二代目
二月二十一日
真田勢を加えて軍勢を再編した織田・新発田・信濃衆連合軍は、先鋒に真田昌幸率いる四千、次鋒に山浦改め村上国清とその他信濃衆の二千、そして新発田軍三千に前田軍五千という合計一万五千の大軍に膨れ上がり、小諸城に殺到した。
武田信豊の留守を守っていた城代下曽根浄喜は頼みの綱であった真田の離反を聞いて逃亡したが、信豊の嫡子次郎の指揮で残った家臣団は籠城を選択。幼い君主を守るため、残った城兵は一千にも満たない兵力で奮戦したが多勢に無勢。
それでも何とか一日持ちこたえたが、翌二十二日に城に繋がる間道沿いに侵入した真田勢が城に火をかけると瞬く間に落城した。本丸に織田家の兵士が突入すると武田次郎は見事に腹を切っていたという。
「元服前の男児でも見事な戦いを見せるとは。一戦もせずに逃げ出した奴と同じ一族とは思えぬな」
利家は次郎を見てそんな感想を漏らした。
「ここからどうする? 最短で諏訪を目指すか、一度佐久を平定するか」
小諸城が落ちたため、信濃の上野と接する地域である佐久への道は開けた。佐久には内山城主の小山田昌成という重臣もいたが、本人は諏訪の武田本隊に参加しておりこちらにはいない。そのため、ほぼがら空きと言っても差し支えない状況だった。
「ここから諏訪に向かうには山を越える必要がある。その際、佐久に残る武田勢が我らの補給路を山道の隘路で襲えば大軍が飢える可能性もある。とりあえずは佐久を平定し、もし信忠様が我らより早く諏訪に着くようであれば、そこで向かえばいいだろう」
信濃衆は旧領を取り戻し、真田は自領の安堵を認められているので、もはや異存のある者はいない。信忠よりあまり早く着きすぎても困るということもあり、俺たちは一度佐久の諸城を平定することに決めた。
二月二十三日
佐久の小城、前山城に向かっている俺の元に二十人ほどの村人のような恰好をした集団が現れた。地元の住民が禁制の嘆願にでもやってきたのだろうか。織田軍は軍規が厳しいが、戦争で侵略を受ければ大なり小なり略奪や暴行などを受けることがある。そのため、住民は先手を打って侵攻軍に嘆願に行き、略奪などの禁制を出してもらうことがある。
が、現れた集団の先頭にいたのは二十ほどの女性であった。村人のような恰好に身をやつしているが、感情が読み取れない無表情をしている。普通住民が侵攻軍に嘆願に来るときは脅えか媚びのどちらかの表情であることが多いのだが。
よく見ると、彼女の後ろに続く者たちもどこかただ者離れした雰囲気がある。もしや窮した武田が刺客を放ってきたか、と少しだけ警戒しながら尋ねる。
「おぬしらは何者だ」
「私は望月千代女と名乗っております」
女は小さいがはっきりした声で言った。
「望月……と言うとあの武田忍びか。いったん他の者を下がらせてもらおう。前山城については千坂景親と竹俣慶綱に任せる」
俺はそれを聞いて千代女に続く男たちと家臣以外の兵士を本陣から下がらせる。俺の周辺には護衛の意味もあって残した猿橋刑部他数人の家臣と千代女のみになった。忍びのことについては味方にも極力情報を漏らしたくはなかった。それに、下手な漏れ方をすれば武田と内通していると疑われかねない。
「しかし見たところまだ若いようだが、千代女というのは信玄の代から仕えているのではなかったか?」
「はい、私は言うなれば二代目望月千代女と申すべき者でございます。もっとも、すでに先代との縁は切れておりますが」
なるほど、襲名制なのか。
「縁が切れたというのは何かあったのか?」
「先代は最後まで武田を見放すことを肯ぜず、諏訪の武田本陣に残りました。ですがこのままでは望月忍びはまとめて全滅してしまいます。そこで私たちは武田を離れたのです」
そう言えば千代女が連れて来た男たちは皆若い者が多かった。もしかしたら武田の恩を受けた年配の者たちは忠義を、未来がある若い者は集団の存続をとったのかもしれない。
「なぜ俺の元へ現れた」
「我ら望月忍びという集団を維持するためでございます。織田には滝川一益ら甲賀忍びが、徳川には服部半蔵ら伊賀忍びが、北条には箱根の風魔忍びが、上杉には直江率いる軒猿がおります。そのため、近隣で有力な忍びを持たぬ新発田家を頼った次第です」
言われてみれば確かにそうだ。
「ちなみに、これは真田の斡旋があったのか?」
「真田家からの勧めはありましたが、最終的には我らの決断です」
「真田家の内情を探ることも出来るか」
「もちろん可能でございます」
千代女は淡々と言った。相変わらず表情の動きが読めないので、本気で言っているのかが分からない。この忍びたちが真田と繋がっているのかどうかは実際に使ってみるまで分からないだろう。
それはそれとして、ここまで感情の起伏に乏しいと、何とか彼女の感情が起伏するところを見てみたいと思ってしまう。
「武田勝頼についてはどう思うか」
「今ではただの旧主です」
「そうか。しかし愚かな主君に仕えてしまった忍びは災難だったな」
俺はあえて煽るように言った。
すると一瞬ではあるが千代女から殺意のようなものを感じた。そんな雰囲気を感じたのか、傍らの猿橋刑部が思わず刀のつかに手をかける。
が、すぐに殺気は消滅した。
「悪かった。おぬしに本当に感情がないのかを確かめようと思っただけだ」
「いえ、私が未熟でした」
千代女の表情は元通り感情のないものに戻っている。
「勝頼殿は時勢と同盟相手に恵まれなかったな」
そもそも俺が景勝から独立せずに、織田家との戦いに協力していれば織田家の勢いは削がれて間接的に武田家は助かっていたかもしれない。景勝にも勝頼にも同情はないが、武田家臣には多少の罪悪感を覚えなくはなかった。
「いえ、戦国の世は結果が全てですので」
「そうか、ならば俺の元でも結果を出して欲しい。とりあえず俺が信濃にいる間は武田と織田本隊、そして真田の動きを教えてくれ。この遠征が終われば、改めてしかるべき場所に派遣する」
「はい、かしこまりました」
千代女は頭を下げた。
これで本能寺の変が起こった時に畿内の動きを探ることが出来るようになる、と思うと一安心だった。
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