甲越和議

 越後各地では緊張が続いていたが揚北では特に何事もなく田植えの時期が終わった。現在この周辺で敵対しているのは鮎川・黒川・蘆名といった勢力だが鮎川家は本庄家と、黒川家は色部家や中条家と対峙しており、こちらに手を出す気配はない。

 唯一ちょっかいを出してくる蘆名家も安田長秀の安田城を攻めるなどしており、しばらくこちらには攻めてこなかった。ちなみに長秀が春日山に詰めていたため安田城は落城した。

 田植えが終わると俺は五百の兵を新潟に向け、倉庫の建設を進めている。


 さて、そんなことをしている間も春日山周辺では状勢が大きく動いていた。武田勝頼率いる二万の軍勢が大挙して越後へ侵入。しかし兄長敦や直江兼続らの必死の説得により勝頼は折れた。春日山城を占拠した景勝らは謙信の遺産から黄金一万両を武田家に差し出して和睦を依頼し、財政難の勝頼はその魅力に抗えなかったという。

 ちなみに黄金一万両とともに上野の上杉領も武田家に譲渡されたものの、上野の厩橋城主北条高広、沼田城主河田重親は景虎に味方して越後へ攻め込んでおり、そもそも景勝の支配下にないため譲渡とは笑止であった。

 その後勝頼は景勝・景虎の和睦の仲介を行った。状勢的におそらくどちらにも和睦する気などないのだが、現実問題として武田軍二万は二人が束になっても勝てないためしばらく戦闘はやんだ。


「帰ったぞ」

 仕事を終えた兄長敦が一月ぶりに新発田城に戻った。

「和議が無事成功したとのこと、おめでとうございます」

 だが長敦の表情は厳しかった。

「一応新潟の件についてはそなたの功とわしの功で許しは得られた。だが、占領自体は許されただけで保有が許された訳ではないがな。三条城と同じようにあくまで乱終結後に正式な沙汰を下すとのことだ」

「なぜ景勝は頑なに認めないのでしょう?」

 俺は不満を顔に出しながら尋ねた。

「どうも景勝の側近、直江兼続という男が知恵をつけているようでな。おそらく今口を出さなければ我らの領有を認めたことになると思っているのだろう、厄介なことだ」

 そう言って長敦はため息をつく。

「にしてもあの兼続という男、なかなか油断ならぬな。武田との和議をまとめる際、初対面の武田重臣に賄賂を渡したとも言われている。目的のためなら手段を選ばない男だ。どうも彼らは景勝の元に権力を集約したいと思っている節がある」


 上杉家は謙信の元、鉄の結束を誇っているイメージがあったが実際はそうではない。国衆の自立性が強く越後国内だけでも何度も反乱が起きている。本庄繁長、北条高広、大熊朝秀らである。特に揚北衆はそれぞれ大きな領地を持っており、独立性も強い。

 それでも謙信は反乱が起きるたびにそれを力づくで鎮めることで安定を図った。要するに謙信時代は集権されていた訳ではなかったが、力づくで国人をまとめていたということである。


「つまり兼続や景勝殿は我らの力を削って自分たちに領地を集めようとしているのですか?」

「どこまで本気でやるかは不明だがな。だが、上杉景信など一門衆が敵対しているのも、景勝殿の元では力を奪われるという危惧があるからではないか?」

 早まったか? 俺は一瞬自分の判断を後悔する。だが、もし景虎に味方していれば本庄繁長や色部長真らが敵となる。彼らは加地秀綱や神余親綱よりは一段格上の相手である。彼らと敵対すれば領地を増やせたかは分からない。

 いや、悔やんでも仕方ない。今から出来ることをするまでだ。

「とはいえ、不安なら今後景勝殿に力を貸してやるのが良かろう」

「それもそうですね」


 八月、駿河状勢の悪化により勝頼は帰国した。武田家は長篠で敗北して以来、徳川家康相手に苦戦を続けている。

 待っていたとばかりに双方は和睦を破棄。再び景勝・景虎の攻防は始まった。ただし勝頼は帰国したものの武田軍の一部はなぜか越後に残っていた。景勝と勝頼の和議により武田軍は景勝方とみなされ、特に何もしていないものの景虎派の諸将は動きを封じられた。

 そんな中、俺は五百の兵を率いて春日山に参じている。揚北で景虎派を攻撃し、蘆名の侵入を阻止するだけでも功は十分だと思っているが、それでも足りないというのならば仕方がない。


「揚北から我が元へ参じるとは大儀である」

 春日山城で対面した景勝は質実で寡黙な武将という感じであった。治長の記憶にある謙信の印象とも近く、旗本衆が景勝を支持する気持ちも何となく分かった。

「未だ蘆名が機を窺っているためわずかな兵力となってしまいましたが、景勝様のお力になれればと」

「その心がけは殊勝である。そなたは武勇の誉れ高いと聞く。期待しているぞ」

「はいっ」

 俺は頭を下げた。対面した限り景勝は生粋の武将という雰囲気でとても自分が権力を握るために色々画策しているようには見えない。これはやはり兼続が画策しているのか。兼続は景勝の傍らに控えていたが冷たい目でこちらを見るだけで何も言わなかった。

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