安息

 俺は百名ほどの兵士を新潟に残し、五十公野城へ帰還した。景勝からの書状は気になるものの、現状兄に任せる他ない。ちょうど田植えの時期が迫っていることもあり、城に戻ると最低限の兵士を残して兵士を家に帰す。


 そこでふと俺は、というよりは俺の中の五十公野治長の記憶が一人の少女の存在を思い出した。城下の豪農小路家の娘、雪である。どうも転生前の治長がいい仲になっていたらしい。コシヒカリのことも聞いてみたいしちょうどいいか。


 そんな訳で俺は身一つで城を抜け出すことにした。後でまた矢五郎に文句を言われそうだが、俺はどこか行くときにお供を連れていくほどの重役になったことがないので、いちいち誰かを連れていくのは面倒くさい。


 小路家に近づいていくと広大な水田が広がっていた。その一角に苗代があり、田植え前の苗が育てられている。俺は田植えは五月にするイメージがあったが、意外とこの時代はもっと後にしていたらしい。

「あ、治長様じゃないですか! お疲れ様です!」

 俺の姿を見かけた雪がこちらへぶんぶん手を振ってくる。確か今年で十六になるんだったか。衣服の裾をたくし上げており、手や足には泥がついているため今の今まで作業をしていたのだろう。肌は健康的な日焼け色に染まっている。

「久しぶりだな」

 俺も軽く手を振り返して近づいていく。雪は慌てて泥だらけの手をぬぐうと俺に駆け寄った。

「治長様、私お昼用におにぎり作っておいたんです、一緒に食べませんか?」

「そうか、それならご相伴に預からせてもらおうか」


 雪はたたたっと家の方へ走っていく。俺はそれを苦笑しながら見送る。随分と仲がいいんだなと思って治長の記憶を思い返してみると、元々領内を視察していた治長が見初めたところから関係が始まっていたらしい。治長もなかなか楽しい戦国ライフを送っていたようである。そんなことを考えていると布を被せた木の籠を持った雪がこちらへ戻ってくる。

「その辺で食べるか」

「はい」

 俺は近くの木陰を指さす。小路家の者たちは俺たちが連れ立って歩いているのを見ても特に何も言わない。木陰に来ると雪は甲斐甲斐しく敷物を敷いてくれる。現代ではこういう経験はなかったので心が癒される。もちろん城に戻れば小姓が身の回りの世話はしてくれるのだが、言葉にしづらいがそれとはまた違った良さがある。


「此度の出陣はいかがでしたか?」

「大戦果だな。これで我らの領地はかなり増えた」

 俺の言葉に雪はまるで自分のことのように喜びを顔に表す。

「おめでとうございます。あ、おにぎり何にします?」

「梅干しとおかかをもらおうか」

 雪が持ってきた籠の中には十個ほどのおにぎりが並んでいる。ご飯の中に具が入っている形式ではなくご飯の上に具が乗っている形式だ。何でもないおにぎりだが、おいしい。


「ところで新潟の港を占領したときに珍しい米を見つけたんだ」

「珍しい米ですか?」

「ああ、何でも冷害に強く味もいいらしい。といっても食べた訳ではないので分からないが」

 そう言って俺は妖精にもらったコシヒカリの袋を差し出す。コシヒカリのことを何と説明したらいいかよく分からなかったので俺は適当に説明する。

「どの地域の米ですか?」

「よく分からないがおそらく北の方から流れてきたものだと思う」

「ふーむ」

 雪は袋を開けて中身を観察しているようだが、当然見ただけでは分からず首をかしげている。


「よろしければ調べましょうか?」

「いや、むしろ栽培してみて欲しい」

「今からだと……まあこれくらいの量なら間に合わなくはないですね。とはいえ、普通に栽培してもいいものなのでしょうか?」

「分からない」

 妖精が俺が調べる前に転生させてきたのがいけないんだが、冷静に考えると生と死の間のようなあの謎空間にスマホはなかった気がするのでどの道無理だったような気もする。

「でしたら少し育ててみますが……それなら一応内陸の方で育てた方がいいかもしれません。下流の方は湿地になっている上に阿賀野川がしょっちゅう氾濫するのでだめになってしまうかもしれませんし」


 五十公野城は新発田城よりやや上流にあるためそれほどでもないが、新発田城周辺は湿地だらけで農業にはあまり向かない地のようであった。

「阿賀野川をどうにか治めることは出来ないのだろうか」

「うーん、堤防作りは時々行われてきたみたいですが、毎回決壊しているので難しいものかと思います」

 そう言えばこの時代の地図に乗っている川は現代の新潟と違うな。現代通りに川を掘って流れを変えれば農業もしやすくなるのだろうか、と俺は考える。

「まあそれはおいおい考えてみるか。まあ、もし米が出来たらまたおにぎりを作ってくれ」

「もう、治長様ったら……」

 雪はそっと頬を赤らめた。

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