第561話 心菜ちゃんとお酒

 心菜ちゃんが全国の切符を懸ける県大会まであと1ヶ月。

 毎日のトレーニングも順調。

 タイムも日増しに良くなっており、一昨日なんて自己ベストを更新して見せた。


 こうなると、大切なのはメンタル面のケアである。

 心菜ちゃんがいかに優秀なアスリートでも、例えば五月病にかからないとは言い切れない。


 人間の心はそんなに強く出来ていない。

 ほんの些細なことで傷がつく事もあり、目に見えない分、傷の深さを推し量る事も難しいとあっては、トレーナーとして気を遣うのが必定。


 話が少し飛ぶけども、心菜ちゃんの誕生日は5月1日。

 つまり、先々週に彼女はめでたく二十歳になったのだ。


 もちろん盛大なお祝いをするべく、2人きりで夜景の綺麗なフランス料理店なんぞに行ったりもしたけれど。

 二十歳になったらやらなくてはいけない事がある。


 えっ? 何となく先が読めた?

 ゴッドはすぐにそうやって知った風な顔をするんだから、困ったものだ。

 大人になったら解禁される、メンタルケアまで賄えるイベントと言えば。


 そう、飲み会である。


 なんだかゴッドから知ってたーとか声が聞こえてくる。

 全知全能なのは結構だけど、心菜ちゃん初めての飲み会に水を差さないで貰いたい。

 ミネラルウォーターなら、好きなだけ浴びたら良い。



「はわわー! 居酒屋さんに行くの、初めてなのですー!」

「おう。俺も心菜ちゃんと一緒に行きたいとずっと思ってたよ。だけど、トレーナーとして、アルコールもおつまみもきちんと管理させてもらうからな!」


「兄さまが心菜の事を考えてくれてるの、知ってるのです! ちゃんと言うこと聞くのです! むふーっ!!」

「おう! 偉いなぁ、心菜ちゃんは! よーしよしよしよし!!」


「はわっ! 髪がくしゃくしゃになっちゃうのです! 心菜、お酒の怖さは姉さまから学んでいるのです!!」

「ああ……。すごく説得力があるなぁ」


 ちなみにその姉さまは、「飲み会するからおいでよ」と誘ったのに「アレがナニするから! 無理! 心菜と一緒は無理ぃ!!」と頑な態度を崩さなかった。

 どうやら姉の威厳を守りたかったようである。



 その威厳、もうかなり昔からないのに。



 という訳で、集まれるメンバーを集めての飲み会開催と相成った。

 毬萌、花梨は県外だし、鬼瓦くんと勅使河原さんは仕事の都合で不参加。

 あいつらには、別の機会で頑張ってもらおう。


 ならば、今回の飲み会のメンバーはしょっぱいのかと言えば、とんでもない。

 俺たちは酒席の会場である個室の居酒屋に到着。

 入口で名前を名乗ると、店員さんに案内してもらって、到着。


「公平兄さん! 心菜ちゃん! 待っとったでー!」

「申し訳ございません。天海が我慢できず、一杯ほど先に始めております」

「いいじゃないか、土井くん! こういう場では先輩は待つよりも、先に引っかけておくくらいの方が後輩にもちょうど良いものだ! なあ、桐島くん!」


 美空ちゃんも4月に二十歳になっており飲み会は可能。

 そこに加わるのが、土井先輩と天海先輩。

 これは豪華なメンツが集まったものだ。


「さあ、まずはお飲み物を注文しなければ。桐島くん、どうなされますか?」

「俺ぁビールで。心菜ちゃん、何飲む? 甘いヤツが良いよな」

「心菜、ワイン飲んでみたいです!」


「ええっ!? 大丈夫かな。ワインはアルコール度数も結構高いし。んー」


 酒の知識が浅い俺でも安心なのが先輩ナビ。

 天海先輩がアドバイスをくれた。


「サンテロ・ドゥエなんてどうだ? 実に飲みやすいし、ぶどうジュースのように爽やかで甘みがあるから、おススメだぞ! 天海だけに、甘みがな! なっはっは!!」


「土井先輩? 天海先輩、もう出来上がってますか?」

「彼女はお酒に飲まれるタイプでして。お恥ずかしい限りです。しかし、サンテロ・ドゥエは本当におススメでございますよ。ドゥエとはアルコール度数の2を表すイタリア語でして。下手なカクテルなどよりも安心かと思われます」


