第558話 心菜ちゃんと二人三脚
俺にとって大学生活最後の夏。
心菜ちゃんにとっては大学生活最初の夏。
今年の夏はちょっとヤンチャなようで、梅雨が明けたと思ったら真夏日を連発し、日が暮れても熱帯夜。
俺の体力を奪うには充分すぎるので、そろそろ8月になろうかという時分であるし、お願いですから一旦、ちょっとマジで勘弁してください。
死んでしまいます。
心菜ちゃんはと言えば、精力的に練習に打ち込んでおり、それは大変結構なことなのだが、これでは俺との体力の差が開く一方。
心は常に寄り添っているのに、運命は時にひどい事をする。
この身が熱々になったコンクリートで焼かれようとも、俺は歩みを止めない。
実は、先月から専門学校に通っている。
もちろん、スポーツ医学関連の学校である。
独学でも充分な学習が出来ている自負はあったのだが、試験に落ちれば次の機会までの時間を無為に過ごす羽目になってしまう。
花の命は短いけれど、心菜ちゃんの競技人生だってどのタイミングで花開くか分からない。
それならば、出来るだけ多くの時間を共に過ごすことで、努力の
それでもって、心菜ちゃんと手を取り合って喜ぶ事ができたらば、俺の人生はほとんど完成すると言っても過言ではない。
「はぁ、はぁ。た、ただいま……」
今日も今日とて専門学校の帰り道で死にそうになっている俺だが、どうにか家までたどり着く事ができた。
もはや、感謝するしかない、この奇跡に。
盆を過ぎるまでの2週間、どうにか続けるしかない、この奇跡を。
残暑も厳しかったら?
俺が天に召すかな。その時は出迎えよろしく、ヘイ、ゴッド。
「やあ、公平。おかえり。今日もお疲れ様」
「お、おう。父さん、いやに早いな。今日って平日だろ?」
大学生の夏休みは長いので、毎日同じような生活をしていると、今日が何曜日なのか分からなくなることが割とよくある。
「今日から夏休みなんだよ。有休を消化しなくちゃいけなくてなぁ」
「そうなのか。しっかり休んでくれよ。まさか、専門学校の授業料まで払ってもらうことになろうとは。我ながら、
「ははは! 高校時代の青春真っ盛りの公平には苦労かけたからなぁ。社会に出るまでくらいは、父さんの脛をかじってくれよ。息子にかじられる感触を心に刻んでおきたいんだ。いつまでも公平だって学生じゃないんだから」
うちの父さんはこの4年間でマサラタウンのサトシも二度見するレベルのメガ進化を繰り返していた。
なんでも、勤めているメンマ売る会社が、近く宇凪支部を作るらしく、父さんがそこの統括本部長に就任すると聞いている。
今宇凪市で流通しているメンマの8割は父さんが関わっているらしい。
その外交手腕は、主に競艇場で培われ、今も競艇場で振るわれている。
競艇場に行けば手抜きができるとは父さんの弁。
競艇場から「て」を抜いて、「今日以上」の成果を出すのだとか。
もう上手いこと言われても全然腹が立たない。
むしろ、父さんがこんなに奮い立っているのに、毛根が死滅した頭を見るのが悔しい。
お前たちの宿主は頑張ってんだぞ、諦めんなよ! と、げきを飛ばしたい。
「ところで公平」
「おう。どうしたの? 冷蔵庫からエビスビール出す?」
「いやな。部屋に心菜ちゃんが遊びに来てるぞ」
「言えよ!!!」
完全体になったからって、わざとうっかりしなくて良いんだよ!
家に帰って来てから父さんの毛根にまで思いを馳せてる時間、ずっと心菜ちゃん待たせてたの!?
ごめん、父さん。
こんなに世話になっておいて、俺はなんて親不孝なんだと思う。
その上で、もう1度ごめん。
体中の毛根、死滅しちまえって思っちゃったよ!!
