血風

五月六日 春日山城

「これで本当に良かったのか、兼続」

 上杉景勝は兼続を呼び出すと二人だけで対面していた。普段寡黙な景勝はこのような状況になっても多くを語らなかった。

「はい。我らは乱には勝利しましたが上野の地を失っております。それに引き換え景虎方の降伏した者たちを滅ぼすことは出来るでしょうか」

「出来ぬ」

 景勝方は乱を速やかに収束させるため、黒川清実・鮎川盛長らの降伏を受け入れた。

「我らは乱に勝利したとはいえ、権力以外は何も手に入れていないのです」


景虎派の北条高広や河田重親は北条家に寝返ったために領地を没収することが出来ない。さらに山本寺定長や本庄顕長はそれぞれ景勝派の山本寺景長、本庄繁長の一族であり領地を没収することは出来ない。そういうケースが多かったため、新たに得た土地はわずかだった。

「その土地を分配すべきは謙信公以来の譜代の旗本や景勝様ご自身であるべきかと」

「とはいえ与えると言った物を与えないのは不義ではないか?」

「それに関しては彼らにも落ち度がございますのでそれを説明いたしました」

「そうか」

 景勝は言葉少なに漏らす。しかし兼続は景勝の納得がいまいちであることを感じとった。

「恐れながら景勝様は謙信公に及ぶと思われますか?」

「全く思わない」

「あの謙信公ですら越後国人衆の統治には手を焼きました。本庄繁長・北条高広・大熊朝秀らの乱、さらに上野と下平の争いなどもありました。それでも越後が収まっていたのは謙信公に卓越した武勇があったためです。しかし我らにそれがない以上、権力を持って治めるしかありません。これは私だけの考えではありません。直江家当主の信綱殿や山崎秀仙殿もそうおっしゃっております」

「……」

 景勝は謙信の名前に弱い。兼続はそのことをよく知っていた。景勝は少し考えたが、結局反論はしなかった。


五月八日

「何故景勝様はわしにお会いくださらぬ!」

 顕元は廊下で見つけた、もとい待ち伏せた兼続に詰め寄っていた。が、兼続はいつも通りの冷淡な目で顕元を見つめる。

「景勝様はお忙しい。私は景勝様と話すべき重要なことがあったということで呼ばれた、それだけです」

「何だと!? わしの用件が重要ではないと言うのか!?」

 すでに三日も待たされている顕元は激昂した。が、兼続の表情は変わらない。それが余計に顕元の神経を逆撫でした。

「それよりも重要なことがある限りにおいては」

「おのれ……」

 これでは面と向かって侮辱されたのと同じである。いくら兼続が冷徹な人物だとはいえ、さすがにここまで無神経とは思えない。これは自分を諦めさせるために故意にしているのではないか。


「では」

 兼続はこれ以上つきあっていられないとばかりにその場を立ち去る。顕元は危うく刀の柄に手をかけそうになったが、何とかこらえる。ここで余計なことをしても目的の達成は遠のくばかりだ。この上は景勝が兼続と一緒にいないときを狙って直訴するしかない。しかしそれもどれほどの意味があるのか。最悪乱心したと思われて討たれかねない。

「進退窮まったか……」

「安田殿、毛利殿が面会にいらしておりますが」

 不意に現れた使者の言葉で顕元は我に返る。いや、より追い詰められたという方が正確かもしれない。

「くそ、これでは毛利殿に顔を合わせることも出来ぬわ。しばし待てと伝えよ。そうだな、一刻ほどは待って欲しい」

 使者が走り去っていくと、顕元は憤然と城内に借りている部屋に戻っていった。


一刻後

 毛利秀広は苛々しながら顕元の部屋へと向かった。なぜ部屋にいるのに一刻も待たされなければならないのか。それが恩賞の約束を違えた者に対しての仕打ちなのか。

 だが部屋の前まで来た秀広はなぜか違和感を覚えた。部屋には特に変わった様子はない。それでもまるで急に戦場に放り出されたかのような戦慄が体に走った。何なんだこの感覚は。そんな感覚を吹き飛ばすように秀広は声をあげる。

「安田殿、参ったぞ」

 居室のふすまを開ける。その瞬間異臭が鼻をつき、衝撃的な光景が視界に広がり息を飲んだ。


 そこには正座のまま前傾姿勢で動かなくなっている顕元の姿と、血に染まった畳が広がっていた。


「何ということだ……」

 それを見た秀広は全てを悟った。正直なところ顕元が手柄欲しさに適当なことを言って自分を誘ったのではないかと考えていたが、そうではなかったということを。顕元は本当に約束を履行するために苦悩していたのだと。

「誰か! 急ぎこのことを殿に報告せよ!」

 叫びながら秀広は後悔した。こんなことになるというのなら顕元を責めたのはやりすぎではなかったか。彼もまた被害者なのではなかったか。ならばせめて死んでいった顕元に出来ることはこの件の犯人を突き止めてしかるべき処置をすべきことではないかと。

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