五十公野治長(いじみのはるなが)

 俺の名は五十公野治長。無名だが一応戦国武将で五十公野城という城の城主である。主君は上杉謙信……だったが今年の三月に死んだらしい。

 現在、春日山城周辺では謙信の二人の養子である景勝と景虎が争っており、俺はどちらにつくか決めかねていた。景勝は上田長尾家という滅びた別家からの養子で景虎は後北条氏からの養子である。謙信の死後、景勝が謙信の遺言があると主張していち早く春日山城本丸を占拠し、それに不満を持った景虎が城周辺の御館という地に籠って乱が始まった。

 優勢と言われているのは景虎だが、景虎派を支援する蘆名氏が会津から越後、それも俺の領地がある辺りにちょっかいをかけてくる。


 結論が出ないまま俺は景虎に味方した神余親綱という武将に会いに行き、その帰りにこの砂浜で悩みながら寝てしまったらしい。

 おぼろげながら現代の記憶を辿ると、確か御館の乱は結局景勝が勝つんだった。それなら景勝に味方した方がいいんじゃないだろうか。というか俺の記憶の中に五十公野治長なんて人物はいないが。誰だか分からない人物だと知識チートすら使えない。


 いや、それよりも今は目の前の女性だ。五十公野治長の記憶を取り戻しても誰だか分からない。

「……それで君は誰だ?」

 彼女はおそらく年齢は二十よりは下だろうか。夜闇の中ではあるが、長くつややかな黒髪はきれいだ。すでにしっかりした大人の風格が感じられる顔立ちだが、一抹の幼さを残している。

「私はただの通りすがりの平民、て言いたいところだけど酒井家の那由という者よ」


 酒井家。五十公野治長の記憶を辿るとヒットした。この辺りでは有力な商人らしい。主に米を取り扱っているが、軍需物資を中心に幅広く取り扱っているという。

「おお、あの酒井家の!」

 とりあえず褒めておこう。俺の反応に彼女も少しだけ気を良くする。

「ちなみに俺は五十公野治長だ」

「え“……すみません、思ったよりちゃんとした武家の方でした!」

 まあちゃんとした武家は本来こんなところで寝てないからな。転生前の治長も結構真剣に悩んでいたのだろう。


「別に普通に話してもらって構わないぜ?」

「そう? じゃあ出会ったついでに少し話を聞いてもらってもいい?」

「おう」

 よく分からないままに俺は那由の話を聞くことにする。

「謙信公の治世の下、越後はずっと平和だった。でも、これから後継者をめぐって不穏な情勢になるわ。戦争になれば儲かるのは儲かるけどそれは住んでるところが戦場にならなければの話。出来ることならこの辺りは戦場にならないようにして欲しい。あとついでにうちで商っている米を優先的に買ってくれると嬉しい!」

 最後のはただの宣伝じゃねえか。逞しいな。


 ちなみに謙信の後継者争いから発生する御館の乱はほぼ越後全域が何らかの戦場になる。しかも俺はただの地方領主に過ぎない。一体俺に何が出来るんだ? そもそも俺の城はもう少し北の方にあり、ここは領地ですらない。

「そうだよな。とはいえ、俺たちも戦わないと滅びちまうからな」

「それはいいわ。でも、せっかく城持ちの方と知り合いになったんだからこの縁は生かさないと。という訳で頑張ってこの辺も領地にしてうちを贔屓してくれるといいなって話でした!」

 彼女は自分でも無理を言っていることが分かったのだろう、そう言って笑うと話を打ち切った。実際無茶な話ではあるが、俺も転生して最初に出会った人である。その縁は大事にしたいと思った。


「治長様―!」

 不意に遠くから声がする。あの声は小姓の矢五郎だ。

「すまん、見つかったみたいだから俺は行く」

「私が知ってる武士の方と違ってなんか話しやすかったな。良ければまたこの辺りに来てね」

 那由はこの短い話で少し親しみを持ってくれたようで、出会った時よりも幾分柔らかい表情になっていた。まあ、中身の俺は武士じゃないからな。そして小さく手を振ると去っていく。


「悪い、探させてしまったな」

「一体なぜこのようなところで寝てらっしゃるのですか!」

 矢五郎は呆れ半分安心半分といった様子で俺の方へ走ってくる。

「ん、何で寝てるって分かったんだ?」

「それは髪の毛が砂だらけだからでは?」

「げ」

 俺はずっと髪の毛砂だらけで女の子としゃべっていたのか。そりゃ話しやすいって言われる訳だ。


「しっかりしていただかないと困ります、長敦様もこのごろ病に臥せり勝ちになっているのですから」

 新発田長敦。俺の兄で新発田城という大きめの城の城主である。なぜ兄弟で名字が違うか? それは俺が五十公野家の養子に入っているからである。吉川元春も小早川隆景も元は毛利家なのと同じだ。

 そのため俺は五十公野家の当主でありながら実質的には新発田長敦に従属しているという少し複雑な立場に置かれている。

「しかし兄上も子供がいらっしゃらないのに誰が跡を継ぐのだろうな」

「治長様じゃないですか?」

 矢五郎が当然のように言う。確かに子供がいない以上弟の俺が継ぐのか。そうすると俺は新発田を名乗る訳だが……そこで俺は唐突に酒井恭太の記憶がフラッシュバックした。


 新発田家。前に読んだ歴史小説に一瞬だけ出てきた。確か、御館の乱の恩賞に不満で上杉景勝に乱を起こして滅ぼされる家だ。まじかよ、絶対乱は起こさないぞ。俺は心に決めた。

 そう、戦国武将は誰もが天下を目指していると思われがちだがそんなことはない。今川義元も別に上洛しようとしていた訳ではないって言われてるし。出来たら那由といっしょにこの周辺を発展させたい。一応俺の育った街だがこの時代は村に毛が生えた程度の港のようだし。よし、それを目標に頑張ってみるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る