 ためになる土井ペディア先輩。

 ならば、その助言に従うまで。

 美空ちゃんも興味を示したので、二十歳コンビはそのワインでスタート。


 すぐに注文の品が来る辺り、ちょっと高い個室居酒屋ならでは。

 俺は某大衆居酒屋の飲み放題に同僚と出掛けた際、90分の時間制限で最初の酒が来たのは入店から30分後だと言う悪魔のような所業を経験済み。


 たまに飲むならケチケチしてはならぬと学んだ、社会人の必須教養である。


「おう。それじゃあ乾杯しようか」

「心菜ちゃん、乾杯の音頭とってええで!」

「はわっ!? 心菜、一番年下なのですよ?」


「いやいや、ここは若くて可能性に満ちている者に頼もうではないか!」

「ええ。心菜ちゃんの前途を考えれば、それが一番かと愚考致します」


 大きな瞳が俺を見る。

 こういう時にきちんと背中を押してあげられるのが、正しい恋人というものである。


「心菜ちゃん、やっちまえ! 景気よく叫ぶと、スカッとするぞ!」

「はわわっ! じゃ、じゃあ、えと。……乾杯! なのです!!」


「「「「かんぱい!!」」」」


 心菜ちゃんはご所望のワインに恐る恐る口を付けて、こくんと一口。

 お気に召しただろうか。


「はわっ! 兄さま、兄さま! これ、美味しいのです! 飲んでみてください!!」

「え、おう。そんじゃ、一口だけな。……うん。美味いな」


「おおっ! なんだ、2人、間接キッスじゃないか! やるなぁ! おい! 見たか、土井くん!! 間接キッスだぞ!!」



 天海先輩、落ち着いて下さい。



「申し訳ございません。わたくしの知らぬ間に、焼酎をロックで飲んでおりまして」

「ああ、いや、大丈夫っす」


「せやで、土井先輩! 心菜ちゃん、二十歳の誕生日に公平兄さんとチュー済ませとるんですから! な、心菜ちゃん!」

「はわっ!? はわわわ!! 美空ちゃん、内緒って言ったのです!!」


 俺が夜景の見えるオシャンティーなレストランで飯食ったあと、車の中で触れるだけのキスをした事実が早速バレる。

 この事実はゴッドにも内緒にしておこうと思っていたのに。

 それは良くないって? だって、相手は心菜ちゃんだよ?



 天使の唇奪ったとか知られたら、暴動が起きるかもしれねぇじゃん!!



 あと、それ以上の事はゴッドと大天使ミカエルに誓って何もしていない旨をハッキリと明言させて頂きたい。


「なんだ、なんだ! 2人はもうチューしたのか! 土井くん、私たちもそろそろ子供の1人でも作らないと、これは先を越されるかもしれんぞ!!」

「蓮美さん。愛の形に先を越すも後塵こうじんはいすもないのですよ」


「君はそうやって、いつもはぐらかす! 鬼瓦くんのとこの勅使河原さんも愚痴っていたぞ! 男は女の覚悟が決まっているのに尻込みしてばかりだと!!」


 遠くの方で「ゔぁあぁあぁあぁっ!!」と鬼の哭く声が聞こえた気がした。


「やれやれ。これは困りましたね。まだ入籍してもいないのに、それは少々はしたないですよ、蓮美さん」

「だって、土井くんは仕事ばかりで私の事を見てくれないから!!」


 天海先輩、酔ったら意外と可愛い事が判明。


「心菜ちゃん、次はこのカルーアミルクに挑戦してみよか!」

「なんだか大人な響きなのです! 兄さま、いいですか?」

「おう。それなら大丈夫。よし、注文してあげよう。あと、つまみも追加かな」


 心菜ちゃんは、頬を少し赤く染めて、初めての飲み会を楽しんだようだった。

 メンタルケアの面から考えても、体に障らない程度の飲酒は問題ない。



 土井先輩がお会計を持ってくれたので、俺たちはお礼を言って店の外に出る。


「心菜! 美空ちゃん! 迎えに来たわよ! ……あと公平」

「氷野さん、助かるぜ。一緒に飲めば良かったのに」


「や・め・ろ! 心菜たちの前でお酒の話しないで!!」


 氷野さんとは何度か一緒に飲んだことがある。

 そして、何故だかその飲みっぷりについては語らずとも通じる気がする。


 氷野さんの運転するラパンに揺られているうちに、心菜ちゃんも美空ちゃんも寝息を立て始めた。

 その満足そうな表情が実に可愛らしく、俺のメンタルケアまで済むのだから、お酒ってヤツは適量ならばとってもステキ。


 ステキを通り越してセクシーなのである。

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