第557話 心菜ちゃんと応援団

 雨の季節。

 ウナ大には屋内プールがあり、水泳部はそこで練習するので天気に左右される事はない。


 だが、練習ができるからと言って、メンタルまで健全な状態を維持できるかと言えば、それはまた別の話。

 幸いなことに、心菜ちゃんは初めての強化合宿で受けた洗礼からは順調に立ち直り、今日も元気に泳いでいる。


 水泳部以外の者はプールに入れないので、元気に泳いでいる姿は見ていないが。

 それなら適当なことを言うな?

 そういうゴッドこそ、軽率に人を指さすものじゃないと思うの。


 俺と心菜ちゃんの間には、トレーニングノートがある。

 ただの交換日記と侮るなかれ。


 これが心菜ちゃんの趣向にガッチリとハマったらしく、毎回ノートいっぱいにその日にあった、嬉しい事や悔しい事。

 次の目標についてや、体のコンディションについて。

 その他諸々を、可愛い文字とこれまた可愛いイラスト付きで教えてくれる。


 どうせ毎日会うのだからと俺も始めた頃はやや懐疑的な思いを抱いていた事は認めよう。

 だけど、ノートに落ち着いて自分の心の内を書き記すという行為は、人の感情を整理して、落ち着かせる効果があるようだった。



「兄さま! お待たせなのです!」

「おう。心菜ちゃん。もう練習終わったの?」


 最近は、図書館に通い詰めの俺のところへ、時間ができたら心菜ちゃんが訪ねて来るのがパターン化している。

 まだ湿っている髪を見ると、心菜ちゃんが急いで会いに来てくれたのだと分かるので、俺も嬉しくなる。


「はい! 今日もたくさん泳いだのです! むふーっ!」

「おっ、可愛いドヤ顔。その様子だと、今日は満足のいく成果が出せたな?」


「それは内緒なのです! 明日のトレーニングノートを楽しみにして下さいなのです!!」


 答えが分かっていても、今ここで追及するのは無粋である。

 お忘れかもしれないが、俺ももうじき22になる。

 さすがに色々と学ぶとも。


「今日はどうしようか? まだ夕方だけど、どこかでご飯でも……おう。ちょっとごめんね、ラインに通知が。誰だろう。……おう」

「はわ? どなたからです?」


「うん。死神姉さ……氷野さんからだよ」

「それならいいのです! 浮気はダメなのですよ!」


 うん。可愛い。

 かつて理性的だった頃の俺は、心菜ちゃんを見る度にこうして頷いていた。



 いつからのけぞって絶叫するようになったのだろう。



 それも今思えば、心菜ちゃんとこんな関係になる予兆だったのかもしれない。

 良い感じに自分の変態的な所業を正当化するな?


 正論ばかり言っていると、友達失くすよ? ヘイ、ゴッド。


「やれやれ。姉さまの心配性にも困ったもんだ……っと。おう、マジか!」

「なんなのです? さっきから、兄さまだけ色々納得してズルいのです!!」


 氷野さんからのラインメッセージは、9割くらい「今日の心菜を教えなさいよ、おおん?」と言う恫喝なのだが、時々本当にいい知らせが混じる事がある。


 今日は1割の方を引いたらしかった。



 大学近くのファミリーレストランへ心菜ちゃんと向かった。

 「いらっしゃいませ、2名様ですか?」と可愛らしい店員さんに聞かれるので思わず肯定しそうになったが、「いえ、待ち合わせなんですけど」とすんでのところで持ちこたえた。


