その侍女、キニャと言います -リディ-
「リディーシアお嬢様、お迎えにあがりました〜」
すっかり消沈していて半ば放心状態だった私の意識がそのなんとも陽気な声に叩き起こされる。その声はよく知った人物の物だった。
「キニャ……?」
「は〜あ〜い〜。いつもニコニコ笑顔と元気が魅力のキニャちゃんで〜す」
潤み歪んだ視界も予期せぬ事態を前にしてスーッと晴れていく。見晴らしの良くなった視界に映っていたのは、リリ姉様の側付き侍女であるキニャだった。
「大変でしたねお嬢様ぁ。お怪我は……ありますね〜。素敵なお召し物も汚れてしまっていますし。でもでも〜!このキニャが来たからにはもう安心!お嬢様の晴れ舞台は私が責任持ってしーっかり間に合わせますから!大・大・大団円間違いなしですよ〜!」
「え、あ、あの……」
突然のことに何が何だか分からない私に対して矢継ぎ早に言葉を繰り出してくる、私よりも幼く見えるこの少女。
キニャ。
一言で言えば、侍女らしからぬ侍女だ。
一般的に陰ながら目立たず喋らずただ主の望むままに雑用をこなす、いわゆる黒子が求められる侍女という職において彼女ほど破天荒な者は他に見たことがない。
良く目立ち、良く喋り、主には気安く話し掛け、時にからかいもする。特にその
そこらの名家であればすぐさま放り出されてもおかしくない。というか、十中八九そうなるだろう。
そんな彼女ではあったが、私の家系であるブラウリネージュ家とは絶妙に噛み合った。
特権よりも義務に重きを置き、肩書きよりも実績を好み、忠義ではなく信頼を求める。
家名はお前を飾る物ではなく、お前が飾り付けていく物だ。
そんな言葉と共に育てられたので、俗に言う選民意識とやらにはとんと縁がない。まぁこの国は総じて実績主義なので家名に胡座をかいているような貴族は滅多にいないけれど、誇りを正しく持ち、それに見合うだけの実績を積み上げている家も少なくない。
うちのお屋敷で働く人々も、使用人というよりは親戚か友達と言った方が近い。昔から良く一緒に遊んだりお茶をしながら談笑に耽ったものだ。
……勿論、近しいからこそ報酬は誠実に
こう言ってしまうと誤解されそうだが、ブラウリネージュ家は決して寛容な訳ではない。過去に解雇された使用人は数知れず。ただ、その判断基準が他とは違う。それだけ。
ブラウリネージュ家が求めているのは勤勉さと最低限の誠実さ。そして何より実力だ。人としての道を違わず、与えられた仕事に最大限の結果を残す。そういう人材だ。
逆にそこさえ守っていれば他は割と、というかかなり緩い。出自がどうあろうと、元問題児だろうと関係なく、家に貢献出来る人物でさえあれば些事だと言わんばかり。
ここまで言ってしまえば既に分かっているかと思うけれど、あのあどけなくすら見える外見と、それを台無しにしてしまう程に破天荒な性格を携えたキニャは、それとは裏腹にとても仕事が出来る。あのお喋りな口は、多岐に渡るあらゆる要望にすべからく応える為の根回しにも使われるのだ。
でなければ、貴族家の長女の側付きなど到底慣れるものではないのだから。
キニャが重宝される理由はもう一つあって。それは、リーネリーシェお姉様の側付きになれたということ、そのものだ。
リリ姉様のことは尊敬してるし大好きなのだが、いかんせん近寄り難い部分があるのも事実。表情を余り変えないこともそうだが、何よりその有能さが足を引っ張っていた。
それまでも何人もの侍女が付けられたが、何でも独力でこなしてしまう姉からして余計に手間が掛かるだけだと全員突っぱねられていた。
そんな姉が十一になった頃、矛先を向けられたのがその時十三になったキニャであった(驚くことに年上なのである!)。
口数少なく表情を余り変えないリーネリーシェとは正反対に位置するキニャ。そんな二人だったが、何故かとても気が合ったらしい。
瞬く間に正式な側付きに就任し、気付けば常に行動を共にするように。あのリリをして友と言わしめた(と言われている。実際に聴いた人はいなかったけれど)という話は、我が家に広く伝わっている伝説の一つだ(主に話のネタとして使われる。大人気)。
そんなわけで、いつもリリ姉様の傍にいるはずのキニャが何故ここに?
