江越和与破綻顛末

八月十六日 天神山城

 天神山城の麓について俺は先行していた信宗の隊と合流した。山頂にそびえたつ城は本丸・二の丸に土塁・柵・空堀という簡素な造りながら攻め口に峻険な崖が多く、天然の要害により守られていた。

「まずは黒滝城の制圧、見事であった」

「いえ、城兵が少なかったので……兄上も吉江城攻略お見事でございます」

「いや、おぬしが黒滝城を落として城兵が焦ったのが勝因の一つだった。天神山城はどうだ」

 するとそれまで嬉しそうに話していた信宗の顔がさっと曇る。


「それが……地形が悪い上に黒滝城の兵士が逃れているため攻略の糸口が掴めません」

「まあ良い。我らが合流すれば落ちるだろう。それに城兵が少ない以上、最悪包囲だけして進むことも出来よう」

「重家様、織田家からの使者が参っております」


 そんな話をしているところへ織田家からの使者が現れた。

「今回は何だ?」

「上杉家からの講和の打診があり、決裂したのでその顛末を同盟相手である新発田殿にも報告しようと思います」

「ほう」

 あの上杉家が講和を打診するとは。ただ、考えてみれば御館の乱の時に景勝は勝頼に降伏に近い形で和睦を結んでいた。体裁だけは和睦、実質は降伏のような条件で講和を持ちかけるのはありえないことではない。

「それでは……」

 そう言って使者が話し始めた内容は以下の通りである。


 八月の初め、富山城を囲む勝家の元に景勝から使者が現れた。これまで城主からの開城の使者以外来なかったため、突然の使者に驚く勝家だったが迎え入れる。

「それがし、上杉家臣の斎藤朝信と申します。本日は織田家との講和を申し入れに参りました」

 そう言って朝信は丁重に頭を下げる。

「斎藤殿と言えばその武勇は聞き及んでおる。こちらとしてもいたずらに両軍の犠牲を増やすのは本意ではない故話を聞かせていただこう」


 思わぬ大物の来訪に勝家は上杉方の本気を感じ取った。実際、揚北衆の独立を平定出来ず、織田家にも勝ちの目はない上杉家にはもはや希望がなかった。強いて言えば武田だろうが、その武田も北条と徳川の挟撃に遭っており上杉家を助けるどころではない。

「江越和議がなるならば、上杉としては領地の割譲、人質の提出を受け入れます。もしお望みとあらば養子を受け入れる用意もございます」

 降伏させた家に養子を送り込んで家を乗っ取るのは織田家の(というよりは戦国武将の)常套手段であった。北畠信雄、神戸信孝がいい例だろう。他家であれば吉川元春・小早川隆景が有名である。

 確かに景勝の跡目をめぐってまた揉めるよりは織田家から養子を迎えるのが一番ごたごたが少ないかもしれない。


「代わりに、越後一国の支配権をお認め下さらないでしょうか」

 要するに新発田重家ら独立に動いている揚北衆を平定する権利が欲しいということか。

 勝家は考えた末、保留することにした。どの道信長の了承なしに降伏を受け入れることは出来ないが、上杉方が出した条件を蹴るにしても信長に確認をとったと言う方が印象はいいだろう。勝家としても上杉家に対して最後の一城まで攻め落としたいというほどの敵愾心はなかった。出来るなら和議が成立した方がいい。


「他に何か言うことはあるか」

「いえ、特には」

「分かった。上様に確認をとる故、今少し待たれよ。また、当然ではあるが和議は成立していないためそれまでは存分に戦おうと伝えよ」

「かしこまりました」


 こうして朝信は帰っていった。

 とはいえ、勝家自身にも信長がどうするかは分からなかった。信長は基本的に自身に降る者には寛大だが、逆に執念深い一面もある。勝家は詳しい経過を聞いた訳ではないが、武田家も和議を模索して失敗したという。一時とはいえ織田家を苦しめた上杉家の降伏を許すのだろうか。そう思いつつ、勝家は信長に書状を書いた。


 二日後、越中東方に向かっていた前田利家から報告があった。何でも、上杉家に従う国衆椎名氏の家臣が内応を約束し、景勝が出撃中に松倉城を攻撃した前田利家だったが、内応の約束は上杉方の策略であり、急遽反転した景勝軍との挟撃に遭って惨敗したという。

「局地戦で一勝すれば和議の条件が良くなると思っているなら甘いな」

 信長の視点ははるか上空にあり、そのような些事にいちいち拘泥していない。そもそも、利家が破れただけで別方面にいた成政や盛政は無事であるため、越中東方に限ってもそこまで大きな敗北ではなかった。

 さらにその二日後、信長からの返書があった。そこには簡潔に和睦の条件が記されていた。


『以下の条件を守るなら和睦を受け入れる。

一、越中の上杉領を全て割譲すること。

一、上杉景勝は養子に織田勝長を迎えること。その際、織田家より家臣が随行する。

一、上杉景勝は武田攻めにおいて信濃口の先鋒を務めること

                                         以上』


 越中の上杉領割譲については妥当だろう。むしろ上越の割譲などを要求しない辺りぬるいとすら言えるかもしれない。

 二つ目については上杉側が受け入れていることなので問題ないだろう。当然、その後の上杉家は上杉家の譜代と織田家臣との間で権力争いが起こるだろうが。

 問題は最後であった。信長が武田攻めに対して並々ならぬ情熱を傾けているという話は勝家も聞いていたが、現在勝頼の妹の菊姫が景勝に嫁いでおり、景勝が武田攻めの先鋒を務めることはないだろう。

 勝家はそれでも律儀に信長からもらった条件を斎藤朝信宛に送った。

 返答はすぐに戻って来た。


『上杉家と武田家は同盟を結んでおり、それを一方的に破棄することは義に反する』


 予想通りの内容ではあったが勝家は苦笑した。

 そしてその書状を追いかけるように、越中東部にて佐久間盛政が突如蜂起した一揆に襲われて敗北したという知らせが届いた。


「……という次第でございます」

 使者の話を聞いた俺は納得した。信長の書状では揚北衆については触れられていなかったが、俺としては和睦するならそれでよし、仮に和睦しないなら景勝が武田攻めに向かう隙に城を奪えるのでそれはそれで良かった。どの道景勝は和睦を蹴ったようだが。

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