第544話 氷野さんと素直な気持ち

 月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり。

 そんな訳で、大学二年生の後期授業もほぼ終わった、12月中旬。

 もうそろそろ大学生活の半分が過ぎようとしている。


 まさに月日は永遠の時を行く旅人。

 楽しい時間に限っては、足を速めてしまう困ったちゃん。


 もっとのんびり行こうぜと提案するも、首を縦に振った試しなし。

 融通の利かない旅人である。


 融通が利かないと言えば、氷野さんもそうであり、なにゆえ強引に氷野さんの名前を出したかと言えば、彼女にこの後呼び出されているからである。


 心当たりが全くないのが恐ろしい。

 なにか俺は、自分でも気付かぬうちに不始末をしでかしているのだろうか。


 先週、氷野さんの慎ましい胸部について散々いじった、アレだろうか。

 いや、しかし、その後3発ほど尻を蹴られたので、勘定は済んでいる。


 心菜ちゃんの身長が急激に伸びてきて、「もう氷野さんが勝ってるところ、ほとんどないね!」と笑顔で言った件だろうか。

 でも、その後で首がもげるくらい手刀でモキョられたから、勘定はこちらも済んでいる。



 正直、心当たりがあり過ぎて、その他どの案件で怒られるのか想像もつかない。



 そして、呼び出された場所が宇凪海浜公園と言うのがまた不可解。

 このクソ寒い中、なにゆえあんな吹きっさらしの、さらに人気ひとけのない場所をチョイスするのだろうか。


 もしかして、海に叩き落とされるのかな?


 様々な思惑を頭の中で並べて、アルカノイドさせていたが、何度やっても疑問を崩す前に残機が消滅する。

 そして俺を乗せた自転車は、いつの間にやら海浜公園の駐輪場に着いていた。


 駐輪場は高い位置にあるため、視力に自信のある者は公園内を見渡せる。

 そして俺の視力は両目とも2.0であるからして、氷野さんを捕捉するのも容易かった。


 彼女は誰もいない防波堤の前で仁王立ちしていた。


 俺は「海に落とされても死なないようにしねぇとな」と、心臓の辺りを揉みながらそこへ向かった。

 えっ? 心臓マッサージって先にやってても効果ないの?