「あの、キニャ。何でここに……?」
「お嬢様のピンチとあらばいつでもどこでもすぐさま駆け付ける!それがプロの侍女というものですよ☆」
「はぁ」
冷静に考えればリリ姉様が居たのだからキニャもすぐ近くに居てもおかしくないのだが、次から次へと押し寄せる急展開に頭が付いていかず、肯定にも否定にもならない気の抜けた返事を返してしまう。
「ささ、失礼しますね」
「きゃっ」
身構える間もなくその小振りな両腕がそれぞれ首と膝の裏に回され、あっという間に持ち上げられてしまう。
私よりも一回り以上小さいキニャのどこにそんな力があるのか。その彼女に抱き抱えられる姿は、見るまでもなく違和感の塊だろう。
「あら〜、お嬢様、少し……」
「なっ、うっ、なっ」
「お屋敷のお食事は美味しいですからね〜。良く良く思い出せば、最近は以前にも増して一段とお食べになってましたか〜」
「ちょ、なななななっ!」
「良いんです良いんです。骨と皮だけになるよりよっぽど。女の子の魅力は多少の軽重なんかじゃないんですから」
「うううるさーい!せせせ、成長期なのっ!」
「うふふ、知ってますよぅ。以前測った時からまた六ミリほど伸びましたね〜」
「分かってて言ったわね!」
「ささ、まずはお医者様の所へ向かいましょうか」
「誤魔化すなぁ!」
そう言うや否や、私を抱えたキニャが微かに身を縮める。私が重くて疲れたとかそんな訳では一切無い。
それから買い物にでも向かうかのような軽い足取りで二・三歩の助走を取ると、音も無く地面を蹴り出した。私を抱えたまま、その身体が勢い良く宙に浮かび上がる。
そのまま手近に店を構える八百屋さんの屋根に右足から着地すると、勢いそのまま駆け出した。
……あちこちの屋根を縦横無尽に飛び移りながら。
「すぐ着きますからね〜。お屋敷には遣いを出しましたので、送迎やらお着替えやら諸々含めてファナがこちらに届けてくれるはずです〜」
「そう……」
「万が一にもお嬢様の晴れ舞台に水を差すわけには行きませんからね〜!むしろ朝よりも綺麗にしてお送りしてみせますよ!ファナが!」
「うん」
その言葉はすんなりと受け入れられた。
体に回された両の腕はその嫋やかさとは裏腹にとても力強い。その力強さとは裏腹に、凄まじい速度で移動しているにも関わらず揺れという揺れは皆無と言っていい程感じない。そのことにこの少女の突出した能力を改めて実感しながら、その裏に潜んだ気遣いと優しさを感じられた。
そして、仰向けに抱き抱えられた私を太陽から守るように覆い被さったその顔は、その奥にある太陽に負けず劣らず暖かく、何の不安も要らないと言わんばかりの自信と慈愛に溢れた目で真っ直ぐ前を見据えていた。
まるで母親を思い出させる母性溢れるその姿に安心と安らぎを覚え、甘えるようにそっとその胸元に顔を埋め……。
(ってあぶない!)
ようとして、すんでの所で正気に戻る。
いや、キニャもここにはいないファナも頼りになることは否定しないし、さっきのキニャは実際問題とても頼もしく、格好良かった。
だからといって……
(ここでついうっかり甘えたりしたら、一ヶ月はからかわれること間違い無いじゃない……)
これがファナであったら素直に甘えていたのかもしれない。キニャとは似ても似つかないあの侍女であれば、私が顔を埋めた所で見なかったことにしてそのままにしてくれるだろう。
だが今ここにいるのはキニャなのだ。口から生まれたと言われ、時に伝書鳩とも揶揄される、あの。
そっと眼だけを動かしてチラリと顔色を窺うが、気付いたそぶりは無い。そのことに安心を覚え、そっと胸を撫で下ろす。
寒さと暖かさの入り乱れた春風が顔を撫ぜていくのを感じながら、風と共に先程感じた蕩けるような心地良さも通り抜けていってくれることを心から願うのだった。
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