不動山崩れ

二月九日 柴田軍

 柴田勝家率いる織田軍三万は織田信忠の武田征伐に合わせて国境をまたいだ。国境を越えて春日山城までたどり着けば実は武田領はすぐ近くである。御館の乱の際、信濃付近の城のうちいくつかは武田家に割譲されており、意外と近い。


「柴田様、山本寺家からの書状です」


 そこへ商人に扮した一人の男が本陣に通されてくる。不動山城主の山本寺勝長は本領安堵とともに内応を約束していた人物である。

 勝長は御館の乱のときは父定長とともに景虎方につき、乱後は隠居していたが孝長の死によりにわかに還俗して当主として復帰していた。そんな経歴もあって景勝への忠誠は高くなく、また亡き孝長も家の維持を遺言していたということもあって真っ先に内応を申し出ていた。


「ご苦労」


 勝家は書状を受け取って広げる。


『上杉軍は我らの内応に気づかず、五千ほどの軍勢とともに不動山城背後の山に潜み、山中の城攻めで軍勢が散り散りになったところを奇襲するという作戦のようです。城下まで来られれば案内の者を出すので逆に山中の上杉軍を包囲しましょう』


 不動山城は山城であり、上杉家のとろうとしている作戦はありえそうなものに思えた。春日山城での籠城は軍事的には安全策だが、本拠が包囲されているという状況は政治的にはまずい。そこで辿り着かれるまでに局地戦で勝利しようと考えたのだろう。


「分かった。よしなに伝えよ」

「ありがたき幸せ」

 商人に扮した男は一度平伏してからその場を去っていく。勝家は特に違和感を覚えることなく軍を進めた。


 昼過ぎごろ、織田軍は不動山城山麓付近に到着した。険しい山の中腹にある不動山城は典型的な山城であった。本気で包囲するなら山の中にも分け入らなければならず、上杉軍が分散して山中に潜んでいれば地理に詳しくない織田軍は奇襲を受けるかもしれない。


 そこへ一人の男が現れる。足軽のような恰好をした男は山本寺家の者だと名乗った。先鋒の佐久間盛政は勝家から先ほどの書状の件を聞いていたのでその男を本陣に通す。


 が、そこでなぜか城の方から銃声が聞こえてきた。散発的なものであるが、動物か猟師かを織田兵の物見と誤認したか。

「とりあえず銃声も報告するか」

 盛政はもう一度本陣に使者を送り、さらに山中に物見を派遣する。


 が、物見はすぐに戻って来た。が、傍らに傷だらけの男を連れていた。男はまるで激しい斬り合いを潜り抜けてきたかのように血に染まり、鎧は乱れ、左腕には矢が刺さっている。しかも先ほど銃声は鳴りやまないどころか、どんどん頻度が上がっている。


「一体何者だ」

 思わず盛政は声を荒げる。すると物見は困惑したように述べる。

「分かりません、山中で逃げてくるのを見つけました」

「う……山本寺の……裏切りは露見した……」

 そう言って男はその場に倒れる。それを聞いて盛政は息を呑む。


「こやつが山本寺の使者ということなら上杉にやられたということか? ならば先ほどの者は上杉の間者か?」

 盛政は慌てて本陣に使者を送る。耳を澄ませば銃声に混ざって時折喚声のようなものも聞こえてくる。明らかに城では何かが起こっている。

「このままでは山本寺が危ない……仕方ない、我らこれより城を目指す!」

 盛政は自身の手勢五千を率いて猛然と山の中に突入した。


 城に近づいていくと、すでに戦いが始まっているらしかったが、開け放たれた城門からは次々と上杉兵が城内に突入していくのが見える。

「突撃! 我らは城外の上杉軍を襲う!」

 本当は城内の山本寺兵を援護したかったが、闇雲に突入すれば同士討ちになりかねない。盛政は城を囲んでいる上杉軍に攻めかかった。


 盛政の動きを察知した上杉軍は慌てて迎撃態勢を整えたものの、城内に残った兵と城外の兵士に分断されているため、統率がとれていない。

 一方の盛政も攻め込んだはいいが、険阻な山に阻まれてなかなか進むことが出来ない。こうしてそれぞれの部隊が山の中で散り散りになり、そこかしこで斬り合うという乱戦になった。


 が、盛政からの使者を受け取った勝家の判断は早かった。盛政が突入していなければ様子を見るという選択肢もあったが、戦いが始まった以上参加するしかない。また、すでに上杉と山本寺が戦いを始めていたのなら少なくとも、相手は万全の態勢で待ち構えているということはなさそうである。


 こうして入り組んだ山中で織田軍三万と上杉軍五千が入り乱れて戦うという乱戦になった。織田軍も個々の部隊が散り散りになり、勝家も全体の戦況を把握するのに苦労した。

 が、いくら地の利があってもやはり三万と五千の兵力差は覆しがたいものがあった。やがて上杉軍は撤退し、織田軍は気が付いたら勝利しているという形になった。


 勝利後、城内に入った勝家は思わず顔をしかめた。上杉・山本寺両軍の兵士の死体が所せましと倒れており、死臭が鼻をついた。

「申し訳ございません、我らの不手際で内応が露見してしまい、ご迷惑をおかけしました。それがしが山本寺勝長でございます」


 そう言って現れた甲冑の男、右腕に真っ赤に染まった包帯をぐるぐる巻きにしている。当主自らが傷を負うほどの激しい戦闘があったようだった。

「わしが柴田勝家だ、遅くなって済まぬ。しかし一体何があったのだ?」

「それが……」

 勝長の話によるとおおむね以下の通りである。


 勝長は去年の暮から内応の腹を決めて勝家に書状を送っていたが、国境沿いでかつて敵対していた勝長の行動を上杉側も監視していたため、早々に露見した。そのため、織田軍の侵攻の少し前に上杉軍は勝長を恐喝して城に監視の兵を入れた。

 さらに裏切りが露見していない振りを続けさせ、道案内と称して上杉家の間者を送り、柴田軍を山中の隘路に誘い込み、上から岩や巨木を投げ落とすなどの奇襲を計画していたという。


 しかし勝長としては仮にこれで今回勝利したとしても、今後永久に織田軍との最前線を守り続けなければならない上、一度裏切ろうとしたので勝ったとしても手柄にはならない。そこで決死の間者を数人選抜し、織田軍にそのことを告げようとしたところ上杉方の忍びの警戒網に引っかかった。

 そして城内の監視部隊との斬り合いになったところに盛政が駆けつけたという。


「大変ご苦労であった。しかし盛政の独断も今回ばかりは大手柄だったな」

 思いもよらない勝長の苦境に勝家は同情するとともに、何とか助けられたことに安堵した。


 その後上杉本隊は春日山城に逃亡、織田軍は不動山城を占領した。もはや春日山城まで織田軍を遮る障害は残っていなかった。

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