信濃川渡河戦 Ⅱ

九月一日 信濃川東岸

 俺は目の前で川の流れが強くなっていくのを見つめていた。突然の奔流で押し流された岩や巨木が流れていき、水はしぶきを上げている。もし渡河している最中にこの流れが来たら確かにまずかっただろう。

 そして上杉方がせき止めて水位が少し下がっていたが、少しずつそれが戻っていく。本庄秀綱が堤の奪取に失敗して、破壊に移ったのだろう。とはいえ、この五日間で水量が少しずつ元に戻っていたのであってもなくてもそんなに変わらないが。


 それにこの五日間、俺は無為に過ごしていた訳ではなかった。上杉軍の目を欺くために集めていた土嚢だが、これを川の中に置いて臨時の橋のようなものを作ることが出来れば川を渡ることが出来る。俺は武将たちを本陣に集めた。


「川を見る限り秀綱の堤奪取は失敗に終わったようだ。そこで次の作戦に移る。この五日間集めてもらった土嚢で川に臨時の橋をかける」

「しかしそんなことをしようとすれば対岸から矢の的にされるのでは?」

 信宗が常識的な意見を述べる。


「そうだ。そのため佐々木晴信に吉江城周辺の住民に金をやって集めてもらった」

「そうか! それはこのためだったのですね」

 晴信はようやく俺の意図を理解して頷く。実は五日前から晴信には密かに吉江城周辺の住民を人足として集めてもらっていたのである。


「そうだ。敵軍は吉江城から逃げてきた兵士も多くいるだろう。領民に矢を射かけることにはためらいもあるはずだ」

 吉江家の者たちはおそらく城と領地の奪還を諦めてはいないだろう。その際、敵に味方していたとはいえ領民に矢を射ていたなどということもあれば統治に差しさわりがあるだろう。


「なるほど。しかしもし吉江家以外の兵が矢を射かけて来て民が死傷した場合はどうでしょう?」

 猿橋刑部が疑問を述べる。

「とはいえ敵軍にためらいが出る以上、被害はましなはずだ。それでも橋作りに失敗した場合はもはや渡河を強行するか、時間はかかるが新潟港から船を借りて出雲崎付近に上陸するかだろうな」

 あいにく現在船は敦賀からの帰路にあり、今すぐに使えるという状況ではない。こちらが優位ではあるが、あまり時間をかければ冬が来てしまう。それに船を借りれば交易に差し障りが出るので奥の手に取っておきたかった。


「分かりました。それでは準備いたします」

「よし。ならば集めてきた領民の一部を秀綱の陣にも送るのだ。明日の朝、時を同じくして作戦を実行するとも伝えよ。また、一応領民を守るために盾なども集めておけ」

「はいっ」


翌日 早朝

「では作戦開始! まず川を土嚢で埋め立てよ!」

 信濃川はかなりの川幅だが数千の兵士が五日間土嚢作りに集めただけあって、かなりの物量となっている。岸の手前から土嚢を敷き詰めていくと、徐々に川の中に橋のような陸地が出現していく。

 敵からぱらぱらと矢が飛んできたが、距離が近づいていくにつれて敵陣は騒然となった。作戦に駆り出されている領民が吉江家の者であることに気づいたのだろう。


 相手が混乱している間にも次々と土嚢の橋は伸びていき、川の中ほどに差し掛かる。そのころには橋幅も広がっており、領民の隣には木の盾を持った兵士も布陣していた。

 それを見て焦った敵兵が西岸に弓矢を構えて並ぶ。旗印を見ると竹俣家や千坂家の軍勢のようだ。やはりこうなるか。橋が近づいていくほど矢の威力や精度は上がっていく。ここからが正念場だ。


 矢が飛んでくると、まだ距離があることもあり、大多数は盾で止まった。しかし目の前に矢が飛んできていることに動揺した住民の手は止まり、作業は目に見えて進行が遅くなる。

 それでもさらに続けることしばらく。橋が対岸に近づくにつれてどんどん矢の威力と精度が上がり、負傷する者が増えていく。


「こちらも弓矢隊を配置せよ! 人足にはもっと高額の報酬を与えても良い!」

 すぐに川岸の弓隊が橋に向かって進んでいく。

 しかし作業の都合で人足の後ろに弓隊が配置されるために敵陣への距離が少し離れる。鉄砲を使おうにも、弓による曲射でなければ味方に当たってしまう。また、土嚢を岸から運ぶ経路も残すため、配置出来る弓隊には限りがあった。それでも報酬に釣られた人足たちは作業を続けていく。


 夕方、橋の長さが川の七割ほどに届いたところで進行は止まり、報酬に釣られた人足たちもさすがに死んでは金を受け取ることも出来ないと尻込みを始めた。


「くそ、あと少しだったのに……」

 これ以上作戦を続けてはいたずらに死者が増えていくばかりである。俺が諦めかけた時だった。

 上流の本庄秀綱の陣から狼煙が上がるのが見えた。これは上流で渡河作戦が成功したという合図であった。上流でも兵力ではこちらが勝っている以上、渡河さえしてしまえば勝つのはたやすいはずだ。

 おそらく上流には吉江家の軍勢が多かったので、敵の応戦が鈍ったのではないか。


「よし。上流の味方は勝ったぞ! 敵は間もなく撤退するだろう!」

「おおおお!」

 俺の言葉に重たい空気が漂い始めていた味方の陣地が色めき立つ。


「人足は村に帰せ! 代わりに兵士を投入せよ!」

 こちらが兵士を投入すると対岸からの射撃も激しくなる。

 しかし、ほぼ同じタイミングで上流の対岸からも狼煙が上がった。おそらく敵も上流で敗れたことを伝えたのだろう。このままでは秀綱の軍勢に退路を断たれて挟撃されることになる。狼煙を見た敵軍は少しずつ退却を開始した。やがて最後に残っていた弓隊も退いていき、遮るものがなくなった味方の軍勢は瞬時に橋を完成させる。

 こうして日が沈むぎりぎりに新発田軍は渡河を成功させたのだった。

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