第556話 心菜ちゃんと弱気
心菜ちゃんがウナ大に入学してから2週間。
キャッキャウフフのキャンパスライフを過ごす2人の予定が、水泳の強化合宿と言う名の運命によって引き裂かれていた。
と言うのは冗談で、大事な初めての強化合宿。
心菜ちゃんの気合の入り方もひとしおであり、これは素晴らしい成果をお土産に帰って来るだろうと期待せずにはいられなかった。
待っている間に俺はただぼんやりと過ごしているのかと言えば、失礼な決めつけはヤメて頂きたい。
だってお前2年間もふて腐れた大学生送ってたじゃん?
過ぎた事を蒸し返すのって良くないと思うの、ヘイ、ゴッド。
ちゃんと俺は俺で、建設的な作業を独りこなしていた。
今日も大学の図書館で計画の最終段階を念入りに確認。
昼過ぎには心菜ちゃんも合宿から戻って来る。
11時を少し過ぎたところで、俺は一息入れるべく、図書館の前にある自動販売機コーナーのベンチに腰掛けた。
朝からずっと座っていたから、肩とか腰とか尻とかが痛い。
「よう、桐島! 順調か?」
「おう。茂木。順調だよ。ありがとな、色々と紹介してくれて」
この男は、俺と同じ花祭学園で青春をカバディに捧げ、大学生活も3年間カバディに捧げ、卒業後はインドに赴任して生涯をカバディに捧げる予定の男、茂木である。
こいつには、俺の将来について少しばかり相談に乗ってもらった恩がある。
「なんか飲むか? 奢ってやるよ」
「はは! 珍しいな。じゃあ、マウンテンデューをご馳走になるぜ!」
「あいよ。……ほれ。今日も部活か? 精が出るなぁ」
「桐島こそ、今日も勉強だろ? そっちの方が偉いと思うぜ。もう4年で講義もほとんどないのに、毎日図書館へ通い詰めじゃないか」
「良いんだよ。好きでやってんだから」
「心菜ちゃん、今日戻るんだったっけ? すごいよなぁ、宇凪市から世界へ羽ばたくアスリートが生まれるかもしれないなんてさ」
「茂木も世界に羽ばたくじゃねぇか。NPOだっけ? 俺にゃよく分からんが。インドに行こうとか、なかなか思っても実行できねえって」
「オレも好きでやってるからな! 好きな事なら、頑張れるよな!」
「おう。確かに。ところで、お前は嫁さん候補いねぇの? 卒業して即インド。しかもいつ帰って来るか分からねぇんだろ? 良い人いるなら、ちゃんと話しとけよ」
「オレは桐島みたいにモテないからな! ま、インドでカバディの上手い女子がいたら、一緒にお茶でもしてみるさ! じゃあな!」
そう言って、マウンテンデューを飲み干した茂木は爽やかに駆けて行った。
俺の同級生ももう4年。
それぞれが進路を決めている。
毬萌も茂木も。
そして、俺も。
「おっと。そろそろ駐車場に行かねぇと!」
心菜ちゃんともう2人、合計3人が県の水泳強化合宿へと出張っている。
恋人に「おかえり」を一番に言えないような男に恋愛をする資格がない事くらいは、俺だって知っている。
駐車場にて待つこと15分。
ウナ大のバスが入って来た。
「おっ! おーい、心菜ちゃん! おかえり! そしてお疲れ!!」
彼女の姿を見つけた俺は、両手を振って存在をアピール。
その動きが
「……あ。兄さま! ただいまなのです!」
「おう。お疲れさん! どうだった? ああ、いや、
「はい! 行くのです! ちょっと待っていてください!」
そう言うと、心菜ちゃんはバスに向かって駆けて行く。
教授と監督に何やら短く話しかけて、ペコリとお辞儀をしてから戻って来るうちの彼女。
どうやら、挨拶を済ませて来たらしい。
こういうちょっとした気配りと礼儀作法を意識せずにできる辺り、アリエル女学院時代の生活が活かされているなぁと感心。
俺も今後は気を付けなければと頷いた。
「むふーっ。やっぱり兄さまと一緒のご飯は美味しいです! 合宿ではみんなで一斉にご飯を食べなかったから、寂しかったのです!」
