第553話 心菜ちゃんと恋人
「こんにちはー。どうも、桐島です」
「兄さま! ちょっと大変なことになったのです! 早く入って下さい!!」
8月に入って、受験生もそろそろスパートをかけ始める頃合い。
今日も元気に氷野家にやって来た俺を、心菜ちゃんが出迎えてくれた。
しかし、大変なこととは何だろうか。
氷野さんはシンシア女子大に戻ったはずなので、彼女が暴走するパターンではないようだが。
心菜ちゃんに手を引かれて行った先には、氷野さんのお父様とお母様が。
神妙な顔つきであらせられる。
待ってください。
俺ぁ、心菜ちゃんと交際していますが、天地神明に誓ってやましい事はしていません。
定期的にちょっと胸をチラ見したり、髪の匂いで興奮したりしていますが、本当にそれだけなんです。
心の中で「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」と叫ぶに留めています。
それがやましい事に該当している場合は、すみません。全力で言い訳します。
「む。桐島くんか。ちょうど良かった」
「そうね。桐島くん。ちょうど良いわ」
「すみません! 心菜ちゃんの体は実に魅力的で! チラ見していた事実がそんなに重いとは思わず! もう、今後はチラ見しません!! 視線の先に良い感じに豊かに実った胸があるのも悪い気がしますけど、ああ、いえ、すみません!!!」
「は、はわ!? に、兄さま! 何言ってるのですか!! もぉ!!」
照れた心菜ちゃんにうっすい胸板をポカポカ叩かれる。
ああ、俺ぁ幸せだなぁ。
「実はな、心菜の進路について、少々考えるべき事態になったのだ」
「え? あ、なるほど。やっぱり、もっとレベルの高い大学へってことですか?」
「違うのよ、桐島くん。心菜。自分の口で説明できるわね?」
「はいです……。あの、公平兄さま」
心菜ちゃんは、少し気まずそうな顔をして、彼女の身に起きた事件を語った。
「心菜、競泳の強化選手に推薦されてしまったのです。それで、なんだかたくさんの大学から特待生として入学して欲しいってお手紙が来るようになって。どうしたら良いのか困っているのです」
「マジで!? 心菜ちゃん、国の代表レベルのスイマーになったの!? すごいじゃん!! ゆくゆくはオリンピック的な!? マジか! いやー、そいつぁめでてぇ! なにを困る事があるんだ! そんなもん、一番環境の良いとこに行こうぜ! マジか、すごいなぁ!」
勢い余って素直な感想を垂れ流してしまった俺。
「あ、興奮してすみません」と、まずは非礼を詫びる。
「うむ。桐島くんならば、やはり心菜を任せられるな」
「ええ。桐島くんと一緒の方が、私たちも安心だわ」
「すみません。お話がさっぱり見えないのですが」
「簡単な話だ。心菜は、特待生の誘いを全て断り、当初の志望通り、宇凪市立大学への進学を希望している。まあ、宇凪市立大からも、特待生として入学をと要望は来ていたのだが。これの将来を考えると、どうしたものか。我々も決めあぐねていたのだが」
「やっぱり、練習環境も大事だとは思うけど、スボーツにはメンタルが大事だと思うの。だから、出来るだけなら心菜の希望を叶えてあげたいけれど、それで成長の芽を摘んでしまっては元も子もないわ。それで、桐島くんも交えて1度話し合おうと言う事になったの」
さすが、大学教授と高校教諭のご両親。
ものすごく分かりやすいご説明、痛み入ります。
アホの俺でも簡単に理解できました。
最新鋭の環境が整った大学へ行くか、設備はお察しのウナ大へ行くか。
そういうお話ですね。
「そんじゃ、話し合いましょう!」
「それはもう終わったのだよ」
「それはもう終わったのよ」
前言撤回。やっぱり俺はアホだった。いつ話し合いが終わったの?
