第542話 氷野さんがツンデレ

「公平。あんた、次の時間暇でしょ? 休講になってるから」

「おう。もちろん暇だよ。学園祭実行委員もお役御免だし」


 季節は気付けば12月。

 木枯らしが吹きすさぶ時分になれば、今年の終わりを意識してしまう。


 学園祭実行委員会は、一時解散。

 ただし、前年の経験者が翌年も繰り上がりで役職を務めるのが慣例らしく、俺と氷野さんもそのルールに従って、来年も励むつもりである。


「それならさ、ちょっとお茶しましょう」

「いいね! ラウンジ行く?」

「そうね。あそこの自動販売機、安いのよね」


 ラウンジには売店もあり、小休止するには持って来い。

 俺たちは、北風を避けるようにして、速やかに移動を開始した。



「ところでさ、あの、あんた、さ。いや、別に、気になる訳じゃないんだけど」

 何やら、氷野さんの歯切れが悪い。


「もしかして、紅茶花伝飲みたいの? 仕方ないなぁ、ちょっとだけだよ?」

「違うわよ! って言うか、私も今、同じヤツ飲んでるでしょ!?」

「あ、ホントだ。氷野さん午後ティー派だったのに。どうしたの?」


 氷野さん、「別に! 良いでしょ!」とそっぽ向いてしまう。

 これはいけない。話の腰を折ってしまったか。


「ごめん、ごめん。何の話だったかな?」

「……あのさ。もうじき、クリスマスじゃない?」

「そうだね。去年は予備校の合宿でチキンもケーキも食い損ねたなぁ」


「……あんた、クリスマスって暇?」

「おう! 氷野さん、デートしようか!」

「は、はあ!? なんで、公平なんかとデートしなきゃなんないのよ!?」



「えっ!? 今のって、そういう話の流れじゃなかった!?」

「あ、ごめん。確かに、そういう話をするんだったわ。つい、勢いで」



 氷野さんから、まさかのクリスマスデートのお誘いである。

 なにかのドッキリだろうか。

 ドッキリでも別に構わない。


 好きな女の子とクリスマスを一緒に過ごせるなんて、それ自体が既に壮大なドッキリみたいなものじゃないか。


「じゃあ、イヴの日に、駅前で待ち合わせね! はい、この話はもう終了!!」

「ええ……。せめてもう少しだけ話を詰めようよ……」


 こうして、俺の大学生活で迎える初めてのクリスマスの予定が埋まった。



 楽しみにしている予定というのは、2週間先くらいまでは全然近づいて来ない気がするのに、1週間を切ると一転、猛烈な速度で駆け寄って来る。

 気付けば、クリスマスイヴ当日になっていた。


「おっし。まあ、こんなもんだろ」


 ちょっと高いジーパンに、清潔なシャツ。

 その上にお気に入りのダウンで俺の装備は完成。


 真っ白なスーツにバラの花束が似合う男になりたいものだが、そのいただきに立つにはまだ経験値が足りない。

 身の丈に合った服装で、俺は待ち合わせ場所に向かった。


「よっ。早かったわね」

「マジか。氷野さんを待たせねぇように出たつもりだったのに。ごめん。どのくらい待たせた?」


「別に待ってないわよ。ついさっき来たとこ。……ってぇ、なに!? なんで手を無言で触ってんの!? ぶっ飛ばすわよ!?」

「氷野さん、結構前から待ってたでしょ? 手ぇ冷たいもん。ごめんな。とりあえず、なんか温かい飲み物でも買おう」


「な、なによ、公平のくせに、イケメンみたいな事言って……。バカ」

「まあまあ、口だけくらいイケメンにならせてよ。外見が追い付いてこないけどさ」


 ひとまず氷野さんの体温を上昇させるべく、俺たちは駅の構内で暖を取る。

 ついでに、この後の予定についても確認。


「氷野さん、行きたいとことかある? 一応、晩飯はレストランの予約取ってあるんだけどさ。イタリアン。氷野さん、嫌いじゃないよね?」

「なんでそんなに手回しが良いのよ。……嫌いじゃないけど」


「いや、だって、氷野さんマジでイヴの予定について話させてくれねぇんだもん! 一応、男として最低限の準備はしとこうと思って」


 すっかりお馴染みになった紅茶花伝を少し飲んで、氷野さんはバツの悪そうな顔をする。


「だ、だって! その、は、恥ずかしいじゃない。男とクリスマスイヴに出掛けるとか、そんな浮かれた事、これまで考えた事なかったんだし」

「おう。そう言われてみれば。もしかして、無理して付き合ってくれてる? 男が嫌いなのに。だったら、気ぃ遣わねぇでも良いよぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」


 氷野さん、今のはこれまで数多あまたの蹴りを貰って来たけど、一番と呼んでも良いくらいの不意打ちだったよ?