「ま、待っていたわよ、公平! ……ずずっ。いい天気ね! ……くしゅんっ」

「氷野さん、いつから待ってたの? 俺ぁ待ち合わせの30分前に着いたのに。風邪引いちゃいけねぇから、とりあえずなんか温かいものでも買おう」


「そ、そうね……。そうするわ」

「紅茶花伝でいい?」

「あ、うん。ありがと」


 自動販売機コーナーの前には、壁がある。

 多分、潮風から自動販売機を守るためだと思われるが、今日は俺たちも守ってもらおう。


「それで、こんな場所に呼んで、何事かな? 話なら、大学でもできるのに」

「そ、それは、その……。何て言うか、雰囲気が大事だと思ったから、さ」



「2時間ドラマで犯人追い詰めるような場所でする話ってある?」

「私もどうかしてたけど、そうやってちょっと面白いツッコミするのヤメてくれる?」



 なにやら、氷野さんの瞳には決意の炎が見える。

 本当に、何をされるのだろう。


「……はぁ。温まるわね」

「今の気温、6度しかないからね。話を早いとこ済ませて帰ろう? 女の子が体冷やすもんじゃねぇよ」


「な、なによぉ。そんなに急かさなくったって良いでしょ!? こっちにだって、タイミングってもんがあるんだから!!」

「ええ……。じゃあ、急かさないから、早くタイミングを見つけてくれる?」


「急かしてるじゃないのよ! なによ、男はすぐに……。そーゆうところがさ」

「分かった。なんか知らんけど、付き合うよ」


 すると氷野さんは、ギュッと両手を握り、拳を作った。

 殴られるのかな? できれば蹴りが良いな。

 そんな事を考えていたら、全然違うものが飛んできた。


「あ、あんた! いや、違うわね。桐島公平! ……なんか距離がある。こ、公平!!」

「おう。なんでしょう?」



「こ、公平さ、私のこと、好きなんでしょ!?」

「えっ!? 好きだけど!?」



 氷野さんが真っ赤になって、ベンチに座り込んだ。

 今の話の一体どこに体力を使ったのか。

 俺ですら寒風吹きすさぶ中とは言え、まだ余裕があるというのに。


「ど、どうして、そんなハッキリ言うのよ!? バカなんじゃないの!?」

「どうしてって言われても。好きなものを嫌いと言う理由がないし」


「……はぁ。あんたって、ホントそーゆうとこあるわよね。いつもアタフタしてるかと思ったら、肝が据わってるというか。度胸があるというか」

「おう。なんか知らんが、褒められて悪い気はしないなぁ」


 氷野さんが再び立ち上がる。

 今日の彼女は実にせわしない。レア氷野さんだ。


「い、一度しか言わないわよ!」

「マジか。じゃあ、しっかり聞いとくよ」


「公平! 私に付き合いなさいよ!!」

「おう。夕飯までの予定はガッツリ空けて来たから、任せてよ」



「そうじゃないわよぉ! 男女交際しなさいって言ってるのよぉ!!」

「えっ!? そうなの!? じゃあ、喜んで! よろしくお願いします!!」



「返事が軽いのよぉ! 何なのよ、あんたぁ!」

「ええ、そんな理不尽なこと言われても困るぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」


 どうやら、俺と氷野さんは、世で言うところのカップルになったらしかった。

 まさか、氷野さんの方から告白してくれるとは。


 あと、告白された直後に蹴り入れられるとは。


 さすがは俺が好きになった女の子である。

 そんじょそこらの女子では、こうはいかない。



 さて、晴れて彼女になった氷野さんに風邪を引かせちゃ困るので、俺たちは帰路に就く事と相成った。

 帰りながらでも話は出来るからね。


「なによぉ。私、むちゃくちゃ気合入れて、雰囲気作りも一生懸命考えたのにぃ」

「あ、海浜公園って雰囲気重視のチョイスだったんだ? 俺ぁ船越英一郎に問いただされてる空気感は感じてたんだけど、甘いヤツは気付かなかったなぁ」


「し、仕方ないじゃない! 告白とか、したことないし……」

「それを言ったら、俺も最近は告白なんてされた記憶がないなぁ」


「えっ!? あんた、告白された事あるの!?」

「おう。あるよ? 毬萌と花梨から、一回ずつ」

「は、はぁ!? じゃあ、なんで2人と付き合ってないのよ!?」



「そりゃあ、俺、結構昔から氷野さんの事を好きだったから」

「えっ、あっ、なぁっ!? い、意味が分かんないんだけど!?」



 意味が分かって貰えない悲しみと言うのは切ないものである。

 俺、結構アピールしてきたつもりなんだけどな。

 特に予備校時代からは、好意を隠した記憶がまったくないんだけど。


「だって、氷野さん可愛いじゃん。それに話も合うし、ノリも合うし、一緒にいると楽しいし。会話も弾むし、肩ひじ張らなくて良い空気感とかすげぇ助かるし。こんなに自分にピッタリな女の子、他にはいねぇなってずっと思ってたよ?」


「や、あの、ちょ、ちょっとごめん! 情報量が多すぎて、処理しきれないわ」


 氷野さんがその場でうずくまってしまった。

 これはいけない。

 俺の力で彼女を抱えて運べるだろうか。


「氷野さん? 大丈夫?」

「……大丈夫じゃない。自分の初恋が、実はずっと前から実ってたとか、そんな話聞いて大丈夫なほど、私は強くできてないもん」


 これは困った。

 なんと言えば彼女は納得してくれるだろうか。

 そこのところまで考えが及ばない辺り、俺もつくづく詰めが甘い。


「そんじゃ、俺が隣で支えるって事でどうだろうか? まあ、頼りねぇと思うけどさ。氷野さんのサポートくらいなら、できると思うんだ」

「………………」


 黙り込んでしまった氷野さん。

 大事なセリフを間違えたのかもしれない。

 エノキタケに「自分、支えます!」と言われて喜ぶ女子はこの世にいるのだろうか。



「……嬉しい」

「えっ!? なんて!? ごめん、氷野さん! 聞いてなかった! 今、なんて!? 氷野さん、ねぇ、氷野さん、今なんて言った!? 氷野さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」



「う、嬉しいって言ったのよ!! もう、あんたぁ! 公平! 1度言ったからには、ちゃんと約束しなさいよね!? ず、ずっと、隣で私を支えること!!」


 気付けばいつもと同じ氷野さん。

 そして、いつもと同じ俺。


 少しだけ、2人の関係性を表す言葉が変わった。

 たったそれだけの些細な変化。


 俺は、とりあえずこれまたいつもの調子で、いつも通りの言葉を返す。



「おう! 俺で良ければ、喜んで!! 任せてくれ、氷野さん!!」

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