粛清
二月某日 会津黒川城
「全く、盛氏、盛氏とあいつら二言目には盛氏の名を出しおって……」
盛隆は自室で一人毒づいていた。現在蘆名家は二階堂家から養子に入った盛隆に反感を抱くか侮っている一派と、盛隆を補佐する一派に分かれている。しかし後者も蘆名家や盛氏の名声が重要なのであって、盛隆自身に対する忠誠というようなものはない。
「殿、越後からの客人という方が参っておりますが、いかがいたしましょう?」
そこへ寵臣の大庭三左衛門が現れる。小姓だったが、見た目が良かったので盛隆は手をつけた。三左衛門は他の者と違い盛隆の意志をうかがうべくじっと盛隆を見つめている。
「他には何も言っていなかったか」
「はい、あ、いえ、越後からと言えば分かるだろうと」
そこで盛隆はふと気づいた。あの件を上杉が了承したのであれば話は繋がる。おそらく彼は表立って名乗ることが出来ないような者なのだろう。
「よし、早速通せ」
「あの、どのような方でしょうか?」
「三左衛門よ、もうすぐ奴らにほえ面をかかせてやる。このわしを侮る者たちだけではない。わしではなくいまだに盛氏に仕えているつもりでいる者たちにもな」
そう言って盛隆は暗い笑みを浮かべた。三左衛門は喜ぶべきか諫めるべきか悩んだが、盛隆はそれ以上話してくれる気はなさそうなので判断はつかなかった。仕方なく三左衛門は客人を案内した。
数日後 黒川城近郊
「全く、どういう風の吹き回しだ?」
蘆名家臣、長沼城主新国貞通は首をひねりながら黒川城に向かっていた。
一昨日、それまで自分に見向きもしなかった蘆名盛隆から唐突に文が来た。そこには今までの非礼を詫びる文言、そして貞通に加増するのでこれからは蘆名家のため盛隆を補佐して欲しい旨がかなり下手に書かれていた。そして最後には表立って加増を発表すれば他の家臣の反感を買うのでひっそりと登城して欲しい、との文言が付け加えられていた。
貞通にとって、盛隆に数多くの非礼をした記憶はあったが、盛隆から格別非道な扱いを受けた記憶はなかった。強いて言えば無視に近い待遇ではあったが。そのためこの文面はかなり唐突な印象を受けた。
「確かに盛隆殿も盛氏様以来の重臣ばかり側にいて煙たいのかもしれぬな。だが、なぜわしなのか。もっと盛隆殿にとって都合のいい者もいるような気がするが」
そこでふと貞通は気づく。貞通の長沼城は盛隆の実家である二階堂家から奪った城である。城主の自分と昵懇になり、二階堂家に便宜を図ろうとしているのではないか。
「そう思えば健気なものだな」
そんな訳で自分が目立たない姿をして供を一人だけ連れて黒川城に向かうという状況に納得した。基本的に戦国武将は所領を守るために戦っている。そのため人間的に見下していようと、加増してくれる主君であれば手を貸してやるにやぶさかではなかった。
そんなことを思いつつ貞通が黒川城下に差し掛かったときだった。突然、物陰から一本の矢が飛んできて供の者を貫いた。
「ぐあっ」
よほどの手練れだったのだろう、供は首筋に矢を受けて一撃で絶命する。それを見て貞通は全てを理解して青ざめた。あの不自然な文はそのためだったのか。
「人質主君ごときがこのようなことをするとはな……金上らの入れ知恵か? だが、今はそれどころではないか」
とっさに貞通は駆け出した。すぐ後ろを二の矢が飛んで抜けていく。城下町に入ってしまえば人通りが増えて追手を撒くことが出来る。そう思った時だった。突然、目の前の路地から短刀を構えた黒づくめの男が走り出てきた。
「御命頂戴!」
「おのれ、卑怯者!」
とっさに貞通は刀を抜こうとする。しかし気が付いた時にはすでに男は貞通の懐に飛び込んでいた。刀が抜けないと思った時にはすでに男により刀の柄が抑え込まれていた。次の瞬間、貞通の首筋から血が噴き出した。
「盛隆め……絶対に許さぬぞ……」
貞通は呪詛を残して事切れた。
同日 黒川城
「殿! どういうことですか!」
血相を変えた金上盛備が盛隆の部屋に走ってくる。それを聞いて盛隆は事が無事決行されたことを知る。盛備は本来なら無礼とされるところだったが、無断でふすまを開けて部屋へと入る。
「どうした盛備。入っていいとは言ってないぞ」
「どうしたもこうしたもございません! たった今城下で新国殿が何者かに暗殺されたとの報告が入りましたが!」
案外直江もやりおるではないか、と盛隆はほくそ笑んだ。仮に下手人が捕まったとしても蘆名家の者が上杉の忍びを特定出来るとは思えない。盛隆が貞通に送った書状は見つかるかもしれないが、証拠にならない。それに、証拠が出ない範囲でなら盛隆がやったと思われる方が好都合であった。
「何? そもそも新国殿が登城するとは聞いておらぬが」
そう言って盛隆はわざとらしく眉をひそめて見せる。
「殿は何も関係ないとおっしゃるのですか!?」
当然言ってはいけない言葉である。盛備ははっとして口をつぐむが遅かった。
「盛備よ、一度目だから聞かなかったことにするが、二度目はないぞ」
「も、申し訳ございません」
珍しく取り乱した盛備に盛隆は冷徹に告げる。その姿に盛備は得体の知れない恐怖を感じた。数日前までの盛隆はもっと陰気で卑屈な雰囲気を纏っていた。それが突然このような有無を言わせぬ圧力を醸し出すようになった。これは盛隆は事件に関係している。盛備は確信した。確信と同時に恐怖を感じた。盛備も盛隆に好かれていないことぐらいは承知している。いつ同じ目に遭うか分からない。
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