 まったく、自分の成長が恐ろしい。


「よっ。待ってたわよ、公平」

「おう。氷野さん。よく分かったね、俺たちが来たって。あ、すみません。このスタイルは良いけど胸の惜しい人と相席をお願ぁぁぁぁぁぁぁい! します」



 店員さんの引きつった作り笑いをゲットした。



「姉さま! 今日はお外でご飯なのですか?」

「あー! 心菜、今日も可愛いわね! ちょっとぉ! 心菜の髪が濡れてるじゃない! ちゃんと傘になりなさいよ、公平! あんたキノコなんだから!!」


「エノキタケに傘を求めねぇでくれるかな。ちゃんと2人で1つの傘に入って来たよ。ね、心菜ちゃん!」

「はわわ! 兄さま、相合傘の事は内緒だって言ったのに!!」


「……。心菜、今日はゲストがいるのよ! さあ、行きましょう!! ……キノコはドリンクバーで飲み物取って来て!」


 最近、義姉ねえさんが俺の事をたまに名前で呼んでくれなくなる。


 言いつけを守って、両手にメロンソーダを注いだグラスを抱えて席に行くと、もう盛り上がっていた。

 ひどいじゃないか。俺を置き去りにして始めるなんて。


「公平せんぱーい! 遅いですよぉー!」

「おう! 花梨! ちょっと見ねぇ間に、また綺麗になったなぁ!」

「あー! そういうのを彼女の前で言っちゃう辺り、相変わらずですねぇー」


「公平兄さん、ウチもおるんですけどー。可愛いって言うてください!」

「おう! 美空ちゃんも可愛いぞ! オシャレに磨きがかかったな!」

「へっへー! 心菜ちゃん、彼氏さんに褒めてもらったでー!」


 氷野さんからのメッセージは『冴木花梨と美空ちゃんと一緒にファミレスにいるから、心菜には内緒で連れて来なさいよ!』と言うものだった。


「むすーっ! 心菜の兄さまを誘惑しちゃダメなのです!!」

「ははは! 賑やかで良いな! 花梨は帰省してたんだってな。教えてくれりゃあいいのに。水くせぇなぁ」


「家の用事でほんの数日ですけどね! あと、あたしは心菜ちゃんの彼氏に内緒で連絡するようなマナーのない女ではないので!」

「おう。立派な価値観をお持ちで。美空ちゃんは呼び出されたの?」


「いえー。元々、ウチと花梨姉さんが会ってたんです! デザインの話をしたくて!」


 美空ちゃんはこの春からデザイナー養成の専門学校に通っている。

 花梨も東京でデザインの勉強をしているため、この2人はよく連絡を取り合う仲なのだと氷野さんから聞いていた。


「そこに偶然通りかかったのが私なのよ! 心菜を待ち伏せしようと思って立ち寄ったこのファミレスで! 偶然!!」

「ほんで、せやったら心菜ちゃんを応援しましょって話になりまして!」

「あたしたちも、公平先輩と心菜ちゃんに会えるかなぁって思ってこのファミレスをお話する場所に選んでいたんですよ!」


 「なるほどなぁ」と頷きながら、心菜ちゃんの隣に座る。

 むしろ、今までの一連の話を立って聞いていた俺に自分でもびっくり。



 だって氷野さんがどいてくれねぇんだもん!



「心菜ちゃん、水泳頑張ってるって話を聞きまして! だったら作っちゃおうって!」

「花梨姉さん、むっちゃええ事を思い付きはるんですよ!」

「ええ! 冴木花梨は素晴らしいわ!! 私、こんな優秀な後輩を持てて幸せ!!」


「はわー? 何を作るんですか? お菓子とかなのです?」


 実は先にメッセージを読んで内容を知っている俺。

 だが、粋な男を目指している者として、ここはだんまりを貫くのが吉。

 花梨が3人を代表して宣言した。


「心菜ちゃんの応援団を結成しようって話ですよ! 心菜ちゃんのこと、よければあたしたちに応援させてください!!」


 続いて、美空ちゃん。


「ウチと花梨姉さんで、横断幕とか作ったらどうやろって話してたんです! 心菜ちゃん、どないやろか? そーゆう目立つのが嫌だったら、言うてくれてええからね!」


 その後、氷野さんが5分くらい喋ったのだが、あまりに内容の薄い演説だったため、ここはカットさせて頂く旨を了承されたし。


「はは! どうする? 心菜ちゃん。こんなに心強い仲間もそうはいねぇと思うけど」

「こ、心菜、嬉しいのです……! みんなが応援してくれるだけでも嬉しいのに、内緒でこんな相談してくれてたなんて……!」


 答えを聞くまでもなかったようである。

 もちろん、知っていたけども。


「じゃあ、応援団長は公平先輩にお任せしますから! 心菜ちゃんの大事な大会とかが近づいたら、連絡してくださいよ! あたし、駆け付けますからね!」

「おう! 任せとけ! 中間管理職やらせたら俺もなかなかのもんだぜ?」


「あはは! 知ってますよぉー! 心菜ちゃん、この彼氏さん、結構有能ですよ!」

「はわわっ! あの、えと、その。……心菜も、知ってるのです」


 この時の心菜ちゃんのはにかんだ笑顔は、周囲のテーブルの客までもをほっこりさせたと言う。

 こうして、心菜ちゃんと俺の歩く道に、力強い声援をくれる仲間たちが合流した。

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