信濃川渡河戦 Ⅰ

 このころ出羽では本庄繁長が実権を握っている日本海側の大宝寺家、義光に代替わりして以降勢力を伸ばしている南東部の最上家、北部の小野寺家、さらに彼らの中心部にいる寒河江・天童家らによる勢力争いが行われていた。


 大宝寺家は白鳥長久を従え、寒河江家や天童家と友好関係を築き、繁長の後押しで小野寺家と戦って領地を拡張しようとしていたが、小野寺家についていた鮭延秀綱が最上方に離反。大宝寺義勝はこのまま小野寺家との戦いを続けても最上の漁夫の利となるため、寒河江・天童らと最上を攻めようとも考えたが、このころ天童頼貞の娘が義光に嫁ぐなど有効な関係を築いていたこともありかなわなかった。そのため、繁長は先だっての恩返しのため新発田に援軍を送ることにしたらしい。



 さて、天神山城に五千の兵を集めた俺はそのまま西進して信濃川東岸に布陣した。対岸にちなみに南側でも本庄秀綱が二千の兵を率いて川岸に布陣している。敵軍もさすがにこれ以上の進軍は阻止するため、上流に竹俣慶綱・千坂景親らの三千、下流に吉江景資らの一千の兵が布陣して渡河を叩く気配を見せており、今も対岸では敵軍が盛んに気勢を上げている。


 信濃川はかなりの川幅があり、対岸からの射撃を受けながら渡り切り、さらに渡った後で敵軍を打ち破るというのは容易ではない。川周辺の船もすでに西岸に移されている。


 さてどうしたものかと考えていると一人の兵士が本陣にやってくる。確かこの辺り周辺の者だったように思う。

「どうした?」

「実は現在信濃川の水量が減っております。最近雨が少なかったからかもしれません。渡河するなら今のうちの方がいいかもしれません」

「言われてみれば確かに」

 本陣の武将たちは頷くが、そもそもこの辺りの水量を見慣れていないので元から減っているのか、減っているとしてどのくらいなのかはよく分からない。それは地元の村人などに確かめれば分かるか。

 だが、川の水量が少ないと聞いて一つ思い至ることがあった。有名と言えば有名な作戦である。


「ちょっと待て。上流の秀綱にあることを確認したい。それまでは全軍決して川を渡らぬように。そしてその間に土嚢を大量に用意しておけ。上杉軍には我らが河をせき止めて渡るつもりであると思わせておくのだ」

「はい」

 武将たちが頷く。

「それから……」

 俺は佐々木晴信にとあることを命じる。



 五日後、秀綱からの使者が来る。ちなみに地元の者に聞いたところ、確かに水量は減っているがこの五日で少しずつ元に戻ってきているということであった。それを聞いて早く渡河を、という者もいたが何とかなだめていた。

 秀綱の使者が戻ってくるまでにそんなに離れた場所に陣取っている訳でもない割には日数が経っている。ということは逆に敵が離れたところにいたということだろうか。

「申し上げます、川の上流に上杉軍が陣取っており、土嚢などを用いて水量を意図的に減らしているようでした。上流に出した物見が何度も全滅したため、確認に手間取ってしまいました」

 ということは上杉方も本気でその事実を隠蔽しようとしていたということだろう。


「どういうことですか?」

 信宗が尋ねる。

「要するに、敵は一時的に水をせき止め、俺たちが川を渡ろうとしたところで一気に流すつもりだったのだろう。ありがちな手だ」

 ちなみにありがちと言っても本で読んだことはあるが、実際に遭遇したことはない。


「さすが兄上。水量が少ないだけでそれを見破っていたとは。では逆に相手が築いた堤を奪い取れば、水量が少ないまま渡れるのでは?」

「なるほど。敵の堤は上流か?」

 使者に確認する。

「いえ、距離自体はさほど離れておりません。ただ、警戒が厳しく最後の偵察も百人ほどの規模でようやくといったところでした」

 百人規模で部隊が動いているならもはや偵察というよりは戦闘である。とはいえ、本庄秀綱には現在二千の兵を指揮させている。対岸の兵力三千も動いていない以上、敵の上流の兵に兵力では勝っている。ならば堤を奪取することは可能であるはずだ。


「よし、ならば秀綱に上流の堤の奪取を命じる。ただし堤を奪取するだけで、渡河をする必要はない。もし難しいようなら、最悪堤を破壊せよ」

 俺はやって来た使者にそのまま命令を伝える。

「はい、かしこまりました」


信濃川上流

 本庄秀綱はその命令を受け取ると、一千の兵を率いて自ら上流に向かった。川は西から東に向かって流れているため、上流の方はまだ上杉方の勢力圏に入っている。


 秀綱軍が数時間行軍すると、周囲から視線を感じるようになった。やはり見張られているか、と思ったものの一千の兵で身を隠すことは不可能だし、逆に一千の兵を忍びなどで殲滅することは不可能である。


 構わず進軍を続けると、川に土嚢や木の板で即席の堤が築かれているのが見える。あくまで水量を減らしているだけなので、ところどこに穴が空いてそこから水が流れて入る。確かによく見ると堤の上流では水位が上がっている。冷静に考えると、ある程度せき止めてしまえば流れていく水量は変わらない以上、いずれ水位は戻る。水位が戻る前に気づいたことに秀綱は安堵した。


 敵軍はというと、堤を挟んで向こう岸に三百ほど布陣しているが、こちらの様子をうかがっているだけで何かをしてくる気配はない。


「堤を奪取するためには渡らねばならぬか……渡河せずに堤を奪うのは不可能か」

 それでも秀綱は命綱を兵士にくくりつけて一部の部隊に堤に身を預けながらの渡河を命じた。水量が減っている上堤という支えがあるため渡河自体はしやすかったものの、対岸からの矢の雨により兵士たちは次々と倒れていく。


「やはり無理か。撤退せよ! かくなる上は堤を壊すしかないな」

 秀綱は兵士たちを撤退させると、堤のいくつかの部分に綱を引っかけて引かせた。いくつかの土嚢がその位置を動かされると、大量の水を湛えていた堤はたちまち決壊。

どどどどどどどど、

という轟音とともに水は溢れ出し、しばらくして元の水量に戻っていった。

 それを見た秀綱が元の場所に撤退していくと、対岸の上杉軍も合わせて引いていった。

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