落日の武田

二月十五日 海津城

 北信濃に侵入した連合軍だったが、思いのほか抵抗は少なかった。

 このころの武田家は上野で北条家と、駿河で北条家と徳川家と戦いながら、木曽と南信濃から織田軍の侵入を受けており、信越国境は唯一の警戒しなくていい国境とすら言える状況であった。

 国境付近の要衝である海津城は元々重臣の高坂昌信が守っていたが、甲越和議が成立するころに病死。その後子供の信達が守っていたが激戦地の駿河に移動され、その後も城主が変わり続けるという有様で、無防備であった。


 また、連合軍の侵入に呼応した高梨家や須田家の旧臣が蜂起し、飯山城や須田城は本隊がたどり着いたときにはすでに占領されているという有様で、その日のうちに海津城までたどり着いた。

 高坂昌信が築いた海津城は平城ながら、上杉謙信の南下を防ぐための堅固な城構えとなっていた。信玄が一万余の軍勢と入っていたこともあり、かなり広い。長岡城に迫るぐらいかもしれない。が、その広さの割に城内にいる兵は多くないように思えた。

 そしてその前には信玄と謙信が死闘を繰り広げたとされる八幡原が広がっている。


「こうして越後から攻め込むとまるで謙信になった気分だな」


 同行していた前田利家はそんな冗談を言った。頑強な抵抗を見せる春日山城と違い、信濃に入ってから出会うのは敵兵よりも信濃衆の旧臣の方が多いくらいで、俺たちの間にはややゆったりした空気が漂っていた。


「その割にはこの城には武田信玄も高坂昌信もいないが」

「それはその通りだ。とりあえず降伏勧告を送ってみるか」


 城将は初めて聞くような武将がいるが、城内には大した兵力もないように思われる。特に異存もなく、利家が使者を送るのを眺める。

「翌朝までに返答するとのことです」

 戻って来た使者がそう告げたので俺たちは近隣に野営した。この辺りが武田家の領地になってから約二十年経っていたが、末期の武田家の重税などのせいか、人々は比較的好意的だった。


二月十六日


「申し上げます! 城兵ことごとく夜陰に紛れて逃亡! 城内には人っ子一人おりません!」


 翌朝、日が昇るなりそんな報告が届いた。

「まあそれならそれで良いか」

 そう言って利家は頷く。その後俺たちは軍勢を率いて城内へ入った。一応山浦国清らが先遣隊を率いて城内に入ったが、特に罠などもなかったという。


 その後俺たちも続々と入城したが、信玄が大軍を率いて入ったこともあるということもあり、一万近い兵士がほぼ収容出来た。逆に言えばこの広い城をわずかな兵力で維持することは出来なかったのだろう。

「重家様、城内の兵糧庫や武器庫が荒らされており、大した物は残っておりません」

「そういうことか」

 城から退去する際に物資を持っていくのは当然だが、荒らされているということは兵士たちが勝手に持って逃げ出したのだろう。撤退よりも逃亡の言葉が似あうその状況に、武田家の滅亡が迫っているのを知っている身としてはただただ悲哀を感じた。


 一通り城内の調査と兵の収容が終わった後で利家は本丸に主だった将を集め、軍議が開かれる。そして信濃の絵図に主な城や織田軍の動きなどを書き込まれたものを我々に見せる。


「現在織田信忠様が軍勢を率いて南信濃に侵入し、下条氏や小笠原氏を降している。今日にはすでに保科正直の飯田城に迫るだろう。また、飛騨からは金森長近殿が信濃を目指している。一方の武田軍は今福昌和らが深志城に入り、木曽谷を攻めようとしている。我らは海津城より南西方向に進み、木曽家とともに武田軍を挟撃するのが良いだろう」

 利家が言い終えるが、誰も異存はない。

 軍議というよりは現状と方針の確認が終わりかけたところへ、使者が飛び込んでくる。織田家の者ではない、この家紋はもしや木曽家の者か。


「申し上げます、先ほど鳥居峠に攻め込んだ武田軍三千を打ち破り、武将の今福昌和を討ち取りました!」


 使者は戦勝の余韻が収まらないのか、興奮した口調で述べる。それを聞いた利家や信濃衆らは呆気にとられた。あの武田家が、織田家の支援を受けたとはいえ、木曽家のような一国衆に惨敗したというのか。


 使者の説明によると、戦いの経過は以下のとおりである。

 武田軍の侵攻に対し、木曽軍は鳥居峠を越えさせて領内に誘い込み、伏兵で奇襲をしようとした。それに乗った武田軍は峠を越えて攻め入り、現れた伏兵と乱戦になる。地の利を生かした木曽軍に対して今福昌和も果敢に戦い、混戦になった。

 しかし美濃衆の苗木勢が信忠の意を受けて加勢し、均衡が崩れた。そして今福昌和の討ち死にを契機に武田軍は総崩れになったという。

 鳥居峠の戦い自体は知っていたが、まさかこんなに早かったとは。


 使者はなおも興奮した面持ちで語る。

「我ら木曽軍はこのまま北上して深志城に向かう所存でございます」

 深志城は松本にある中信濃の要衝で、信玄時代には馬場信春が城主を務めていた重要な地だが、暗に深志城は木曽家で落とすからお前たちはよそに行け、と言っているように聞こえる。

 しかし圧倒的な勢力を持つ武田家に反旗を翻し、織田家の支援があったとはいえほぼ独力でそれを破り、領地を拡大しようというのはどこか自分の境遇と重なるところがある。


「前田殿、東信濃、特に佐久の辺りはまだ誰も向かっていない。こちらに向かえばまだ敵は残っているだろう」

「では千曲川沿いに南東に向かいましょう。その先は我らの旧領であり、道案内出来ると思います」

 山浦国清がやや勢いをつけて発言する。他の信濃衆に比べて国清の旧領は南方にあり、彼は一人だけまだ故郷の地を踏んでいなかった。

「分かった。ならば村上家の旧領を奪還しつつ、真田昌幸の真田城、依田信蕃の依田城、武田信豊の小諸城などを目指そう」

「ありがたき幸せにございます」


 いずれも現在の武田家にとっては重要人物であるが、昌幸は上野に、信蕃は駿河田中城に、信豊は勝頼とともに諏訪の本陣にいる。そのため、重要拠点を労せずして落とせる可能性があった。

 俺としても真田昌幸は本能寺の変後の周辺の政局で重要人物になることが分かっているので、可能であれば接触しておきたいという気持ちもあった。

 こうして今度こそ軍議は決した。

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