第547話 氷野さんと遠い未来の話

 とある晴れた日。

 氷野さんに呼び出されて、俺は駅前にある喫茶店に向かった。


 アンティーク調な店内は実に穏やかな空気で充満しており、これは恋人が待ち合わせするにはピッタリだと納得する。

 思えば、氷野さんとのデートは初めてじゃないか。


 彼女は、照れ屋さんな上に男嫌いが上乗せされているからして、デートと言う行為をもしかして知らないんじゃないかと疑い始めていた。

 大学の構内で毎日お茶しているから、それも実質デートのようなものではあるのだが、やっぱり恋人になったからには、遊園地とか動物園とかに行ってみたい。


 そこで、照れながら手作りのお弁当とか出されて、周りから羨望の視線を集めたのち、「どうだ、俺の彼女は美人で可愛いんだぞ」と自慢してやりたい。


 しばらく待っていると、待ち合わせの時間15分前に氷野さんが入店。

 俺は30分前からいるので、まずは俺の1勝かしらとにんまり。


「よっ。お待たせ。やっぱり公平は時間にキッチリしてるわね。そーゆうとこ、結構好きよ」

「嬉しい事言ってくれるなぁ。……あの、氷野さん?」


「ん? なによ」

「いや。どうして座るのかなって。ああ、腹ごしらえしてから行くの?」


「行くって、どこによ」

「えっ。あの、デート?」


「何言ってんのよ! 今日はここで話し合いよ! 根を詰めて話し合いするのよ!!」

「ええ……」


 デートの幻想はぶち壊された。

 とんだイマジンブレイカー。

 しかも、話し合いと来たもんだ。



 俺、別れを切り出されるのですか。



 何か粗相をしただろうか。

 思い浮かぶことと言えば、この間氷野さんに「胸がない人でもブラジャーってするの?」と聞いたことくらいしかない。


 アレは散々蹴り倒されたから、それで終わりだと思っていたのに。

 まさか、恋の終わりにまで発展するなんて。

 ちょっと待ってくれ。せめて、弁解を、弁明を、助命嘆願の機会を。


「氷野さん! 俺ぁ、氷野さんの慎ましいおっぱいが好きだ! デカけりゃ良いってもんじゃねぇよ! マジで、愛している! まだ見た事ねぇけど!!」

「なぁ!? ば、バカ! バカ平!! なんてこと言い出すのよ! 声がデカいし!!」


「あああ! 違うんだ! 別に、胸が小さいから声だけはデカい方が良いかなとか思ってないんだ! 本当だよ! だから考え直してくれなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」