 そして、さらに不意打ちは続く。



「男なんて大嫌いよ。……ただ、公平は、あんたは、ちょっとだけ嫌い。だ、だから、そのくらいなら、別に、クリスマス、一緒に過ごしてやってもいいかなって」



 ツンデレだった。

 まごう事なきツンデレ。

 そんな氷野さんを見て、俺は思う。


 ああ、こんな不器用なところが愛おしいと思い始めたのは、一体いつからだったろう。


 せっかく外に出て来たお姫様を退屈させるのは愚か者のする事である。

 この日のためにデート雑誌買い漁っていた俺の苦労を舐めないで頂きたい。


「おっし。氷野さん、イルミネーション見に行こうぜ! 宇凪駅の大通り、ライトアップされてんだってさ。初めてのクリスマスデートは定番が良いって、俺の買った雑誌にも書いてあったから、間違いねぇはず!」


「ぷっ。ふふっ、なんでそんな事まで白状するのよ。バカなんだから!」

「だって、俺がそんなモテ男みたいなキャラじゃねぇってバレてるし。下手にカッコつけた方が恥ずかしいパターンじゃん」


「そうね。じゃあ、行きましょ!」


 イルミネーションとは、街路樹に電飾巻きつけてチカチカ点滅させているだけの代物であり、別にありがたがるようなものでもない。

 それなのに、なんだか特別な気分になるのは何故か。


 決まっている。

 特別な相手と見るからこそ、ただの電飾もロマンチックの舞台装置に早変わり。

 まったく、人間ってのは実に都合のいい構造をしている。


「氷野さん、手ぇ温まった?」


 ここで「お手をどうぞ、お姫様」と言えないのが俺である。

 まかり間違って、氷野さんが俺のお誘いを察してくれたら、もう一段階勇気を出そう。


「……まだ、ちょっと冷たいかも」

「そっか。じゃあ、俺の貧相な手で良ければ、結構温まってんだけど」

「……使い捨てカイロ買うのも勿体ないし? その貧相なヤツで我慢するわ」


 こうして、氷野さんと出会ってから3年と半年と少々。

 彼女の手を取る事に成功した俺であった。


 その後、予約しておいたレストランに行って、クリスマスコースと言う名のぼったくりメニューを堪能した。

 二口でなくなるパスタとか、やたら意識高そうなサラダとか、偉そうな風体のピザとかをことごとく口の中に入れて黙らせてやった。


 これで一人3000円って言うんだから、いい商売だ。


 ただし、氷野さんがいつになくよく笑ったので、その笑顔の代金と考えれば、一瞬で破格のお値段になるという手の平返し。

 クリスマスディナーって言うヤツも、なかなかよく出来ていると感心した。



 そして、楽しい時間はすぐに終わりが訪れるのも世のことわり

 もうそろそろ、時計は午後10時に差し掛かろうとしている。

 少しくらい休んでも良いのに、長針も短針も秒針も、勤勉なことである。


「そんじゃ、氷野さん。送って行くよ」

「え? あ、そ、そうね。うん。お願いしようかしら」


 駅から氷野さんのマンションまで、歩いて30分ほどかかる。

 雪でも降ってきたら雰囲気も良い感じになるのに、こんな日に限って空には雲一つない。

 それどころか、さっきからちょっと暖かいまである。


 空気読めよ!


「……あー。うん。今日は、ありがと。結構楽しかったわ」

「そりゃあ良かった! 俺も、最高の思い出が出来たよ!」


 また体を冷やしちゃいかんという事で、俺は速やかにおいとますることにした。


 クリスマスデートがそれで良いのかって?

 良いんだよ。だって、俺たち別にお付き合いしてる訳でもないんだから。


 氷野さんが、少しだけこっちに歩み寄ってくれた。

 その事実だけで、今は満足なのだよ、ヘイ、ゴッド。いやさ、ヘイ、イエス。

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