「心菜、兄さまと離れたくないのです! 兄さまと離れるくらいなら、水泳なんか辞めるのです!!」
「そ、そりゃあとんでもねぇ! だったら、俺が着いて行くよ! どこの大学にする? 北海道でも沖縄でも、ドンと来いだ!!」
俺の頼りないドンと来いが炸裂したところで、ご両親に続きは引き取られる。
「桐島くんが連れ添ってくれるのならば、心菜の希望を叶えようと。そういう話になっていたのだ」
「だから、これからも心菜の事をよろしく頼めるかしら」
なるほど。
今度こそ理解できた。
俺は、心菜ちゃんの可能性と言う、何よりも大切な宝箱を託されたのだ。
心菜ちゃんに付き合って来て、丸1年。
すっかり干からびていた俺の心も、彼女のおかげで潤いを取り戻しつつある。
心菜ちゃんにとって俺が必要なのと同じく、俺にとっても、もはや心菜ちゃんなしの生活なんて考えられないくらい彼女を必要としていた。
ならば、答えなど決まっている。
「俺の頼りない体で良ければ、心菜ちゃんの人生に捧げる事を、ここに誓います!」
「は、はわっ!? に、兄さま!? そ、そこまで突っ込んだ話じゃないのです!!」
気付けば、なんかプロポーズしていた俺である。
相手はまだ女子高生。
大丈夫なのだろうか。コンプライアンス的なアレがナニしたりしないだろうか。
「では、宇凪市立大学の特待生として進学するように、私が手続きをしておこう。桐島くん、今日からは家庭教師ではなく、心菜の支えとしてよろしく頼む」
「本当に良かったわ。あなたのような人がいてくれて」
こうして、俺が独りで明後日の方向へ駆け抜けた氷野家の家族会議は終わった。
本当に参加していないのも同じレベルの俺が、方針を決定づけてしまったようであり、こうなったらケジメを取る覚悟を完了させるべきだと思われた。
心菜ちゃんにとっては張り詰めた空気だったはずの家族会議。
俺は、気分転換にと彼女を散歩に誘った。
盆前の夕暮れはまだ暑いが、今日は良い風が吹いている。
マンション前の公園のベンチが座り心地満点ですぜ! と主張しているのを見つけたので、俺は飲み物を買って、彼女と腰かけた。
散歩はどうした。
「公平兄さま? あの、あの、心菜に無理して付き合ってないですか?」
「おう。実は最初に家庭教師頼まれた時は、ちょいと無理してた!」
「はわっ!? ご、ごめんなさい……」
「待って。続きがあるんだよ。ほい、ポカリスエット」
俺は心菜ちゃんの頭をポンポンと撫でながら、言葉を続けた。
これが天使に対する重大な冒涜に当たっている場合は、数日以内のうち俺の家に雷が落ちることだろう。
「心菜ちゃんはさ、いつも一生懸命で、俺ぁ大学入ってから無気力で腐ってたから、余計に眩しく見えてね。最初はそれが辛かったんだけど、気付いたら、心菜ちゃんにつられて活力が湧いてる自分を見つけてさ。ああ、俺、心菜ちゃんの事、好きなんだなって」
「はわわ……。そんなにハッキリ言われると、恥ずかしいのです……」
「ははは、これが大人の余裕ってヤツだ。……で、今回の話だろ? 個人的にも運命を感じたっていうか、こういうのを人生の転機って呼ぶんだろうなって。だから、心菜ちゃんさえ良ければ、これからも一緒に頑張っていけたら良いなって思ってるよ」
「…………っ! 公平兄さまぁ!!」
「おうっ!」
俺のうっすい胸板に心菜ちゃんが飛び込んできた。
なんだか柔らかい感触がナニしているが、これはセーフなのか。
しかし、勇気を出した女子を「ちょいとごめんよ」と袖にするのは男にあらず。
俺は、彼女の背にそっと手を当てて、ほんの1分ほどその体勢を維持した。
恐らく、これが正しい答え。
「心菜、公平兄さまのお邪魔にならないですか?」
「なるもんか! むしろ、心菜ちゃんがうんざりするくらい俺は君に着いて行くよ!」
「はわわ……。嬉しいけど、なんだか恥ずかしいのです。こ、これって、もしかして、婚約ってヤツなのではないのですか?」
「おう。そうなるかもな。ごめんなぁ、甲斐性がなくて。こんなことなら、アクセサリーのひとつでも用意しとくんだったな」
そう言って、2人で笑う。
婚約指輪はないけれど、なんなら口約束だけども、俺たちの決意は固かった。
そして、俺は自分の進路を人知れず決めていた。
しっかりと形になったら、真っ先に心菜ちゃんに報告しよう。
さあ、忙しくなってきた。
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