第562話 心菜ちゃんと助走
水泳の県大会まであと1週間。
既に練習はスロー調整に入っており、今は体調管理が第一。
今日は午前中、軽めに泳いだらあとは柔軟体操。
本来ならば他の部員の練習にも付き合うのが俺の仕事なのだが、セギノール監督が「youは心菜に付いてあげてくれよ」と粋な計らいをしてくれるので、大会本番まではずっと心菜ちゃんと一緒。
とは言え、貴重な時間を無為に過ごすのはもったいない。
練習をしなくてもモチベーションを高める方法を俺は知っていた。
「心菜ちゃん。ちょっと今日は俺に付き合ってくれるか?」
「はわ? もちろんなのです! どこに連れて行ってくれるのですか?」
「それは内緒さ。うふふ」と気色悪く笑った俺は、大学の駐車場へと向かった。
そこには見慣れたパジェロが一台停まっている。
「待たせちまったか?」
「いえ、先ほど到着しましたので、ほんの10分ほどしか経っていませんよ」
「鬼神兄さま! こんにちはなのです!」
「心菜ちゃん、こんにちは。さあ、先輩も、乗って下さい」
「おう。準備はできてる感じ?」
「もちろんです。では、参りましょう」
先日飲み会をした話は鬼瓦くんも承知しており、彼は「参加できなかったので、挽回の機会をください」と俺に申し出た。
それは大変ステキな催しで、俺が許可しないはずもなかった。
鬼のパジェロは一路、リトルラビットへ。
そこで何が行われるのか、それをここでバラしてしまうのは無粋。
ゴッドには今しばらくお待ち頂けると幸いである。
「ただいま戻りました」
「心菜ちゃん。さあ、行こうか」
「お菓子食べても良いのですか!?」
「もっといいものだよ。うふふふ」ともう一度気色悪く笑った俺は、心菜ちゃんを店内へと招き入れた。
今日のリトルラビットは貸し切り。
壁には横断幕が飾ってあり、そこには『がんばれ! 心菜ちゃん!』の文字が。
「みゃーっ! みんな、いくよ! せぇーのっ!!」
毬萌の合図で、クラッカーがそこかしこから弾ける。
「はわっ!?」
心菜ちゃんは大きな瞳をまん丸にして、何が起きたのか理解できないでいる。
正しいサプライズとはかくあるべしかと学ばせて頂いた俺。
「今日は、心菜ちゃんの壮行会なんだってさ。みんなが集まってくれたんだ」
「みゃーっ! 心菜ちゃん、大事な大会の前で心細いかなって思ったのだっ!」
「横断幕、約束通り作っちゃいました! 美空ちゃんと一緒に!」
「へへーっ! 花梨姉さんとの合作やで! どやー!!」
「心菜ちゃん、お菓子、あるよ! カロリー考えたヤツ、たくさん用意したからね!」
「僕はお茶を淹れます。皆さん、ミルクティーで良いですね」
「心菜ぁ! よがっだわねぇ! みんな、いいヤツらなのよぉぉ! うぉぉぉん!!」
毬萌、花梨、美空ちゃん、勅使河原さん、鬼瓦くん、氷野さん。
全員が仕事を休んで、平日の真昼間からお茶会しようという、不良社会人の集まりであった。
「はわっ、はわわわ! み、みなさん……! 心菜、嬉しいのですぅ!!」
「さあ、とりあえず座ろうか。立ちっぱなしじゃアレだからね」
「むすーっ。兄さま、秘密にするなんてひどいのです! 心菜との間に秘密はなしだって約束したのです! これは重大な契約違反なのです!!」
「えっ!? 俺が責められんの!?」
発起人は鬼瓦くんなのに!
鬼瓦くんはと言えば、ミルクティー淹れると言ったきり出て来ない。
鬼神エスケープ。
周りの連中は「あはは」と笑ってばかり。
俺、恋人との関係に危機が迫っているのに。なんて薄情なヤツらだ。
「心菜ちゃん! 実はこれ持って来たんですよぉ! 覚えてますか?」
花梨が取り出したのは、俺たちが花祭学園の生徒会をやっていた頃に作ったアルバムだった。
卒業の際、花梨の家の金庫に保管してあったのだ。
こっちの発起人は俺なのに!!
