第545話 氷野さんと恋人

 年が明けて、お正月。


「あんた! ちょいと、オーダーメイドのスーツにタグが付いてるよ! そそっかしい子だねぇ!! 彼女の親御さんに笑われちまうだろ!!」

「おう。マジか。すまん、母さん」


「いやぁ、公平にも将来を約束する相手ができたかぁ! 父さんもな、この春から部長に昇進するかもしれないんだ! めでたいなぁ!」

「おう。マジかよ。父さん、本当にすげぇな」


「ちょいと待ちな! なんか軽く食べて行くんだよ! あちらさんでお食事出されてがっつかないようにしなきゃ! ほら、数の子! あと、鯛のあらで出汁とったお雑煮食べな!!」

「高級食材が襲い掛かって来る! 3年でこんなに変わる!? 俺が高校生の頃、チーカマ食ってたんだけど!?」


「公平、手土産の用意はしておいたよ。ほら、ルイジャド・ボージョレーヴィラージュ・プリムールの2014年ものだ。持って行くと良い」

「ごめん、父さん。何言ってんのか分からねぇんだけど。なにそれ? 金色のガッシュに出て来る呪文かなにか?」


 年末に「恋人が出来たから、今度紹介するよ」と言ったら、「お正月に挨拶に行くのが常識だ」と俺の両親がいきり立った。

 年末のクソ忙しい時期に、父さんが洋服屋に無理言ってオーダーメイドのスーツを仕立てさせて、母さんは俺の体調管理のために、毎日高級食材を食わせまくる。



 むしろ逆に具合が悪くなりそう。



 そして、三が日も終わる本日、1月3日。

 氷野さんのお宅にご挨拶へ伺う事になった。


「じゃあ、とりあえず行ってくるよ」


「いいかい、失礼があっちゃいけないからね! 全集中の呼吸で行きな!!」

「お酒が口に合わなかったら、すぐに連絡するんだぞ。違うものを届けるから」


 両親に見送られて、俺は家を出た。

 バカ高いスーツでチャリンコ漕ぐわけにもいかないので、タクシーを拾う。

 もちろん、料金は父さんがくれた。


 家に帰ったら、肩でも揉んであげよう。



「よっ。公平。あけましておめでとう。……なに、その恰好」

「氷野さん。おめでとう。おう、俺もよく分からんうちに、こんな事に。なんか、俺に恋人が出来たのが余程嬉しかったみてぇでさ。お恥ずかしい」


「そ、そうなんだ。いいご両親じゃない。意外とあんた、愛されてんのね」

「そうなのかな? 高校時代は戸棚のぽたぽた焼き食ったらぶん殴られてたよ?」


 マンションの前で俺を待ってくれていた氷野さんと軽く談笑。

 しかし、今年の正月は寒波が来ているとかで、実に冷える。

 俺たちは、速やかに氷野さんのお宅へ。


「ただいま。公平連れて来たわ。まあ、入んなさいよ」

「お、おう。ちょいと緊張するな」

「あら。やっぱりこんな綺麗な恋人が出来ると、あんたでも固くなるものなのね? ふぅん?」


「兄さま! あけましておめでとうなのです!!」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」



「ごめん、氷野さん。何の話だったっけ?」

「どうしてかしら。そこはかとなく腹が立つわ」



 心菜ちゃんに新年の挨拶をしたら、リビングに通された。

 そこには氷野教授。相変わらず、何と言うオーラ。


「桐島くん。あけましておめでとう。よく来てくれたな」

「あけましておめでとうございます。新年早々にお邪魔して恐縮です」


「君は相変わらず、礼儀正しいな」

「あの、これお土産です。俺ぁ酒に詳しくないので、これが良いものなのか分からないんですが、どうぞお納めください」


「これはすまない。気を遣わせてしまったな」

「正直なところ白状させてもらいますと、気を遣いますよ。だって」


 だって、恋人のお父さんとして氷野教授と会うのは初めてなんだから。


「君のその正直なところは長所だな。では、引っ張っても君にストレスをかけるだけだろうし、言いたい事があれば今、この場で聞こう」

「ああ、すみません。本当に助かります。さっきから心臓が止まりそうでして」


 俺は許可を得て、頭を床に付けて美しい土下座の姿勢を取る。


「氷野さん、いえ、丸子さんと、この度、正式にお付き合いさせて頂くことになりました。大学を出て独立したら、是非結婚したいと思っています。娘さんと一緒になるお許しを頂けたら、幸いでございます」


