第536話 氷野さんと入学式

 本日、山目大学の入学式。

 合格してしまえばこっちのもの。

 俺も氷野さんも、スーツに身を包み、年齢プラスワンと言う事実には神秘のベールで蓋をして、何食わぬ顔で「高校生活よさらば!」みたいな雰囲気を出している。


「まさか桐島先輩が同じ大学だなんて。僕、とても心強いです」


 気持ちは嬉しいけど、鬼瓦くん。

 先輩って呼ばんとって。あたいたち、同級生じゃん。

 ほら、今も数人の学生がチラリとこっち見たよ?



 あいつ浪人生だ、殺せ! とか思われてるんじゃない!?



 まあ、そんな被害妄想は置いておくとして、今日から俺も大学生。

 鬼瓦くんと氷野さん、それにみのりんと4人でベンチに座って小休止。

 この後、30分後に各学部に分かれてのガイダンスがあるらしい。


「鬼瓦くんは経済学部だっけか。偉いなぁ、リトルラビットの経営のために本業の修行をしながら勉強もするとか。俺ぁ何となく文学部にしちまったよ。お恥ずかしい」


 本当に、何のビジョンも持たずに入学してしまった。

 俺は何になりたいのだろう。

 それ以前に、大学で何を学んで、どういう人間になりたいのだろう。


「僕は実家を継ぐことが小さい頃からの既定路線でしたから。桐島先輩は社交性やリーダーシップもありますから、可能性は無限大ですよ」

「そう言ってくれるのは鬼瓦くんだけだよ! 鬼瓦きゅん!!」

「ゔぁい! 桐島先輩!!」


 うふふふ。お空が近いや。

 まさか、これが大学生になっても出来るとは。


「あ、あの、2人とも。すっごい注目を集めていますけど。大丈夫ですか?」


 ミルクティーを飲んでいたみのりんが、「頭は大丈夫ですか?」と優しく気遣ってくれる。

 多分大丈夫だよ。俺たちは、これで生徒会やってきたから。


「放っておきなさいよ、松井。あんたまで仲間だと思われるわよ」

「ちょっと氷野さん! ひどいじゃねぇか! あんなに寂しいから俺と同じ学部にするって言ってたのに! みのりん見つけて早速浮気だなんて!! 酷いや、酷いや!!」


「や・め・ろ! 別に、良いじゃない! 松井だって私と一緒で嬉しいのよ!」

「そんなことないよね、みのりん!? 文学部入ったら、昔の先輩が同級生とか、悪い冗談だと思ってるよね? ねっ?」


「思ってないわよ! 松井は優しい子なのよ!!」

「みのりんだってのびのびしたいに決まってるよ!!」


「あの、お2人とも、その辺で! すっごく注目されてますけど!!」


「ふんっ! あ、このぉ! なに避けてんのよぉ、公平!!」

「ふふふ。伊達に1年間ずっと隣で過ごしていないよ! 氷野さんの蹴りだって予測できれば避けられる! ねぇ、悔しい? 悔しい? くやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」



「鬼瓦くん。私だけじゃ、2人をカバーできそうにないよ。文学部に今からでも学部変更してくれない?」

「みのりんさん、それはあんまりなお言葉ですよ……」



 鬼瓦くんは別の教室なので、ここで一旦お別れ。

 俺と氷野さんとみのりんは、同じ教室でガイダンスを受ける。


 内容は、まあ基本的なことで、担当講師の方から大学生活のいろはを軽く触れられたのち、「1年の時に履修軽くしてたらあとが辛いぞ」とか「留年したら時間とお金の浪費だぜ」とか、学部の先輩のありがたいお話を拝聴した。