「はわわ! 懐かしいのです! 皆さん若いのですー!!」
「みゃっ!? わ、わたしはまだ、全然若いもん!」
「えへへー。毬萌先輩、気付いてましたかぁ? この中で最年長の女子って、先輩ですよぉー? 確か、マルさん先輩は早生まれでしたもんね?」
「みゃっ!? ひ、ひどいよぉ! わたし、まだ23歳だもん!」
「おう。この写真の頃からは6歳も老けたんだな! 良かったな、毬萌!!」
「コウちゃんだって! って言うか、コウちゃん7月で24でしょ! わたしよりもお年寄りじゃん!」
「あら。公平にお年寄りって言葉はすごくしっかりくるわね。なんだか、守ってやらなくちゃって気になるわ! 足とか腰とか痛くない?」
「これは何と言うブーメラン。もう背中にぶっ刺さったから、勘弁してくれ」
ほとぼりが冷めるのを見計らって、鬼瓦くんがお茶を、勅使河原さんがお菓子を持って来てくれた。
「こちらのミルクティーは、豆乳を使っていてローカロリーですよ」
「お菓子も、このゼリー、寒天を使ってあって! 心菜ちゃんの食事メニュー、見せてもらって作ったから、2つまでなら食べられるよ!」
「心菜のために! ありがとうなのです、鬼神兄さま! 真奈姉さま!!」
それから、アルバムのページを捲りながら思い出話に花が咲く。
あの頃からずいぶんと遠くまで来ちまったが、みんな根っこは全然変わらねぇものである。
どいつもこいつも、毬萌は県外から、花梨なんてイタリアから休みを取って帰って来てくれた。
しかも、大会当日まで滞在して、会場に応援しに来るらしい。
お人好しどもめ。まったく、全然変わっていないじゃないか。
「桐島先輩。アレを出してもよろしいですか?」
「おう。そうだな。頼むよ」
俺だって、他のヤツらに負けてたまるか。
言っとくけど、心菜ちゃんは俺の恋人だからな。
みんなの妹である前に、俺の恋人。
「心菜ちゃん。俺からもささやかなプレゼントがあるんだけど。受け取ってくれっかな?」
「はわ? なんですか!?」
鬼瓦くんが持って来てくれた桐の箱から取り出すのは、ガラスで出来た写真立て。
鬼瓦家に伝わる、天空破岩拳を使っても割れないガラスを加工して作った、絶対に壊れない思い出収納ケースである。
ちなみに、リトルラビットの厨房にもこのガラスが使用されている。
「次の大会でな、絶対に良い写真が撮れると思うんだ。それを飾るのに良いかなってさ。表彰式が始まったら、俺ぁトレーナーの特権使って、カメラマンに紛れて写真撮るから! なぁに、こんな細い野郎1人紛れ込んだって、バレやしねぇ、おうっ!?」
心菜ちゃんが俺の頼りなさだけは折り紙付きの胸に飛び込んで来た。
不意打ちだったので、危うく肋骨が折れるところである。
「兄さま……。そーゆうところ、ズルいのです!!」
「はっはっは。そうとも、大人ってヤツぁズルいもんなんだよ」
してやったりの俺に向かって、心菜ちゃんが言葉の矢を放つ。
「そーゆうところが、心菜、ずっと昔から、大好きなのです! 公平兄さま!!」
その矢は寸分の狂いもなく俺の心臓、厳密に言うならばハートにぶっ刺さる。
これはクリティカルヒット。
しかも矢は抜けそうにない。
「みゃーっ。ゼリーよりも甘いのだっ! コウちゃん、顔がやらしーっ!!」
「本当ですよぉ! 公平先輩はもっと大人として然るべき態度を取って下さい!」
「いや、そうは言うが。こりゃあ、仕方ねぇだろ!?」
「公平兄さん、心菜ちゃんにここまで言わせたからには、責任取ってください!」
「桐島先輩。僕はあまり強く言うとブーメランになりそうなので、黙っておきます」
「私も、色々と言いたい事がありますから、後で武三さんとお話します」
なんだい、全員で俺をやり玉にあげてからに。
そんな事、言われなくたって分かっとるわい。
「心菜ちゃん! とりあえず県大会、最高の結果を残そうぜ! そんで、その先は全国! さらにその先まで、俺ぁバッチリ計画立ててるからな!!」
俺と、頼りになる仲間たちのエールを一身に受ける心菜ちゃん。
それを重荷にするのではなく、推進力へと変えられる強さがある事は、俺が一番知っている。
「はい! 頑張るのです!!」
これにて気力も充填完了。
あとはもう、持てる力を発揮するだけ。
そうすれば、未来が切り開かれる事を、俺と彼女は知っている。
クライマックスはもうすぐそこまで。
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