第541話 氷野さんと学園祭
時間が少しばかり流れて、秋も真っ只中。
木の葉も紅く染まれば、お祭の季節がやって来る。
今日は山目大学の学園祭。
その名も紅葉祭。
名前の由来は、学内にある紅葉の並木道から。
この季節、山目大学のメインストリートは、秋の色を集めた
実に風流で
とは言え、俺は学園祭実行委員であるからして、のんきに紅葉狩りをしている時間はない。
「じゃあ、俺ぁ見回り行って来ます」
「私も行きます。公平ひとりじゃ心配ですから」
「うん、2人にお願いしようかな。悪いねぇ、あまりやりたくない仕事を引き受けてもらってしまって。本当に助かっているよ」
宮西先輩は物腰柔らかなタイプ。
強力なリーダーシップではなく、人柄と人望で委員会を纏めている。
そんな人の下に就く時は、積極的に仕事を買って出るのが良いと相場は決まっている。
高校時代の生徒会活動のおかげで、この手の仕事は慣れっこだ。
「ちょっと! なにグズグズしてるのよ! 行くわよ、公平!」
「おう。俺としたことが」
学園祭は3日間行われる。
今日はその2日目。気持ちに緩みが出て来る頃合いであり、なればこそ気を引き締めて仕事をするのが肝要かと思われた。
「氷野さん。ホットドッグ食おうぜ!」
気を引き締めた結果、俺は提案した。
「はあ? あんた、見回りの意味を忘れたのかしら?」
「宮西先輩が、道中で飲み食いして良いってさ。食券くれたんだよ」
パトロールを始めて30分。
今のところ、特に異常はないため、俺は早々に休憩を申し出る。
「ったく。仕方ないわね。しょうがないから、付き合ってあげるわよ」
「そう来なくっちゃ! いやぁ、氷野さんも寛大になったよね! 高校時代なんて、目ぇ光らせて文化祭取り締まってたもんなぁ!!」
「実に不本意だわ。……まあ、全部あんたのせいよ。多分」
「えっ!? 氷野さん、何て言った!? なんか俺、褒められた!? ねえ、氷野さん、もう1回言ってくれる? もう1回! もう1回! もう1かぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
「早くホットドッグ買いなさいよ!!」
「うっす! 尻に気合が入りました!! ありがとうございます!!」
ゴッドの呟きが聞こえる。
「君ら、付き合ってんの?」と言う、なんか俗っぽい呟きだ。
結論から言えば、そんな事はない。
氷野さんが男嫌いなのはゴッドも知っての通り。
ならば、俺とくっ付いたりするような事がそう簡単に起きてたまるか。
ただ、俺の心情的な話をさせてもらえると、せっかく大学生になった訳だし、モラトリアムのど真ん中を走っている青春ボーイとしては、色恋の一つもしてみたいと言うのが本音であり、その相手が氷野さんだったら望むべくもないと思っている。
俺は、氷野さんの事が好きなのだ。もちろん、異性として。
いつからかと聞かれると、気付いたらそうなっていたとしか答えようがない。
それが叶わぬ想いだとしても、まあ、勝手に慕っている分には問題ないだろうし、口に出して「付き合ってくれ!」とでも言わない限りは相手にも迷惑かけないし。
告白しないのかって?
しないよ。今の距離感で、俺ぁ結構充足しているから。
男が嫌いな女の子に「なあなあ、付き合えよ、ぐへへ」と言う趣味は俺には無い。
こうして、仲良く並んでホットドッグ食ってるだけで、俺は満足なのである。
「なによ。ニヤニヤして。気持ち悪いわね」
「いや、いい天気だなぁと思って。絶好の学園祭日和じゃんか」
「まあ、そうね。……公平。頬っぺたにケチャップがものすごく付いてるんだけど」
「マジで? 氷野さん、世話焼き女房みたいな感じで
「ば、バカ! なんで私が!! ……ほら、ティッシュあげるから、さっさと拭いて!」
「なんだ、残念。俺の思い出フォルダが潤うかと思ったのに」
「アホなこと言ってないで、行くわよ。今度は正門の方を回らなくっちゃ」
「へい! 仕事にマジメな氷野さんもステキだぜ! 行こう、行こう!」
胸を張って歩く氷野さんの少し後ろを着いて行く。
これはこれで、居心地の良いものである。
「桐島先輩! 氷野先輩! 委員会のお仕事、お疲れ様です」
鬼瓦くんがアメフト部の屋台で焼きそばを作っていた。
彼は、熱烈な勧誘に負けることなく未だ入部を断り続けているが、勧誘で毎日顔を合わせるため、入部の話とは別として、アメフト部と仲良くなっている。
学園祭も、男やもめのアメフト部には料理の出来る者が少ないため、助っ人として加勢してあげているとか。
まったく、心の優しい鬼である。
「おう。鬼瓦くんも、景気が良さそうだな」
「ええ。場所に恵まれていますからね。正門をくぐってすぐの好立地です」
「いやいや、明らかに鬼瓦くんの焼きそばのクオリティの成果だろ。むちゃくちゃ美味そうだもん」
ソースは濃いめで、半熟の目玉焼きを乗せるのが鬼瓦流。
これはもう、絶対に美味いヤツである。
「先輩方もぜひ食べていってください。サービスしますよ」
「おう。ちゃんとお金払って食べるよ。なあ、氷野さん? おう?」
氷野さんは隣におらず。
どこかしらと探してみると、見るからに軽薄そうな来場者を捕まえている。
これはいけない。援護に向かわねば。
「困るんですよね! そういう強引なナンパ行為は! 彼女、嫌がってるじゃないですか!!」
「なんだよ! 学祭って言えば出会い求めて若者が集う場所だろ!?」
「はあ? 頭がおかしいんじゃないですか?」
ちょっと焼きそばに浮気していたら、氷野さんが一触即発の状態に。
ちゃんと敬語を使って、悪・即・斬の精神で先制の蹴りを入れていない時点で、既にスタンディングオベーション案件である。
「はい、ごめんなさいよ。うちの学園祭は皆さんが楽しめる場所を目指してますんで。やっぱり、ご不快な思いをされる方がいる以上、その手の行為は控えてもらえますか? それより、そこの屋台で焼きそばでもどうです? 美味いですよ? あいたっ」
ナンパのお兄さん、俺に肩パン。
初対面の人に言うのも恥ずかしいが、それは俺にとって大ダメージです。
「ちょっと、あんたぁ! うちの公平に何してくれてんのよ!! ぶっ飛ばすわよ!! 公平はすぐ死んじゃうんだからね!! ふざけんじゃないわよ!!」
「あ、いや、氷野さん? さすがに俺ぁ、致命傷までは受けてないよ?」
「なんだ、てめぇ! やんのかよ!!」
重ねてこれはいけない。これ以上の援護は俺には不可能。
仕方がない。心苦しいけども、増援を要請しよう。
そう思って、トランシーバーに手をかけたものの、その必要はなかった。
「お、おおお!? な、なんだよ、お前ぇ……!」
「お客様。こちらは僕の先輩方です。乱暴をされると困ります」
鬼瓦きゅん!
「鬼瓦くんの敵は我々の敵! お兄さん、山目のアメフト部相手に、一戦交えるかい?」
そして、鬼瓦くんの後ろには屈強な男たちが10人ほど。
いつの間にか、
筋肉で通じ合ったのかな?
「や、す、すんません! 失礼します!!」
筋肉は力なり。力こそパワー。
1人のハイパーマッスルと、10人のマッスルの前にはナンパのお兄さんも無力。
「やれやれ。助かったよ、鬼瓦くん。アメフト部の皆さんも、ありがとうございます!!」
「鬼瓦くんの先輩は我々の先輩! 御用があれば、何なりと!!」
なんか知らんが、アメフト部における鬼瓦くんの影響力、ヤバいな。
「氷野さんも、ありがとな。俺のために怒ってくれて。いやぁ、頼りにならんで面目ねぇ」
「別に! こ、公平のためとかじゃないし!? 私は職務を行使しただけであって別に……。ってぇ! ちょっとぉ、ニヤニヤすんなぁ! ぶっ飛ばすわよ!!」
「まあまあ、氷野先輩。よろしければ、焼きそば食べて行ってください」
鬼瓦くんは本当に頼りなるなぁ。
「氷野さん、せっかくだから食べて行こうぜ! 俺がおごるから!」
「……しょうがないわね。おごられてあげるわよ」
こうして、ホットドッグに続き、焼きそばも氷野さんと並んで頂く。
この上なく美味しかったのは、鬼瓦くんの手腕もさることながら、一緒に食べた相手が影響している事は明らかだった。
大学に入って初めての秋は、こうして深まっていく。
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