 尻が叫びたがっているんだ。


「……ったく。あんたは、本当にバカね。なんで清水の舞台から飛び降りる覚悟で男と付き合い始めたのに、何もしないで別れると思うのよ」


 氷野さんは、ブレンドコーヒーを注文して、テーブルに肘をついて仏頂面。

 「そんな氷野さんも可愛いぜ」と言ったら、すねを蹴飛ばされた。

 さすが、脚が長いなぁ。


「今日はね、計画を立てるのよ!」

「旅行にでも行くの?」


「人生の計画に決まってんでしょ!! 私と公平の、未来について、進路を決める前に綿密な打ち合わせをしておくべきだと思わないの!?」


 別れ話じゃなかったのは助かったが、まさか初デートよりも先に2人の将来について未来予想図を描くことになろうとは。

 だけど、それも氷野さんらしくて少し嬉しくなった俺は、「おし、そんじゃ張り切って計画立てようぜ!!」と、身を乗り出した。


 彼女と未来の話をするなんて、楽しくないはずがないではないか。



「私、警察官になる夢は捨てないから、共働きになるわよね。公平は進路、もう決めたの?」

「一応、教員免許取れそうだし、教員採用試験を受けてみようと思ってんだ」


「ふぅん。イイじゃない。公平に向いてると思うわよ、学校の先生」

「マジで? 学級崩壊したら絶対に立て直せない自信があるけど」

「あんたが担任のクラスが荒れるとは思えないんだけど。多分、男女問わず好かれるわよ。……言っとくけど、女子高生に手出したら、私、旦那でも捕まえるから」


 まだ教職についてもいないのに、いわれなきスキャンダル。


「と言うか、ある程度の貯えができたら、俺ぁ家庭を守ってもいいよ? そーゆうの、全然抵抗ないし。むしろ、家事とか好きだし」

「そうねぇ。確かに、それもアリかしら」


「子供が出来たら、それなりの年齢になるまで傍にいてやりてぇし。自立したら、俺ぁ復職するか、塾とか教育関連の再就職先探すかな」

「こ、子供……。あ、あのさ、公平? あんた、子供何人欲しい?」



「多い方が良いなぁ。6人! 欲張り過ぎか……。じゃあ、5人!! 痛いっ!!」

「こ、このぉ、変態!! どんだけ張り切るつもりよぉ!! バカ! バカ平!!」



 子作りを変態呼ばわりは良くないと思うなぁ。

 神聖な営みだよ。夫婦円満の秘訣とも言える。


「じゃあ、氷野さんは何人欲しいのさ? 俺ぁ子供好きだから、0人は悲しいな」

「ふ、ふた……。もぉ、3人! 3人までなら頑張る!!」


「おう! 頑張ろうぜ!! 俺ぁ今から勉強しとく! 痛い、痛い!!」

「な、何の勉強すんのよぉ! この変態!!」

「ちょ、まっ! 子育ての話なんだけど!? さっき家庭を守るって言ったじゃん!!」


 氷野さん、何を想像していたのか、顔が真っ赤になる。

 これはレア。蹴られるの覚悟で写真撮っても良いだろうか。


「はぁ、はぁ。公平のせいで血圧が上がったわ。じゃあ、住まいについてよ。私さ、実はマイホームに憧れてるの! すぐは無理だろうけど、絶対一戸建てに住みたい!!」


 氷野さんがノートに「子供は3人!」とメモしているのを見てニヤニヤしていたら、デコピンされた。


「そんじゃ、バリバリ働かねぇとな。ローン組むのも手だけど、できるだけ少なくしたいよね。結局支払いが長引くほど損する訳だし」

「よし! 明日から貯金始めるわよ! お昼ご飯は常にかけそばにしましょう!!」

「ええ……。俺、カレーライスくらいは食いたいなぁ」


 氷野さんのノートに「目指せ30までにマイホーム」と書き加えられる。


「あとは、その……。大事なことなんだけど。えっと、け、結婚式はどうする?」

「洋装でも和装でもどっちでもいいよ」

「あ、う……。今のは、するかしないかの質問だったんだけど。そっか。するのね。分かった。じゃあ、そこはあんたの希望を聞いたげるわよ」


「えっ!? マジで!? じゃあ、絶対ウェディングドレス着て欲しい!! 氷野さん、ぜってぇ似合うもん! 花梨が作ってくれるって言ってたし!!」

「な、なによ、急に食い気味にならないでよね! か、考えとくわよ」


 俺たちのノートに「ウェディングドレスを着る」と項目が増える。


「老後の貯えも大事だよね。あ、あとね、もし氷野さんが認知症になっても、俺ぁ絶対に施設にゃいれねぇから。逆に、俺がボケたら即刻施設にぶち込んでくれる?」

「はぁ? そんなのダメに決まってんでしょ! どっちがボケても面倒見るのよ! でも、どっちもボケたら子供たちに悪いから、2人で施設に入りましょうか」


 2人の未来に「最期まで一緒」と約束が交わされる。


 こうして、俺たちはまだキスもしていないのに、年取って人生の終活までの予定をもってして、ノート4ページ分を真っ黒に染め上げた。



 コーヒーのおかわりを注文したタイミングで、「そうだ、もう一つ」と俺は手を挙げた。


「なによ。甘いものでも食べる?」

「ああ、いや。追加の注文じゃなくて。……いや、追加の注文かも」

「訳分かんないことを言うんじゃないわよ」


 俺もたまには、ワガママを言いたい時だってある。

 ささやかな願いなので、どうか叶えてもらいたい。



「氷野さんのこと、丸子って、名前で呼んで良い? ああ、いや、氷野さんがそう呼ばれるの苦手なの知ってんだけどさ。俺としては、恋人になったんだし」



 そこまで言うと、氷野さんは朗らかに笑って、「バカなんだから」と言う。

 そして、こう続けた。



「私、いつになったら名前で呼んでくれるのかしらって、ずっと思ってたのよ? それこそ、予備校で公平と再会してから、ずっと、ずーっと」



 この数年悩み続けていたのに、口に出すとあっさり叶う。

 人生って言うのは、本当に一筋縄ではいかないものである。


「じゃあ。……丸子。俺、丸子のこと、ぜってぇ幸せにしてみせる!」

「ふんっ。私は公平のこと、もっと幸せにしてやるわよ! 覚悟してなさい!」



 こうして、バッドエンドで始まった俺の恋は、綺麗な放物線を描いて、ハッピーエンドに着地する。

 ハッピーエンドのその先には、果たして何が待ち構えているのだろうか。


 そればっかりはノートにも書き記されていないので、丸子と2人で探し当てようと誓う、そんな今日はありふれた日曜日。


 ——だけど、大切な記念日。





 氷野さんifルート、完。

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