立した織田信長は先日諏訪に入り、信忠や主だった家臣たちと旧武田領の仕置や上杉家の処分について話し合ったらしい。そしてその決定が通達されたとのことだったので早速、勝家の元に向かう。


 集まっていた面々は前回と同じだった。皆が揃ったことを確認した勝家が厳粛な面持ちで話し始める。

「まず上杉家の降伏であるが受け入れることが許可された。条件としては、まず上杉家の家督は織田勝長様が継がれる」

 声にならない驚きと納得の反応が広がる。


 織田勝長は元々、苗木遠山家の養子に入り美濃と信濃の国境付近にある岩村城にいたところを、武田方の秋山信友に降伏した際に捕虜となり、甲府に滞在していた。その後勝頼が晩年に織田家との和睦を模索した際に織田家に帰されて元服し、実はこのたびの甲州征伐にも従軍していた。

 勝長は信長の五男であるが、兄の次男北畠信雄・三男神戸信孝・四男羽柴秀勝がそれぞれ他家に養子に出ていることを考えると妥当な人選と言えた。


「勝長様については美濃衆を何人か同行させ、また信忠様も補佐するとのことだ。また、上杉景勝には切腹を申し付ける。上杉家の所領は現在のままだが、その中から勝長様の領地や新たに入る家臣団の領地を分配するとのことだ」

 現在上杉家は春日山城周辺以外だと、景勝出身の坂戸城周辺に領地が残っている。とはいえ、現在春日山城に入っている上杉家臣団は城を失っている者も多く、領地割は大変だろうが。

「この旨は上杉家と坂戸城にいる盛政にも通達した。とはいえ、もし我らが油断すれば奴らは牙を剥くかもしれぬ。春日山城が開城するまでは油断せぬよう」


三月二十九日

 その後上杉家からも条件に同意する旨の返書があり、織田信忠が勝長とともに一万の兵を率いて越後に入った。ちなみに信長は信忠に指示だけを残し、徳川家康のもてなしで東海道の観光に向かったという。その様子を見ると、今後東国のことは信忠と現在配置されている家臣団に任せるということなのだろう。


 景勝の切腹は春日山城の城門前で行われることになった。

 信忠は城門前に陣幕を張って絨毯を敷いて出迎えの準備を整えた。すると城門が開き、景勝が数人の供を引き連れて現れる。信忠と景勝は実は一歳違いで、偉大な先代の後継者という点も共通していた。それもあって二人は初対面ながら感慨深そうであった。


「上杉景勝、織田家に降伏致す」

 最期まで景勝の言葉は少なかった。

「わしが景勝殿の立場であったとしても、景勝殿以上の働きが出来たかは分からぬ」

 信忠の言葉は社交辞令ではなく本音のようであった。確かに信忠は一を十にすることは出来そうだが、ゼロを一にするような経験は未知数だろう。


「良き父を持たれて羨ましい限り」

 そんな信忠の言葉に釣られたのか、つい景勝も珍しく本音をこぼした。景勝の実父長尾政景は状況的に謙信が暗殺したかもしれぬという疑惑があり、謙信と景勝の仲はあまり良くなかったともいわれる。何より、跡目を正式に決めていなかったことは謙信の致命的な失敗であった。


 最後に景勝は次期当主となる勝長に目をやった。勝長はこの歳十七。すでに立派な武将としての面構えをしていたが、元服したばかりの彼は名門上杉家の跡を継ぐという重責に緊張していた。

「そなたは長らく武田の元で暮らしていたそうだな。我が上杉家はよくよく武田と縁がある。わしはうまくやれなかったが上杉家を任せる」

「は、はい」

 勝長はかしこまった表情で答える。


 それを見届けて景勝はその場に座って刀を抜く。それを見て織田家の面々は景勝から距離をとる。

「最後に跡継ぎの顔を見れて満足した。わしは口下手ゆえ言葉で伝えることは少ないが、切腹を目に焼き付けておくように」

「はい」

 勝長はそう言われて目を見開いた。

「介錯人は」

「不要」

 信忠の問いに景勝は短く答えた。

 そして景勝は己の腹に刀を突き立てる。ぱっと鮮血が噴き出し景勝の顔が苦悶に歪む。それでも景勝は刀を動かし、腹を十文字にかき切った。凄惨な光景であったが、織田家の者も上杉家の者も誰一人目をそらすことなく見届けた。周囲が血に染まる中、景勝は座したまま果てていた。

 享年二十七歳である。


 また、このころ城内では景勝の跡を追って上田衆の黒金景信らが追い腹を切っている。

 そして、追い腹とはやや異なるが勝頼の妹でもある正室の菊姫も侍女の介錯で命を絶ったのであった。

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