競争

二月十八日 葛尾城

 翌日、真田家から降伏の使者が着いたと聞いて俺は現在織田軍の本陣が置かれている葛尾城に、降伏した依田信幸を伴って向かった。昨日の間に前田利家が攻めていた屋代政国も降伏。真田家以外の周辺国衆は順調に平定されつつあった。


「信濃の本領だけならともかく、上野の所領も認めるなど出来ぬ!」

 俺が向かったときにはすでに真田家の使者が退出しており、利家や村上国清、須田満親らが話し合いを始めていた。しかし大将である利家は当然と言うべきか、全所領安堵には反対していた。

「おお、新発田殿も来られたか。依田城の開城ご苦労であった」

「いや、ただ使者を派遣しただけだ」


 型通りに謙遜して俺が席につくと今度は須田満親が口を挟む。

「とはいえ武田一族には厳しく望むとしても国衆には寛大な処置をした方がいいのでは?」

 信濃衆としては国衆に寛大な統治を望んでいるのだろう。

「だが、とはいえ、真田家は武田家の重臣。本領安堵だけでも十分寛大と言えるのでは?」


 今度は村上国清が反論する。ちなみに彼の父村上義清は武田家と戦っていた時代、真田昌幸の父幸隆の調略により信玄に敗れたという側面がある。そんな先代の遺恨も絡んでいるのだろう、国清は真田家の所領安堵には反対らしかった。


「確かに本領だけでなく上野の所領も認めるというのは良くないと思う。しかしここでそれを認めずに真田が抵抗を続けると面倒なことになる。真田領の奥には武田勝頼の従弟、信豊の小諸城がある。もし信豊が小諸城に戻り、真田と手を組んで抵抗を続ければ容易には抜けなくなる」

 勝頼の従弟である信豊は武田家の中でも地位が高く、御館の乱の折に甲越同盟が結ばれた際も尽力したという重要人物である。その城を落とせば大きな手柄になるだろう。

「それはその通りだが……戦後新しくこの地に赴任する織田家臣のためには所領を遺さなければならない」

 利家はなおも反対する。俺も織田家の家臣だったら上野の所領は召し上げて直轄領を増やしたいと思うだろうな、とは思うが。


「ならばこうしてはいかがか。真田家に小諸城攻めの先手を務めさせ、その功績で所領を安堵するということにしては」

「しかし我らが本気で攻めかかれば真田家を倒すことも出来るはずだ」

 利家の主張ももっともである。俺が真田家と戦いたくないというのも歴史を知っているからこその後知恵のようなところがあるからな。


「何にせよ、講和交渉中に真田が攻めてくることはないでしょう。今回はいったん保留にして、またもう一度、皆で考えを整理して話し合ってみては」

 見かねた須田満親が助け船を出す。

「分かった。明日の朝、もう一度この件について話し合う。それまでに真田家が仕掛けて来れば攻め滅ぼす」

 そう言われてしまえば異存はない。

 結局、俺たちはその日は周辺の小城を接収して終わった。

 しかし、真田家の降伏をめぐる議論は思わぬ進展を迎えることになる。


二月十九日

 俺たちは再び真田家の降伏について話し合うために本丸に集まった。しかしやはり真田家以外に周辺に強敵がいないことを再確認したからか、利家は強気な眼差しをしている。これはまずい流れだな、と思っているところに、一人の使者が現れた。


「申し上げます、昨日飯田城主の保科正直と大島城主の武田信廉が相次いで逃亡し、信忠様は両城に無血入城しました!」


「保科はともかく武田信廉と言えば信玄の弟ではないか。それが一戦もせずに逃亡などということがあるか?」

 思わず利家は使者に訊き返す。外様の国衆が逃げるのと一門衆が逃げるのとでは訳が違う。

「我らも困惑しておりますが、信忠様は昨日夕方、無事大島城に入城いたしました」


 使者が帰っていくと、利家はため息をついた。

「真田など一月もあれば音を上げると思っていたが、これは一月もかけている場合ではないということか」

 信忠軍の思わぬ進撃速度に利家も焦りを覚えたらしい。信忠軍が諏訪の武田本陣に攻め入るのと同じ時期に諏訪辺りまで進軍しておきたいのだろう。


「ここは真田の降伏を認めて我らも進撃速度を優先すべきでは」

 俺はここぞとばかりに主張する。利家はなおも少し悩んだが、やがて決断する。

「分かった。ただしあくまで小諸城攻めにおいて手柄を挙げたら全所領安堵を信忠様に進言する、それだけだ」

 利家は苦虫をかみつぶしたような表情で言った。俺はとりあえず自分の役目を果たせたことに安堵する。


 その後この条件に人質の条項だけ加えた条件で、利家と昌幸の間で何度かやりとりが行われ、真田家の降伏は受理された。

 そして夕方ごろ、真田昌幸が嫡子信幸を伴って葛尾城に姿を現した。

 昌幸はこの年三十六歳、武将としては働き盛りである。本来は信綱と昌輝という二人の兄がいたが、長篠の戦いで討死したため家督を継ぐことになったという。穏やかな表情で織田家の武将たちにもにこにこと愛想よく接しているが、よく見ると目は笑っていない。そんな印象だった。


「お初にお目にかかります、真田昌幸と申します。このたびは寛大な条件での降伏を認めていただきありがとうございます。これなるは嫡子の信幸ですので、いかようにもお使いください」

 信幸と言われた青年は礼儀正しく頭を下げる。今年で十七歳になる、いかにも礼儀正しい好青年という印象だった。

「うむ、今後の信濃攻略においては励むように」

「微力ながら全力を尽くさせていただきます」

 昌幸は恭しく頭を下げる。そして顔を上げると、俺に向かって意味ありげな視線を送ってきた。

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