大事な記念日だったのに -リディ-
ズゴオオオオオオォォォォォォォォォォォン!!!
盛大な破砕音が鳴り響く。悔いの残る最期に私の頭は真っ白になる。
……真っ白に。
……ならない。
祈るように目を閉じてからどれだけ経ったのだろうか。あれ?と思う。
何も変わらなかった。痛みどころか、何かが触れた感覚すらも無いのはどういうことだろうか。
既に死後の世界にいるということもあり得るけど、そうだとして倒れた時に擦りむいた足の痛みやじんわり染み渡る石畳の冷たさを未だに感じるのは……?
意を決してそっと瞼を開く。
(あ……れ……?)
何が起きたのか、目前まで迫っていた馬車は影も形も無かった。
あちこち倒れ込んだ人達がお互いに手を差し伸べあったり、怪我をした人に薬箱を抱えて甲斐甲斐しく介抱したりしていること以外、完全に見慣れた街並みが広がっていた。
……本当は最初から気付いていた。
気付いていて、それが現実だとは思えなくて意識を逸らしていた。
目の前には、つい先刻まで猛り狂っていた暴れ馬達を慈愛に満ちた顔で穏やかに、愛おしむように撫でる女性の背姿。
(リリ姉様……)
なぜ、どうして、どうやって。
理解が追い付かず惚けていると、リーネリーシェがおもむろにこちらに向き直る。
頭の中に数多の?を浮かべていると、
「リディーシア、立て」
突然声を掛けられた。
現実から眼を逸らしていた私は声を掛けられたことに驚き、ついビクッと震えてしまう。
そして不意に実感する。
助かったのだと。この美姉に、助けて貰ったのだと。
全てが繋がったかの如く、怒涛のように記憶と情報が脳裏に回りだす。
そしてやっと、先の言葉を理解する。
無防備に倒れ込んだ際に傷付けたのだろう。ザラザラの路面に付いていた手はヒリヒリするし、硬い地面に打ち付けた腿はズキンと鈍い痛みを伝えてくる。
それでも未だ現実味が無くて力が入らずフワフワしている脚をどうにか動かし、立ち上がる。
今になって恐怖が実感として湧いてきたのか、手足が震えてきた。
(リリ姉様の前なのに、みっともない……)
恥ずかしくて、リリ姉様の顔を直視出来ない。
それに加えて、今の私はお世辞にも綺麗とは言えない状態だった。
ケガもさることながら、念入りに整えてきた制服が尻もちを付いた際に汚れており、ピンと張っていた生地も見る影もない程度にしわくちゃだ。
リリ姉様も、余りにも情けない私の姿に掛ける言葉も無いのか押し黙ったままだ。
恥ずかしさで今にも逃げ出したい気持ちを目一杯の虚勢で押し留め、これ以上恥の上塗りをすまいと必死に勇気と声を振り絞る。
「お姉様……。あ、あの……あ、有難うございました」
「ふん」
何度も詰まり、震え、掠れ、綺麗に言えたとはとても言えない。
それでも、あらん限りの感謝の気持ちを真っ直ぐに込めた。
それに対する返答は素っ気ないものだった。それも当然か。
リーネリーシェにとって、この程度は日常の範疇に収まる程度の些事だろう。むしろ、この程度で礼を告げる私の無力さに落胆を禁じ得なかったのかもしれない。
素っ気なく返ってきた返事が合図だったかのように、颯爽と身を翻すリーネリーシェ。
その姿が完全に見えなくなったところで、万感の溜息が漏れてしまう。
「は~あ」
今日は大事な記念日だったので、朝からとっても気合を入れていた。身支度もいつもの倍は時間を掛けた。
その上でのこれなのだから、気合を入れた分だけ落胆も大きい。
(リリ姉様に立派な所をお見せしたかったのに、むしろ残念な所ばっかりだったし……)
考えれば考えるほど沈みに沈む気分。
その深みに嵌る寸前で、もっと大事なことに気付いてしまった。
(進学式、どうしよう……)
傷付いた身体に汚れとシワの付いてしまった制服。とても格式高い式に参列出来る背格好では無い。
今日に限って自分の足で向かいたいと無理を言ったツケが、こんな所で現れてしまった。
家に連絡?いやでもリディの知識ではまだ遠話はこなせない。今から来た道を引き返して?余裕を持って出たとはいえ流石に今から戻って身支度していては間に合わない。
そもそも、未だにズキンと痛むこの足では急ぐことも出来ない。どこかで替えの服を用意しようにも、買い付けは店側から出向いてくれるのが主だったので店の知識も手持ちもない。
困り果てた上に自身の未熟さを突き付けられたようで、思わず目元にじんわりと何かがこみ上げてきた。
聴き慣れた声が聴こえてきたのは、そんな時だった。
「リディーシアお嬢様、お迎えにあがりました〜」
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