不穏

五月下旬 新潟

「殿、景勝殿から使者が来ております」

 俺が新潟の地の内政について差配していると深刻そうな表情の矢五郎が現れた。その表情を見て俺は疑問が芽生える。景勝は味方ではないか。

「どうした? 俺の手柄を労う使者ではないのか?」

「それが……どうも殿が勢力拡大しているのを快く思っていないように思われます」

「そんな訳があるまい。誰が神余親綱を追って加地殿を降したと思っている。それが分からない訳はないだろう」

 もしや俺の勢力拡大を嫉んだ誰かが讒言をしているのではないか。

「そ、そうですよね」

 矢五郎は困惑気味に頷く。とはいえこれ以上矢五郎と話していても埒が明かない。

「とりあえず使者を通せ」

「はい」


 そう言って現れたのは身分が低そうな男で、名乗っても俺が(正確には五十公野治長が)名も知らぬ者であった。それがまた俺の気持ちを不穏にする。とはいえ、単に労いの書状を送るだけなら誰でもいいかと思い直す。

「遠路ご苦労であった。して用件は」

「はい、治長様におかれましては武運盛んなこと、喜ばしく存じます。こちら我が主景勝様からの書状でございます」

 そう言って使者は恭しく書状を差し出す。俺はそれを開いて驚愕した。


『五十公野治長殿

 この度の乱における貴殿の働き、誠にご苦労なことである。特に神余・加地を下した功績は大きい。しかしながら新潟近辺を不当に占領したのは許しがたいことである。至急竹俣慶綱に返還するように。また、三条城については追って正式な沙汰を下す故それまで管理しておくように。

                                        上杉景勝』


(何だと!? 誰が新潟近辺を不当に占領したと!? 俺が確保していなければ今頃加地秀綱に奪われていたのを保護したまでだ! まあ元々占領する気ではいたが、結果的には俺は代官が逃亡した地を敵軍から守っただけだ! 大体三条城についても正式な沙汰も何も俺が落とした城だ。当然俺が治めるべきだろう。そもそもまだ景虎を倒せていない状況で上杉を名乗って上から目線で指図するとは!)


 俺は心の中で烈火のごとく怒り狂ったが、すんでのところで口に出すのをこらえる。確かに新潟に関してはこの近辺の状勢を把握していなければこう思われるのも無理はない。三条城についてもこうは書いているが、おそらく俺がもらうことに間違いないだろう。俺は大きく息を吸って深呼吸する。そう、ここで短気を起こせば乱を起こして景勝に討伐されてしまう。

「お役目ご苦労であった。追って返書を返すとお伝え願おう」

「かしこまりました」

 使者は頭を下げて退出していく。とりあえず俺は返書をしたためることにする。


『上杉景勝様

 景虎との戦いご苦労でございます。春日山で勝利を収められたことをお祝い申し上げます。新潟の件ですが、敵方の圧力により代官が逃亡しており、空き地になったところをやむなく保護したまでで他意はございません。とはいえ景虎方の勢力もまだまだ侮りがたいため、奪われぬよう守備しておきます。また三条城の件ですが、しっかりと守備しておきますためご心配なさりませぬよう。

                              五十公野治長』


 サラリーマン勤めで俺が身に着けた数少ない有益な能力、「心に思ってもないことをすらすらと文章にする」が発動した。そもそもこの段階で景虎と景勝の衝突はどちらの勝利と言えるほどの結果は出ていないが、景勝が勝っていることにする。周辺からは景虎の勢力は駆逐したものの、脅威があることにして新潟を守備する。三条城の『ご心配なさりませぬよう』には「口を出すな」という意図を少しだけこめた。


「殿、新発田の大殿がいらしております」

「何? 兄上が?」

 そこへ再び矢五郎が現れる。あれ、兄の長敦は蘆名などの警戒のために新発田城にいたのではなかったのか。

「おお、やってるそうだな」

 そんなことを考えている間に長敦は勝手に入ってくる。今日は普段より血色は良さそうだった。

「兄上、いかがしましたでしょうか」

 ちょうど景勝に文句を言われたところなので冷や汗が出る。

「なに、武田がいよいよ北上してきたと聞いてな。景勝殿から甲越和議の仲介を行って欲しいと言われたから行くまでよ。その途中で頑張っている弟の顔が見たくなってな」

「いえ、それほどでも……」

 景勝に怒られたのは何するものぞという気持ちだが、それで兄に迷惑がかかるのは心苦しい。俺のそんな表情と目の前にある書きかけの書状から長敦は状況を察したのだろう。


「やりすぎたようじゃのう」

「とはいえこの処置は納得いきません」

「早速書状を書いているようじゃな」

 長敦は俺が広げている書状をふんふんと勝手に読み始める。

「ふむ、まあいいだろう。やり過ぎたとは思うが、領地を広げるのはいつでも出来ることではないからな。わしが病を押して武田との和議を仲介すること、蘆名の侵入を防いだことの褒賞として新潟と三条城をいただけぬか頼んでみよう」

「ありがとうございます」

 俺は頭を下げた。確かこの和議は成功するはずだ。そしてこの和議のおかげで景勝は勝利すると言っても過言ではない。そうなれば恩賞をもらうことも可能だろう。

「よいよい、ただ蘆名への備えだけ任せたぞ」

「はい」

 俺は五十公野城へ戻ることを決めた。ちょうど戦乱が一段落した以上、妖精にもらったコシヒカリの栽培にも着手したい。それならば勝手知ったる領内の方がいいだろう。

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