「おう。俺も心菜ちゃんが2週間もいなくて、すげぇ寂しかったよ」
「はわっ! そ、そういう事を真顔で言われると……。公平兄さま、ズルいのです」
「ははは! これが大人の余裕ってヤツだよ。今年で22だからね。ふふふ」
そう言って、天丼のバイプレーヤー、大葉の天ぷらをパクり。
うむ。サクサクに揚がっていて大変よろしい。
うちの学食はレベルが高い上に安くて、学生の味方だと再確認。
心菜ちゃんを見ると、あまり食が進んでいない様子。
チキンカツ定食も、まだ半分以上残っている。
食後にしようと思ったが、やはり予定を早めた方が良いだろうか。
俺は、できるだけ穏やかな声を意識して、心菜ちゃんに聞いた。
「合宿で何かあった?」
「はわっ!? な、ないです! 別に、何もなかったのです!!」
大人っぽくなったとは言え、まだまだ心菜ちゃんも甘い。
1年半以上も一緒に過ごしているのだから、些細な変化にだって気付くとも。
「心菜ちゃん。俺に気ぃ遣わなくても良いんだよ? むしろ、他の人に言いにくい事だったら、なおのこと俺にだけは言って欲しいな」
「はわわ……。その、えっと」
「ゆっくりでいいよ」
「はい、なのです。あの、心菜、合宿で全然結果が残せなかったのです……。同い年の子に負けてばかりで、こんな事じゃこの先もダメだと思うのです……」
「そっか。壁にぶつかっちまったか」
「はいなのです」
俺はぬるくなったお茶を
同じ内容でも、話し方一つで印象が全然違うものになってしまうのだから、まったく言葉ってヤツは難しい。
「心菜ちゃんは、水泳が好き?」
「えっ? はい。好きなのです。泳いでいると、何も考えられなくなって。でも、それが気持ちよくて。大好きなのです」
「だよね。俺も、心菜ちゃんが泳いでいる時の表情、好きなんだ。真剣だけど、どこか楽しそうで。使い古された言い方だけど、もし人魚のお姫様がいたら、きっと心菜ちゃんみたいなんだうなって思う」
「はわわ……。でも、心菜、他の子よりも遅かったのです」
「大会で結果が残せなかったのならまだしも、合宿の結果は一喜一憂するものじゃなくて、積み重ねていくものじゃないかな? 俺みたいなド素人が偉そうに言って申し訳ねぇけど。1度の不調があったなら、次に好調で取り返せばいいよ」
「公平兄さま……」
心菜ちゃんの大きな瞳が少し潤む。
これはいけない。天使を泣かせるのは重罪。
俺は続けて、彼女に隠していた進路について語ることにした。
話題を逸らすためではない。
むしろ、話題を繋げるためにである。
「俺さ、実は今、理学療法士の資格を取ろうと思って、勉強してるんだよ。実は去年から決めてたんだけど、ある程度形になってから言おうと思って。報告が遅くなってごめんね」
「えと、兄さまはスポーツ関連のお仕事に就くのです?」
「最初はそうなるかな。その先が問題なんだけどさ。しっかりとノウハウを学んだら、俺を心菜ちゃんの専属トレーナーにしてくれねぇかな?」
「……はわっ!? 公平兄さま、心菜のために資格を取るのですか!?」
「おう。大好きな人の支えになりてぇなと思ってさ」
チキンカツをポロリと皿の上に落とした心菜ちゃん。
ひとまずここは、纏めに入らなければ。
チキンカツが冷え切るのを見ているのも忍びない。
「まだ何の資格も取ってねぇし、頼りねぇだろうけどさ。これからは、辛い時や苦しい時は無理して笑って見せないで、思った事を共有させてくれると嬉しいよ」
俺の言葉にどの程度の力があったかは知らないが、この日以降、心菜ちゃんと俺は『トレーニングノート』なるものを作り、それを使って交換日記を始めた。
この令和のご時世にと笑うことなかれ。
文字で伝える気持ちと言うものも、侮れない。
心菜ちゃんの笑顔が増えた事が、何よりの証拠だろう。
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