「ほへぇ。教職課程とか、公務員コースとか、なんか色々あるんだね。さすが私立、こういうフォローは手厚いんだなぁ。無料で受けられるのか」

「桐島先輩、興味のあるもの見つけられました?」


「教職課程はちょいと気になるな。カッコいいじゃん、教員免許って。いや、別に教師になろうと思ってるわけじゃねぇけどさ」

「私は公務員コース、受講するわよ! 目指せ警察官僚なんだから!!」


「さすがですね! もうそんな風に学生生活の計画立てられてるなんて! 私も遅れないようにしなくちゃ! やっぱり先輩たちと一緒だと心強いです!!」


 適当に適当な事を適当なタイミングで口走っただけなのに、みのりんの尊敬を買ってしまった。

 これは、勉強に遊びに、勤労に恋に。


 大忙しな大学生活にしなければならないな。



 経済学部は定員が多いので、俺たちよりも時間がかかっているらしく、鬼瓦くんを待ちがてら、俺たちは再びラウンジの自動販売機近くで休憩。

 山目大学、そこら中に座れる場所があるんだけど。


 疲れたら退避できるスポットが多いとか、まさに俺向きじゃないか。


「やあ。丸子。ガイダンスは終わったのか」


 ソファ型ベンチの座り心地を確かめていると、聞き覚えのある声が俺の背後を捉えた。

 なにより、氷野さんを名前で呼ぶ人は、この世界でも限られている。


「父さん! どうしてこっちにいるの? 入学式は関係ないって」

「娘の晴れ姿を見たくない親がどこにいると言うのだね」


 みのりんが、俺の肩を控えめにつつく。

 そして「どなたですか?」と小声で聞くので、俺も小声で「氷野さんのお父さんだよ」と彼女に告げる。

 ついでに、山目大学で教授をしている旨も付言した。


「む。桐島くんじゃないか。久しいな」

「うっす。お父さん、ああ、いや、すみません。教授、お久しぶりです!」


「なに、そう固くなる事もない。君には丸子が世話をかけているな」

「いえいえ、とんでもない! 氷野さんには、いつも元気を貰ってます!」

「ちょ、ねぇ、2人とも? 別にそーゆう話は今しなくても良いんじゃない?」


 氷野さんがなんだか慌て始める。

 お父さんと話すのが恥ずかしいのかな?

 意外と子供っぽいところがあるなぁ。うふふふ。


「丸子とは上手くやっているのかね」

「もちろんです。もう、氷野さん抜きの生活なんて考えられませんよ」


「そうか。私も、丸子を目の届く場所に縛るのはと考えたのだがな。桐島くんが山目大を志望してくれていると聞いた時は、運命を感じたものだ」

「いや、俺もまさか氷野さんのお父さんがお勤めになっているとは思いもしませんでした! 日本史ですよね? 是非受講したいと思ってます!!」


「そうか。親など、わずらわしいものだろうに。君は奇特な人間だな」

「氷野さんのお父さんをウザがる訳ないじゃないですか!」

「ねぇ、もうその辺にしときましょ? ほら、父さん、仕事しないと!」


「丸子をこれからもよろしく頼む」

「うっす。命に代えても傍で支えてみせます!!」


「またうちに来なさい。食事でもしよう」

「はい! お伺いします!!」


 そして氷野さんのお父さん、今後は先生になるので、氷野教授とお呼びすべきか。

 氷野教授は去って行った。



「ひ、氷野先輩!? あれ!? 桐島先輩と、そういう関係だったんですか!?」

「お願い、松井。今見た事と聞いた事。いくら払ったら忘れてくれる?」



 女子は内緒話が大好き。

 一方、イイ男と言うものは、そんな女子のお話に首突っ込んだり、聞き耳立てたりするような野暮やぼはしない。


「すみません。お待たせしてしまいました」

「おう。鬼瓦くん。平気、平気。ちょうど氷野さんのお父さんが通りかかって話してたから」


 鬼瓦くんが合流。

 教室から出て来る学生の数もやっぱり多い。

 文学部の1.5倍だからなぁ。


「氷野先輩のお父様ですか?」

「そうそう。山目大学の教授なんだよ」

「なんと、そうだったのですか。しかし、どうして桐島先輩は面識がおありで?」


「ああ、何度か氷野さんの家に行った時にお会いしてな。いやぁ、娘を頼むとか言われちまったよ、参った参ったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」


 不意を突いて尻を蹴られると、どうしても声が出るよね。

 俺の魂の咆哮が、経済学部の新入生の視線を独り占めした。

 是非とも魂の含有率がんゆうりつでも計算してみてくれたまえよ。


「氷野さん、ひでぇよ。蹴るなら蹴るって言ってよ。俺も尻の準備があるってのに」

「う、うっさい! あんた、今後はうちの親と面会禁止だから!! このバカ!!」


 なんだか氷野さんの情緒が不安定だけど、何かあったのかな?

 顔が赤くなっているので、良い事でもあったのかしら。


 さてさて、こうしてスタートを切った俺の大学生活。

 友達100人できるだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る