転生
日本海は広い。そんな海を見ていると果てしなく広い海に吸い込まれていきそうになる。心が海と一体になって嫌なことは忘れられるような気がする。それでも今日ばかりは心のもやもやが消えることはなかった。
「糞上司め! 俺は絶対悪くない!!!!」
海に向かって叫ぶ。俺、酒井恭太は社会人三年目のサラリーマンである。正社員ではあるが、昨今の不況のあおりを受け、低賃金での長時間労働を強いられている上、上司との折り合いが悪くうっぷんが溜まっていた。ちなみに今は深夜零時を回ろうとしているため、周囲に人気はない。
「こんな糞職場やめてやるうううううううううう!」
叫びはしたものの、給料は安く貯金もないので実際に辞めるのは難しい。俺はそのうっぷんを夜の海に向かって叫ぶことで晴らそうとしていた。
「サビ残を他人に強要するなあああああああああ!」
「仕事を増やすなら給料も増やせえええええええ!」
「あと現場の人員も増やしてくれえええええええ!」
俺の叫びは次々としんとした海に吸い込まれていく。こんなに叫んでも、数秒後には声は消滅して反響一つない。
「あーあ、叫んだら疲れた。いや、来た時からすでに疲れてたけど」
何せ一時間ほど前まで残業を強いられて帰りにこの場所に寄ったのである。俺の疲れはピークに達していた。
「ふあああ……やべ、このまま運転したら事故るかも……」
俺は砂浜に尻をついて目を閉じた。ざらざらとした砂の感触がズボン越しに伝わってくる。数分だけ仮眠をとれば眠気もとれるだろう。しかし俺の意識は深い眠りに消えた。
***
「聞こえますか酒井恭太さん」
不意に俺の前に謎の女性が現れて俺は目を覚ます。いや、女性というよりは妖精に近い存在かもしれない。ファンタジーの踊り子みたいな恰好をしていて全身が光り輝いている。グラマラスな体形の上に煽情的な恰好をしているのに全く嫌らしさを感じないのは非人間的存在だからかもしれない。これは目を覚ましたのではなく夢を見ているのでは?
「誰だ?」
「私は新潟近海の精霊です」
「……偉く局所的な精霊だな」
せめて日本海の精霊とかであって欲しかった。何だ新潟近海の精霊って。富山近海とか石川近海とかにもいるのかよ。が、俺の疑問をよそにこいつは話を進めていく。
「残念ながらあなたは新潟市の某砂浜で熟睡中、突発的な地震で起こった津波に巻き込まれて溺死しました」
「えええ!?」
俺は驚くが、言われると途端に口の中の海水のしょっぱい味、息が出来なかった苦しさなどがよみがえってくる。何だそのしょうもない死に方は。でも、ということはここは死後の世界か何かなのだろうか。
「ちょっとそれあまりにあんまりな死に方じゃないか!?」
「はい、仕事で疲れてストレス発散に海に叫んだ結果そんなにストレスが発散できずに不貞寝して死ぬなんてあまりにあんまりで可哀想になりました。あと海に向かって叫ぶの結構うるさいんでやめてください」
こいつ俺のこと馬鹿にしてないか? やめるのもくそもお前今俺のこと死んだって言ってるんだが。内心腹が立ったが妖精はなおも話を続ける。
「可哀想なので私の力を使ってあなたを転生させてあげます」
「まじで? じゃあ俺最近はやりの内政チートしたい!」
途端にわくわくしてくる。仕事で疲れて帰って来たときの数少ない楽しみが小説であった。小説に出てくる登場人物は俺と違ってチート能力で仕事をこなし、内政を充実させている。が、俺の希望は即座に打ち砕かれる。
「誰もチート能力が付与されるとは言ってませんが。という訳であなたはこの砂浜の同じところで寝ていたどなたかに転生します」
「え、俺以外にあんなところで寝てた奴いるの?」
砂浜は寝るところではない。というかファンタジー世界とかじゃないのか。まあ新潟近海の妖精にそれは無理か。
「いなかったらそのまま死にます。では良い転生ライフを」
「え、ちょっと待ってくれ。あんな砂浜で寝てる奴なんてろくなやつな訳……」
「とはいえさすがに何もなしで転生というのも可哀想なので私からのささやかな贈り物をお渡しします」
「お、もしかして……」
俺は期待に胸躍らせる。きっとここでチートアイテムが……
「新潟県が誇る名産品、コシヒカリです。特に寒さに強い品種を選んだのでどの時代に行っても強く育つと思いますよ」
「やっぱりローカルな妖精だ! ちょっと待って育て方ググるから……」
が、俺の魂の叫びもむなしく意識はググる前に吸い込まれるように消えていった。育て方分からないとお米もらっても意味ないんだが。
***
天正六年(1578年)五月某日 越後国
「……わ」
俺は誰かに体を揺すられる気配がして目を覚ます。ん? 誰だ? 俺、誰かに起こされるほど眠ってしまっていたのか?
「こんなところで寝てると風邪引くわ」
俺はうっすらと目を開ける。目の前には広大な日本海、上には満天の星空が広がっている。そして傍らには和服を着た女性がいて、俺の身体を揺すっていた。
「良かった、目を覚まして。ここは寝るところじゃないわ。寝るなら帰って寝た方がいい」
彼女は至極当然なことを言う。
「俺、そんなに寝てたか? というか今何時だ?」
「もう丑三つ刻だけど」
「え」
俺が驚いたのは今が丑三つ刻であることではなく、時間の呼び方が現代と違ったことだ。そうか、あのうさん臭い妖精が言っていたことは本当だったのか。言われて自分の姿を見てみれば俺も和服を着ていた。海を見ても港や船はなくなっている。こんな昔に転生してしまったのか。そして懐には妖精からもらった布袋が入っていた。まじか……
「え、じゃあ俺は誰だ?」
「知らないよそんなこと。でも、刀持ってるしもしかして武士? あーあ、普通にタメ口利いちゃった」
言われてみれば俺の隣には立派な刀がある。それも武士であることを象徴する太刀と脇差の二本ともが。その刀を見て俺は転生したこの人物の記憶を思い出した。
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