 大晦日から父さんを相手に練習してきた口上であるからして、淀みなく言えるのは当然であり、問題はその後かと思われたが、思わぬ横やりが俺を貫いた。


「は、はぁぁ!? ちょ、こ、公平!? あんた、挨拶するだけって言ったじゃない!?」

「おう。だから、こうしてご挨拶を」



「なんで私に、ぷろ、プロポーズする前に! 父さんに挨拶すんのよぉ!!」

「あ。そう言われると、確かにそうだな」



 これは俺としたことが。何と言ううっかりミス。

 氷野教授に「すみません。1分頂けますか」とお願いしてから、氷野さんの方を向いて、再び美しい土下座の姿勢でアドリブ開始。


「氷野さん。俺と結婚して下さい」

「ば、バカじゃないの!? 付き合い始めてまだ2週間経ってないのに!!」


「でも、この先60年くらい連れ添う訳だから、まあいいじゃない」

「良かないわよ! ていうか、意味が分かんないんだけど!?」


「じゃあ、氷野さん。お父さんをお待たせしてるから、もう良いかな?」

「バカ! 輪をかけて良かないわよ!! 私、まだ返事してないでしょうが!!」


「えっ!? もしかして、断られるの!?」

「断られる想定を一切してない辺りは、さすが公平ね。私を射止めただけあるわ」


 氷野さんは、いつもの調子で、しかし、とても大切な事を口に出してくれた。



「断る訳ないでしょ。こ、公平こそ、浮気しないでよね。もししたら、地平線の向こうまで蹴飛ばしてやるんだから。……バカ平」



「すみませんでした、教授。お話が途中になってしまいまして」

「いや、切り替えの速さ!! なんかもっと、こう! 抱きしめたりとか!! ああ、もう!!」


「桐島くん。娘が選んだ男が君で良かった。今後とも、これをよろしく頼む」

「とんでもないっす。こちらこそ、愚息ですがよろしくお願いします」


 どうやら、俺は氷野さんとの将来を約束されたらしかった。

 オーダーメイドのスーツの背中は汗でびちゃびちゃである。

 久しぶりにこんなに緊張したな。



「公平兄さま、心菜の本当の兄さまになるのです! 嬉しいのです!!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」



 そこまでは考えていなかった!

 こ、心菜ちゃんが義妹に!? こんな事って許されるのだろうか!?

 幸せで心臓発作起こしそう!


「私は浮気すんなって言ったそばから、自分の恋人を蹴らなくちゃいけないのかしら」

「おう。氷野さん。申し訳ない。あまりの出来事に、我を失っていた」

「ええ。よく知ってる。あんたはすぐに我を失うわよね」


 そこで氷野さんのお母さん、いやさ、お義母さんが「さあ、食事にしましょう」と声をかけてくれたので、俺たちはテーブルについた。


「桐島くん。酒はイケるか?」

「うっす。それなりに飲めます」


「そうか。では、ビールを飲もう。息子と酒を交わせる日を待っていたのだ」

「うっす。俺、お酌させて頂きます!」


「姉さまは飲まない方が良いと思うのです!」

「うっ。こ、心菜? 別に私、飲むなんて言ってないわよ?」

「姉さまは酔うと前後不覚になるのです! スキだらけで危ないのです!!」


「桐島くん。おせちもあるから、摘まんでちょうだい」

「ありがとうございます! これ、手作りですか!? すごく美味しそうですね!!」

「まあ、相変わらず口が上手いんだから。そのお口に合うかしら」


「合わせてご覧に入れます!!」


 氷野家の食卓が「あはは」と笑いで溢れる。

 いつの日になるか分からないが、こんなにステキな家族が出来る予定が埋まるなんて、何と言う恵まれた男なのだろうか、俺ってヤツは。



 年の始まりは実に景気が良いものとなり、それは俺と氷野さんの前途を写す鏡のようにも思え、正月寒波なんぞどこ吹く風。俺の心は温かかった。

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