俺はとにかく急いで冷蔵庫から麦茶を取り出し、慌てて2階へと駆けあがる。
てめぇの彼女放置してハゲたおっさんの相手してる場合じゃなかった。
「はわ! 兄さま、おかえりなさい! お勉強、お疲れ様なのです!」
「はぁ、はぁ、はぁ。ご、ごめんね、心菜ちゃん。10分前くらいから帰ってたんだけど、ふぅ……。父さんで足止め喰らっちまってて」
「平気なのです! 兄さまが心菜のためにお勉強頑張ってるの、知ってるのです! それに、姉さまが良いことを教えてくれたのです」
「お、おう。そっか。氷野さんは本当にいいお姉さんだなぁ。で、何の話?」
「クローゼットの一番奥を探して見ると良いって!」
「
ああ、待て、落ち着け。
思わずリアクション取ってしまったが、もうクローゼットの最奥は宝物庫の役目を終えて久しいんだった。
戦いは電子書籍だよ。義姉さん。
「ははは! ホントに、氷野さんは! ははは! ……いや、待って! これ、毬萌のヤツが一枚噛んでんな!?」
「はわっ! 兄さま、すごいのです! さっきまで、毬萌姉さまがいたのです!!」
「マジか! あんにゃろう! なんだ、姉さんって毬萌のことか。氷野さんに八つ当たりしちまったよ」
「姉さまもいたのです!」
「ちくしょう! かつての仲間がみんな敵じゃねぇか!!!」
フレンド申請し直さなくちゃなと思いながら、やっと腰を落ち着けた俺。
心菜ちゃんも俺に合わせて座り直す。
「そう言えば、今日の練習どうだった?」
「むふーっ! 実は午前で終わりだったのです! 兄さまのおかげなのです!!」
「おう? 俺ぁ何かしたかな? ……ああ! もしかして!」
水泳部の担当教諭は、犯罪心理学専攻の杉谷教授。
2年、3年と氏の講義を受けていた俺は、雑談をする程度に教授と仲良し。
犯罪心理学、受講生が10人しかいなかったからなぁ。
先週大学の図書館でバッタリと杉谷教授と遭遇した俺は、ちょうど専門学校で学んだ成長期におけるスポーツの適切な休養について意見具申した。
心菜ちゃん、実はまだ体の成長が止まっていないのだ。
「適切な休養を与えることが故障の原因の芽を摘む第一歩です」と
まさか本当に実践してくれるとは。
「先生が言っていたのです! これは、4年の桐島くんが提言してくれたことなのだけどって! 監督と話し合って、意見を取り入れる事にしたって! 心菜、みんなに自慢しちゃったのです! 心菜の彼氏はすごいのですって! むふーっ!!」
「いや、すげぇのは杉谷教授とセギノール監督だよ。ただの素人に毛が生えた俺の話をしっかり吟味してくれて、計画的な休養日を設けてくれたんだから」
セギノール監督は、ウナ大が外部から招へいした元水泳選手である。
その実績は折り紙付きなのだが、いかんせん日本に来てまだ日が浅く、日本式の練習に悩んでいると、これまた杉谷教授から聞き及んでいた。
「はわっ! 忘れちゃうところだったのです! 先生と監督が、桐島くんさえ良ければ、卒業後にもコーチの1人として、大学に協力してくれないか、だそうです!」
「マジで!? そ、そりゃあ、願ってもねぇ! ちょ、ちょっと心菜ちゃん、ごめんな? 杉谷教授の電話番号知ってんだよ、俺。電話して良い!?」
心菜ちゃんは「えへへ」と笑う。
「もちろんなのです! どうぞ!」と続けた。
運よくすぐに繋がった電話で、まず急な連絡の非礼を詫びて、俺の差し出口に聞く耳を持ってくれた事のお礼を伝えた。
すると、驚くほど呆気なく、俺の来年からのスタッフ参加を認められてしまった。
最初はボランティアからのスタートなので、給料は出ないし、コーチとは名ばかりのいちスタッフとしての参加。
加えて、理学療法士の資格をきちんと来年までに取得する事など、条件は多かったけれども、それがどうした。
「心菜ちゃん! 俺ぁ、来年以降もとりあえず君の傍にいられそうだ!」
「やったぁ! 嬉しいのです! これで兄さまと、二人三脚で戦えるのです!!」
思わぬ
ウナ大で腐っていた2年間も、無駄じゃなかったのだ。
運命論者ではない俺だが、今日ばかりは少し運命というヤツに親近感を覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます