第539話 氷野さんとピンチ

 憂鬱な月曜日。

 その日は上空を厚い雲が覆っており、今にも空が泣き出しそうで、なんだか「悪いことが起きてもこれなら納得でしょ?」と言われているようだった。


 とは言え、嫌な予感とか、悪い気配なんてものは、日頃から数多く感じて、その中でたまに起きるアンラッキーが印象に残っているから気になる訳であって。

 迷信なんてだいたいそんなもんである。


 そう思っていたのだが。



 今日の講義は3限で終わり。

 どうにか天気も今のところは踏ん張っている。

 折り畳み傘を使うと始末が面倒だから、どうにかこのまま頑張って欲しい。


 さて、放課後のお仕事と行こうか。

 天気が悪かろうと、やる事は減らないのだから。


「お疲れ様っすー。すみません、教授に質問してたら遅くなっちまいまして」

「ああ、桐島くん。お疲れ様。平気だよ、まだほとんど来てないからさ。あはは! 困ったものだよねぇー」


 学園祭実行委員の屯所とんしょには、宮西先輩と、同学年の男子委員、浅間くんだけだった。

 俺は、浅間くんとしばし「あの講義難しいよね」などと、他愛のない世間話をしていたところ、ふと気付いた事があり、彼に聞いた。


「そう言えばさ、氷野さんは? 俺より先に来てると思ったんだけど」

「氷野さんだったら、さっき男子に呼ばれて、出て行ったよ」

「男子に? ……ふむ」


 氷野さんは、基本的に男子が嫌いである。

 その辺りは高校時代から変わっていない。


 そんな彼女が、男子に呼ばれて出て行ったと浅間くんは言う。



 何だか、嫌な予感がした。



 冒頭で語ったように、嫌な予感なんてものは、9割がた気のせいである。

 ならば、残り1割は無視して良いのか。

 場合によるだろう。


 対象が自分なら、無視している。

 だけど、氷野さんについての嫌な予感、これは捨て置けない。


「なぁ、浅間くん。どっち行ったか分かるか? あと、男子の特徴教えてくれる?」

「え? ああ、良いけど。部室棟の奥の方に歩いて行ったよ。特徴はね、髪が金色だったかな。4人とも金色だったから、すごく印象に残ってるよ」


「おう。ありがとう。ちょいと俺ぁ、様子見てくるよ。すんません、宮西先輩。ちょっと抜けます」

「良いよ、良いよ。行っておいで。やる事もそんなにないし。あはは」

「あとですね、すみませんついでに、お願いしても良いですか?」


 話が付いたあと、俺は学園祭実行委員の屯所を出て、部室棟の奥に向かう。

 そもそも、俺たちの部屋が既に結構奥なので、この先には空き部屋しかないはずなのだが。


 3つある空き部屋を、一つずつノックしていく。

 一番奥の部屋に差し掛かったが、俺はノックをしなかった。


 中から、男女の声が聞こえたからである。

 それも、言い争うような、怒気のこもった声。

 女子の声が氷野さんのものだった事で、俺の中では色々なパターンがシミュレーションされた。


 そのどれもが余り良いものではなく、こういう時は最悪を想定しておくのが定石である。

 俺は、電話をひとつかけてから、部屋のドアノブを握った。



「なんだァ? ここ、今使用中なんだけどよぉ」


 部屋に入ると、光化学スモッグかな? と錯覚するほど、煙が充満していた。

 それがタバコの匂いであることは、喫煙者でなくともすぐに分かる。


 くっせぇんだもの。


「今からオレら、良い事すんのよ! モヤシくんはご退室願いまーす」

「ぎゃはは! ヤメたれ! 悪口言うなよ! モヤシくんが可哀想だろ!」


 こいつらと同じ大学だと思われれるの、なんか嫌だなぁ。

 そんな事を思いながら、気を張っているからか、未だ俺の入室に気付かない氷野さんの肩をポンと叩いた。


「えっ!? あ、公平」

「やれやれ。氷野さんさ、そーゆうとこは昔から変わってねぇよな。せめて、書き置きくらい残してから無茶してくれないと、探すのも一苦労なんだぜ」


「べ、別に、こんなヤツら、私だけで平気よ!!」

「良くないなぁ。氷野さんも女の子なんだから。もっと慎重になってくれねぇと」


 俺が氷野さんと仲良くお喋りしているのが気に入らなかったのか、タバコ4兄弟の長男が俺に向かって火のついたタバコを投げつけて来る。

 ちなみに、発言順に長男、次男と俺が割り振って差し上げた。


「てめぇ、何なん? 調子乗ってると、ぶち殺すよ?」

「ヤダ、怖い。殺されるのは困るな。俺ぁ、やっと大学生活楽しみ始めてんだ。こっちの氷野さんもそう。あ、あとさ、君」


「ああ?」

「息が臭いなぁ。タバコ吸いながらコーヒー飲んだでしょ? フリスク食べる?」

「ぶち殺す!!」


 俺に向かって長男が拳を振り上げる。

 まずいなぁ。煽るんじゃなかった。顔殴られるよ、このままじゃ。


 歯を食いしばっていると、タイミング良く、いやさ、贅沢を言うと少しタイミングが遅くであるが、部屋のドアが開いた。


 開いたと言うか、ドアが外れた。

 こんな芸当ができるのは、さて、一体誰でしょう。



「ゔぁぁあぁぁぁぁっ!! 桐島ぜんばぁぁぁぁい!!!」

「鬼瓦くん! 待ってたぜ!!」



 困った時の鬼神頼み。

 相変わらず、自分一人でトラブルシューティングできない俺は、常に誰かの力を頼って生きている。


「な、なんだァ!? 良いぜぇ、てめぇもぶち殺してやんよ!!」

「皆さん、お願いじばず!!」


 鬼瓦くんの号令で、鎧で武装した兵隊がなだれ込んで来る。

 ああ、違った。


 よく見たら、アメフト部の人たちだ。


「セット! ハット! ハット!! ハーッ!!!」

「「「うぉおぉぉぉぉぉっ!!!」」」


 さすが鬼瓦くん。さすおに。

 相手の人数を電話で伝えておいたところ、その倍のアメフト部を連れて来てくれた。

 一目置かれているアメフト部に声をかけて来てくれるところから、実に有能。


 更に、真打まで登場しちゃうんだから、もう俺の存在意義を見失いそう。



「全員、動くな。学生課にたまたま用があって良かった」

「氷野教授!?」

「えっ、父さん!?」



 宮西先輩に「学生課の人を何人か呼んでもらえますか」とお願いしておいたのだが、まさか氷野さんのお父様がいらっしゃるとは。

 悪い予感も使い方によっては良い方に転がるんだから、世の中って不思議。


「喫煙と暴力行為の現行犯だ。アメフト部の諸君、そのまま連行してくれるか」

「ざっけんな! 触んなよ!!」


「黙れ。君たちは学則違反に飽き足らず、刑法にも違反している。恐喝、暴行未遂。言っておくが、私は穏便に事を済ますつもりはない。既に警察へ通報済みだ」


 警察という言葉を聞いて、タバコ4兄弟も一気にトーンダウン。

 と言うか、顔色がものすごく悪くなった。

 俺に顔色の心配されるとか、これはもうちょっとした事件である。


 そして、彼らはアメフト部によって連れ去られた。



 現場に残ったのは、俺と氷野さんに氷野教授。

 鬼瓦くんがタバコ4兄弟の連行を指揮し、状況を説明する役を買って出てくれた。

 さすおに。


「丸子。無事か?」

「あ、うん。その、ごめんなさい」


「何を謝る。お前は正しいと思った事をした。違うか?」

「……違わないけど。でも、結果的に迷惑かけちゃった」


「それが分かっているなら、良い。次は注意しなさい」

「……はい」


「桐島くん」

「うっす。すみません、俺ぁ何のお役にも立てねぇで」


「何を言う。娘のために危険を冒してくれた事、礼を言う。本当にありがとう」

「タバコ投げつけられただけでしたけど。うっす」


「私はこれから不届き者を罰してくる。この礼はいずれ改めてな」


 そう言うと、氷野教授も去って行った。



「氷野さん」

「……悪かったわよ。その……」


「ホントだよ。俺ぁ氷野さんのそういう正義感の強いところ、大好きだけどさ。やっぱ女の子なんだから、無茶はいけねぇよ。次からは、俺に一声かけてくれると嬉しいな。頼りねぇかもしれないけど、サポートくらいはできると思うから。隣でアタフタさせてくれよ」


「……うん。分かったわよ。……ごめん。……それから、ありがと」

「だったら良いんだ! さすが氷野さん、今回も大学の悪い芽をしっかり摘み取ったな!!」



 部屋から出て空を見上げると、雲間から日が射していた。

 もしかして、氷野さんのピンチを告げるために暗雲が出張っていたのかしら。


 だとしたら、ゴッドもなかなか、粋なことをするじゃないか。

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