天正十年

開戦の火蓋

天正十年(1582) 二月

 二月三日、織田軍の武田征伐部隊は岐阜城を出発したとの知らせが入った。こちらは柴田軍団と違って史実通りの進行具合である。それに合わせてという訳でもないが、俺の方も兵と武将を長岡城に集めて出兵準備を始めた。


 また、すでに武田信豊らが離反した木曽家を攻めて敗北するなど甲州征伐の前哨戦とも言える戦いが始まっていた。


 そして二月九日、柴田勝家が再び三万の軍勢を率いて越中越後国境を越えたという報が入った。昨年末に魚津城が落ちて以来、残った城もおおむね織田軍に降っていた。


 勝家の越後入りを聞いた俺はすぐに長岡城本丸広間に諸将を集めた。弟の信宗の他家臣の猿橋刑部、高橋掃部助、佐々木晴信ら。降伏した竹俣慶綱、千坂景親、そして本庄秀綱。さらに後ろにはそれ以下の武将たちが並んでいる。思えば最初のころより大分人数も増えたものである。


「先ほど柴田勝家殿率いる織田軍三万の軍勢が国境を超えて越後に攻め込んだとの知らせが入った! 織田軍の勢いをもってすれば春日山城が落ちるのも時間の問題であろう! だが我らも織田軍に負けてはいられぬ! この機に少しでも領地を広げるのだ!」

「おおおっ!」


 そこで俺は背後に掛けられている周辺の絵図を指さす。この日までに情報収集はしていたが、思ったよりも上杉方の凋落は著しいようであった。主力が上越に集中しており、中越方面はほぼ無防備と言って差し支えない状況である。


「上杉軍は直江兼続・斎藤朝信・甘粕景持・吉江景資・上条政繁らが織田軍に備えて春日山城に集まっている。こちらに対する備えはほぼ皆無であるが、ここ長岡城を少し南に向かったところにある蔵王堂城を改修して中条景泰が一千ほどの兵とともに籠城している。俺は本隊四千を率いて蔵王堂城を目指す。一方、信宗には二千の兵を率いて出雲崎を接収し、そのまま海沿いに西進してもらいたい」


 出雲崎から海沿いに進んでいくと、その先には内応を約している斎藤景信の赤田城や城主が吉江景資に代わったものの不在の北条城、安田能元の安田城などがある。


「かしこまりました」


 信宗は頷く。その後俺は部隊の割り振りを発表した。俺の本隊には近隣に領地のある秀綱や降伏して日が浅い慶綱・景親らを入れた結果、譜代武将は信宗の部隊に多くなってしまった。


 蔵王堂城は信濃川南岸にある平城である。山城ではなく平城に戦力を配置したのは、山間部の城では越後平野を進む新発田軍を止める役に立たないという判断だろう。

 蔵王堂城は古志長尾家の城であったが、当主上杉景信が御館の乱で景虎方について敗北。松川修衡という者が城主についていたが、このたび地理的な事情でにわかに改修して脚光を浴びることとなった。


 城の北と西が川に面しているため、東部と南部にいくつもの曲輪が築かれ、空堀が掘られている。城内には景泰が中条家から連れて来た家臣と地元付近の兵士である。兵士の士気は必ずしも高い訳でもなかったが、城主の景泰は徹底抗戦を主張しているようであった。

 調略しようにも、中条家はすでに景泰の子三盛に継承されて色部家に従っているため景泰を当主に戻すことはほぼ不可能であった。


「力攻めしかないか。者共、ここを落とせば越後平野一帯は我らのものだ!」


 新発田軍は喚声を上げて攻めかかる。対する城兵は新築の曲輪に立てこもり矢で応戦した。兵士たちは矢の雨をかいくぐりながら城に殺到し、空堀に次々と木材などを投げ入れていく。元々そこまでの深さはなかった空堀はすぐに埋まっていった。


 翌日、新発田軍は木材で埋まった空堀の上に木の板などを渡して城壁に辿り着く。城内からの一斉射撃で兵士たちはばたばたと倒れるが、後続の兵士が木で作られた塀を槍で強引に押すと、兵力のごり押しで塀は内側に倒れていく。


「一歩も退くな、敵兵を一人でも多く倒せ!」


 が、城方は中条景泰が自ら陣頭に立って兵士を鼓舞していた。攻め手が限られていることもあり、景泰は時々場所を変えることで戦場全体を鼓舞することが出来た。

 相次ぐ連敗は上杉軍の士気に陰を落としていたが、景泰に限って言えば危機感からいっそう奮起しているようであった。


 思わぬ相手の奮戦に兵士たちの進撃は止まる。陣頭に立たず後方からその様子を眺めていた俺は首を捻る。元々士気はそこそこだった城兵も景泰の必死さに火をつけられたように果敢に応戦してくる。


「よし、敵の動きが止まっているぞ。今のうちに堀に火を放て」


 景泰が次の指示を出す。堀に火がつけばもう一度堀を埋めなければならなくなる。

 しかし敵は景泰の鼓舞で持っているようなものである。そう見てとった俺は作戦を変えることにした。

 俺は密かに弓隊を集めると、号令をかける。


「いったん退け! このままでは損害が増えるばかりだ!」


 俺の号令で兵士たちは潮が引くように下がっていく。相手方も乱戦が終われば堀に火をつけやすくなる。そんな思惑の一致もあってそれまでの激しい戦いがぴたりと止まる。


「射て!」


 そこでたまたま俺と景泰の命令が被り、両陣営から同時に矢が放たれる。城方から飛んできた火矢は堀に降りそそぎ、たちまちのうちに火が燃え上がった。

 一方、こちらから飛んだ矢は山なりに飛んで先頭の城兵たちの頭上を越え、景泰の元へ集中した。


「ぐはっ」


 その中の一本が景泰の右肩を貫く。さすがの景泰も痛みのあまり顔をしかめた。すぐに手近にあった布で傷口を押さえるものの、瞬く間に布は赤く染まる。それでもその場に立っていたのは見事であったが、城兵たちの間に動揺が走った。


「とはいえ、まずは火を消すところからだな」


 幸い隣には大河が流れている。もう一度木材を集めるのは面倒だが相手の中心である景泰を負傷させたのは大きな戦果だろう。

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